あなたのつぼみ(4)

 夜の10時を過ぎている。

 

 周囲は裏山の近くで、周囲は田んぼばかり。

 そのため、ポツリポツリと点在する街灯の明かりのみで、他は漆黒の闇。

 そんな中で山に入ろうとするいすずちゃんを見て、私は心臓が破裂しそうなほど動揺していた。


「いすずちゃん、待って!」


 私は大きな声を上げながら必死に駈けていった。

 この裏山は……こんな切羽詰まった中でも私はある事に気付いた。

 以前、いすずちゃんとお祭りに来た所だ。


 やがて私はいすずちゃんの姿がどんどんと大きくなっているのを感じ、そして……追いついた。

 いすずちゃんがあまり足が速くないのと、やはり暗闇に怯えていたのだろう。

 歩調が目に見えて遅くなっているのが幸いした。


 追いついた私はいすずちゃんの腕を握ったが、彼女は身体全体を使って振りほどこうとする。

 

「離して! 嫌だ!」


 いすずちゃんの大声に、私もそれ以上の大きな声で言う。


「離さない! 危ないでしょ、こんな所へ! 何で逃げるの!」


 すると、私を睨み付けながら、いすずちゃんの泣き声混じりに発した言葉に私はポカンとした。


「亜矢ちゃんの事『好き』って言った! ギュッとしてた!」


「はあ? あれはあの子が泣いてたからでしょ!」


「私には全然好きって言ってくれなかった! キスもしてくれない! どうせ、私なんてワガママばっかなんだ!」

 

「亜矢ちゃんにだってキスなんてしてないよ! 何言ってんの! あと、誰があなたをワガママなんて言った? ねえ!」


 ああ……何やってるの、私。

 もう大人と子供じゃ無い。

 子供同士の口げんかだ……

 でも……止まらない。


 いすずちゃんはいすずちゃんで、もう泣いてることを隠そうともせず、さらに腕を振りまわし大声で泣き叫んでいる。


「私の事なんて遊びだったんだ! 楓さん、亜矢ちゃんがいいんだ! 楓さんなんか、もうヤダ!」


「いすずちゃんのお馬鹿! どこでそんな言葉覚えたの……遊びなわけないじゃん!」


 私はいすずちゃんを腕ごと引き寄せようとしたが、いすずちゃんがそれに逆らって、後方に身体を反らせた。

 その時……いすずちゃんがバランスを崩し、その後方は……斜面だった。

 

 マズい……!


 私は反射的に、自分の身体の反動を使っていすずちゃんを自分のいた道の方に引っ張り上げた。

 だが、その代わり私はその勢いで斜面に……落ちた。


 瞬間、全てがスローモーションになっているのを感じ、こういうのって本当にあるんだ……と自分を俯瞰で見るような気持ちになった。

 だけど、その直後下に引っ張り込まれるように、勢いよく斜面を後ろ向きに滑り落ちるのが分かった。

 

 そして、急に左脇腹に信じられないような痛みを覚え、思わず大きな悲鳴を上げた。

 その直後、身体は斜面の途中で止まったが、脇腹の焼けるような痛みは耐えがたい物だった。

 それに、左足が痛い。

 

 斜面の上から、いすずちゃんの悲鳴が聞こえた。

 それはすぐに泣き叫ぶ悲痛な声に変わっていた。


「楓さん! 嫌だ! 嫌だ! ごめんなさい!」


 私はそっと身体を動かす。

 痛みは左足首だけだ。

 これも骨折ではなさそうだ。

 幸いそこまで酷い痛みじゃ無い。


 ただ、左の脇腹がマズい。

 そっと手で触れると、ヌルッとした感触と共に、痛みが走る。

 かなり出血してるな……


「ごめんなさい! ……ごめんなさい!」


 斜面の上ではいすずちゃんの泣き声が聞こえる。


「いすずちゃん! そこから動いちゃダメ! 絶対降りてきたらダメだよ」


 精一杯の大声を出すと、暗闇の中でいすずちゃんが頷いたのが分かった。

 とりあえず施設に連絡しないと……


 そう思いポケットを探った私は愕然とした。

 携帯が……ない。

 恐らく斜面を落ちているときにどこかに行ってしまったのだろう。

 この暗闇と身体では探すことは出来ない。


「いすずちゃん……携帯、持ってる?」


「……持って……来てない」


 これは……マズい。

 私は冷や汗が吹き出るのを感じながら、冷静になろうと努めた。

 落ち着け、楓。

 上にはいすずちゃんがいる。

 彼女をこれ以上不安にさせたくない。


「オッケー、大丈夫……だよ。何とかする。いすずちゃんもそっから……動いちゃ……駄目だよ」


 そう言うと、私は汗を拭って斜面の上を見る。

 行ける……か?

 とにかく、いすずちゃんを落ち着かせたい。

 あんな暗闇に一人じゃ可哀想だ。


 私は歯を食いしばると、斜面を登り始めた。

 だが、脇腹の痛みに悲鳴が出てしまう。


「楓さん!」


 いすずちゃんが斜面を降りようとしたため、声を振り絞る。


「……そこに居て!」


「……はい」


 私はハンカチを口に咥えて、痛みによる声を出さないようにしながら少しづつ登っていき……何とか、道に戻ることが出来た。

 痛みと出血で朦朧としている中、いすずちゃんが抱きついてくる感触がした。


「ごめんなさい……ごめんなさい」


「もういいよ……大丈夫。大丈夫」


 私は彼女の頭を何度も優しく撫でた。

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