あなたのつぼみ(1)

 いすずちゃんはあれからほぼ毎日、私のアパートまで来てくれた。

 もちろん施設にはおおっぴらに……いや、普通に知られる訳にはいかない事なので、学校から帰って夕食までの自由時間に来てくれている。

 2時間程度だが、熱を測ってアイスノンを替えてくれたり、夜ご飯と翌日の朝ご飯を作ってくれたりする、


 部屋に入ると、すぐにエプロンを着けていそいそと動き回るいすずちゃんを見ていると……何だか、新婚家庭みたいだ……と考えて、顔が熱くなってしまう。

 何考えてるんだ、楓!


 本当にいいのかな?

 私と彼女の間には越えなければ行けない物があまりに多い。

 年齢差や性別、立場、そして……被害者と加害者の娘。

 私だけならいい。

 でも、いすずちゃんまで……輝くような未来をつかめるであろう彼女の足を、私みたいな汚れた存在が引っ張って……


 そう思うとまたどんよりと沈んでしまう。

 彼女を解放してあげるのは……今しか……


 そう思ってぼんやりしていると、突然おでこにヒンヤリした……それでいて柔らかな感触を感じ一瞬驚いたけど、すぐに身体が固まった。

 いすずちゃんが手のひらを当ててくれてたのだ。


「まだお熱ありますね……明日も続くなら病院行った方がいいかもです」


 心配そうに言ういすずちゃんを見て、私は突然フッとあることに気付いて慌てて言った。


「あ、じゃあいすずちゃんもう帰っていいよ。って言うか、もしコロナとかインフルエンザだったら大変だよ! いすずちゃんに移しちゃうじゃん」


 そう言うと、いすずちゃんはニッコリと微笑んで言った。


「楓さんと同じ病気になるならそれもいいかも……なんて」


「ダメダメ! いすずちゃんが倒れたら、私も寝てられないよ、心配で」


「ふふっ、じゃあその時は……楓さん看病してくれますか? 例えば今とか……」


 そう言いながらいすずちゃんはゆっくりと顔を近づけてきたので、私は慌ててだけどさりげなく後ろに下がった。


「も、もちろん! ただ、園の特定の子だけを贔屓できないから、時々になるけど……」


 そう言うと、いすずちゃんは一瞬表情が消えたけど、すぐに元の笑顔に戻った。


「はい、分かってます」


「でも病気にだけはならないでね。さて、いつもながら美味しそうだね……おかゆ」


「はい、今回は野菜をたっぷり入れたあんかけのお粥にしてみたんです。楓さん、あんかけ好きって言ってたから」


「うんうん、もちろん! 嬉しいな……ってか、いすずちゃんと結婚する人、本当に幸せだよ。病気になってからスッゴく至れり尽くせりで、毎日嬉しいもん」


「……『結婚する人』なんですね」


 その言葉は私の胸にチクリと縫い針が刺さったような痛みをもたらしたけど、それに知らんぷりした。

 彼女の事は……好きだ。

 でも、踏み込めない。

 いや、踏み込んじゃ行けないんだ。

 いすずちゃんに憎まれても、彼女に本当の幸せを見つけてもらいたい。

 自分の出自に引き裂かれる苦しみを感じ、自分ではどうしようもない何かのために、やり場の無い憎しみや自責の念に苦しむ。

 そんな目にあって欲しくない。


 私は代役なんだ。

 つかの間の穴埋め。


 それからベッドを出て、ミニテーブルに向かい合った私たちはお粥を食べ始めた。

 相変わらず身体に染み渡るな……

 すると、突然いすずちゃんは私の顔を見て言った。


「楓さん、良かったら髪……拭きましょうか?」


「え!? いいよいいよ! あの……もしかして臭いかも……だから」


 必死に言う私の言葉など聞こえないかのように、いすずちゃんは大きな洗面器にお湯を溜め始めた。

 なんか……様子が変だな。

 熱でボーッとしてるせいだろうか。

 頭が働かない。


 お湯を溜め終わったいすずちゃんは、タオルを濡らすと私の髪を拭き始めた。

 そして、拭き終わると櫛で丁寧に髪をとき始める。

 それは優しくて、丁寧で……そして気持ちよかった。

 

 その心地よさに身体が溶けていくような気持ちになって、いつの間にか意識まで溶けていくように思えた。


 いつの間にか眠ってしまったようだ。

 目が覚めた私が感じたのは、右の顔に感じる柔らかくて暖かい感触だった。

 良い匂い……

 私……膝枕してもらってる。

 そして、次に感じたのは顔にかかる髪の毛と小さな息づかい。


 私はハッとして顔を僅かに動かすと、そこには指一本分程度の距離にまで近づくいすずちゃんの顔があった。


「いすず……ちゃん」


 いすずちゃんは気まずそうな表情を一瞬浮かべたが、すぐに表情を引き締めるとそのまま唇を……私の唇に……


「……だめ」


 私は精一杯の拒絶の意思を込めてそう言うと、彼女の唇の前に手のひらを当てた。

 そして、ゆっくりと身体を動かしていすずちゃんから離れた。


「だめ……だよ。私たち……それ以上は……」


 頭がクラクラする。

 早く横になりたい……

 そう思ってベッドに向かおうとすると、背後からポツリと声が聞こえた。


「なんで……」


 その絞り出すような苦しそうな越えにいすずちゃんの方を向くと、彼女は両目に涙を溢れさせていた。


「私が……子供だからですか? 私たちってキスもしちゃダメなんですか? 私、楓さんを愛してます。本気なんです。楓さんも私の事好きなんですよね? だから……あんな……事」


「それは……あなたは賢い子だから分かるだろうけど、私たちはまだ……」


「『賢い子』って言うのヤダ! 子供じゃ無いです、私! 早く大人になりたい。……なりたいです。もう子供は嫌!」


「ねえ、いすずちゃん……聞いて」


「私が子供だからキスしてくれないんだ! だから私に隠し事ばかり!」


 そう言うと、いすずちゃんは突然ブラウスのボタンを引きちぎらんとするような勢いで外し始めたので、私は仰天して両手を掴んだ。


「何やってんの!」


「離して! 私、もう大人です! 女の人同士の事……調べました。ちゃんと出来ます!」


 朦朧とする私の両手を振りほどくと、いすずちゃんはブラウスの前のボタンを外して、キャミソールをむき出しにした。

 そして、それも脱ごうとしたので思わず、その手を……叩いてしまった。


「あ……」


 思わず固まってしまった私をいすずちゃんは呆然とした表情で見た。

 涙をこぼしながら……

 それは、彼女の年齢に不釣り合いなくらい大人びて……綺麗だった。


「あのね……いすずちゃ……」


「『あのね』は嫌……子供じゃ無い。楓さん、ゆっこさんにも『あのね』って言うんですか?」


「あ……」


「言うんですか!!」


 そう叫ぶように言うと、いすずちゃんは立ち上がり……外したエプロンを乱暴に床に投げつけると、そのまま出て行った。

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