潜入
「いらっしゃいませー」
そんな落ち着いた声色が木造の古めかしいカフェに響く。店はそこそこ広く、テーブル席にはちらほらとご年配の方が、コーヒーやケーキを楽しんでいた。
部屋全体に心地よい冷気が行き届いていて、夏場の暑さ避けとしてちょうど良いのだろう。
そして、声の持ち主たる若い男は、カウンターの奥で、忙しなく手を動かしていた。身長は175くらいか、髪も目も黒く、顔立ちは凡庸、丸みを帯びた銀のメガネをかけた、特に特徴のない男だった。
少女は優しい店の雰囲気に、少し困惑する。ここには本当に…そんなのがいるものか?と。
しかし、歩き始めた男にはっとし、彼の背中にピッタリとついていく。
店の中身をぐるりと見渡してみるが、壁に蝋燭などの装飾品や絵画があるだけ。彼女が感じられる神秘はなにもなかった。
男は何の躊躇いもなくカウンター席に座る。少女もまた少し高い椅子にちょこんと座った。
「こんにちはマスター。いつものを頼んでも?」
目の前から低い声が聞こえると、マスターは作業を続けながら顔を上げる。すると、目を少し大きくし、笑みを作って言った。
「おぉこれは
「はい、コーヒーは先にお願いします」
——カタッ
横から女性がおしぼりとお冷を持って来て、彼等の目の前に置く。喉が渇いていたのか男は水を一気に飲み干した。少女はその様子をまじまじと見る。
「…せんせい」
「あなたも何か食べていくと良いでしょう。ここのサンドイッチは美味しいですよ」
言葉を遮ると共に、横目で視線をやる。その意味を理解した彼女はすぐさま口を閉ざし、こくりと頷くと、水を一口飲んだ。
「マスター。すいませんが追加でサンドイッチを一つ頼みます」
「えぇもちろん。ところでそちらのお客様は?」
「妹です。最近は私の仕事を手伝ってもらっているんですよ」
「ニュース記者でしたっけ。最近は政府の検閲が厳しくなっていると聞きますけど?」
マスターは話しながらも、湯を沸かし、コーヒー豆をゴリゴリと挽き始めた。その間、バイトらしき彼女はレジで客の会計をしている。
「そうですねぇ、確かに私達ニュース記者なんて、悪魔増加の一因ともされていますから、嫌ですけど仕方なさはありますね。はぁー」
「人間社会に欲望があるほど、悪魔は強大になる……厄介な社会問題ですよほんと。しかもここ数年のインターネットの発達で、悪魔もぐんぐん強くなってるそうですよ」
「あぁところで悪魔といえば、昨日の事件知ってますか?」
「……えーっと。なんでしたっけ?」
会話に僅かな空白が挟まる。その時、マスターの手も一瞬だけ止まった。
誰がどう見ても怪しい態度だ。しかし、仮に神秘狩りともあろうものが、こんな分かり易い鎌掛けにかかるはずない。そんな疑念が少女の心の隅にかすかに残った。
「あれですよ、昨日の夜の祈祷師襲撃事件のことです」
「いやぁ、そんな事があったんですね。物騒物騒」
甲刹と呼ばれた者は相も変わらず、目の前のマスターと他愛もない会話を続けた。そして、そうこうするうちに注文した物が続々とカウンターに運ばれて来るのだった。
少女にとって、緊張の中の食事であった。味すら分からなかった。また、横に座る甲刹の表情は変わらず無に近いながらも少し穏やかさを感じるものだった。
どうやらマスターはそれで手持ち無沙汰になったようで、カウンターに両手をついてまた甲刹と雑談し始める。すると少女は食事を一旦止め、その短い右手を伸ばした。
その手がマスターの手に触れる。
「?どうされました?」
マスターが問うた。
あぁ、すいません、と甲刹は言うとすぐさま反応し、彼女の手を掴んで優しく退けた。
「ご、ごめんなさい、虫がいたように思えてしまってつい...」
そんな強張った小さな声が宙に伝わる。少女は不安気な顔でマスターの顔を見た。その顔にはたまらずマスターも、大丈夫ですよと優しい言葉を投げかけたのだった。
「(そんな...)」
彼女は跳ねる心臓でもって、しかし確実に机の上を3回人差し指で叩いた。甲刹はそれを目を一切動かさずに確認すると、浅い深呼吸をする。
その後も彼は、マスターと雑談をしながら何事もなく食事を続けた。そうして殆どを食べると最後にコーヒーを一気に飲んでいく。
そのカップから最後の一滴が流れ落ちる瞬間のことだった。
破裂するような音と眩い光がカウンターで起きた。マスターは反応が出来なかった。咄嗟に目を瞑ってしまった。
彼は耳鳴りが聞こえる中で怯えながら目を開ける。
その視界に飛び込んだ光景は…恐怖。
「動くなよ。次は当てる」カチャ
甲刹が大型の拳銃を握り、その銃口を彼に向けていたのだ。
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