いすずの小さな世界(2)【いすず視点】
この人が……楓さんの弟さん。
私は思わず目を見開いてじっと見つめてしまった。
そう言われれば楓さんの面影がある。
暖かいお日様みたいな雰囲気は……うん、楓さんの弟さんだ。
その途端、急に緊張してきて体がかっと熱くなってきちゃった。
ど、どうしよう、こんな可愛くないTシャツで……髪も走ったせいかボサボサになっちゃったよ。
着替えようと思ってた可愛いワンピース間に合わなかった。
こんな野暮ったい子、姉にふさわしくない! とか思われたらどうしよう……
「ゴメンね、いきなり会ったばかりでお願いすることじゃ無かったな。引いちゃうよね」
弟さん……翔太さんは、そう言って済まなそうに頭を下げた。
「そ、そんなこと……ないです! あの、その……は、はじめまして! 私、星野いすずと言います。楓さん……じゃない、菅原先生にはいつもお世話になってます」
ああ、私……何いってんだろ。
舌がもつれちゃってる。
これって……高学年の子たちがよく言ってる「テンパってる」って言う事?
「これはご丁寧に。君、見た感じ5,6年生くらいかな? しっかりしてるね。将来楽しみだ」
「あ……りがとうご、ございます!」
い、今のって……気に入ってもらえたのかな?
もっと頑張らないと。
そう。
私はフッと気づいちゃった。
もし、弟さんに気に入ってもらえたら、あわよくば楓さんともっと深くお付き合いできるきっかけが増えるかも。
それに楓さんの事をたくさん聞けるかもしれない。
私の知らない楓さんの事を。
「もし……良ければ、ご案内します。職員室はこちらになるので。そこで菅原先生は勤務してます」
「そうなんだ。何から何まで有難う。じゃあ、ご厚意に甘えようかな。案内お願いするよ」
そう言って優しく微笑むその顔は、楓さんみたいでドキドキしてしまう。
もちろん、楓さんの時のドキドキとはぜんぜん違うけど。
そう思いながら弟さんを職員室にお連れしようとしたとき、入口から楓さんが出て来て弟さんをポカンとした表情で見た。
「あれ? どうしたの。めちゃ早いじゃん」
「ゴメン。気が急いちゃって。この辺ブラブラ見て回ろうと思ったら、小さい男の子が二人だけで出てきてね。戻そうと話してたら、この子……星野いすずちゃんだっけ? が出てきて対応してくれたんだ。お陰で助かったよ」
「いえ、そんな事……全部弟さんがご対応してくださってたのに」
「ほんとすごいね、君は。礼儀正しいし賢そうだ。そんな君が、よりによって姉さんなんかを『楓さん』って言うくらい慕ってるとはね。面倒見てくれて感謝するよ」
「うるさい! いすずちゃん。こいつの事はもういいよ。いろいろ有難うね。助かったよ」
「い、いえ……そんな」
「で、翔太。悪いんだけど私、今から4年の子を病院に連れて行かないと行けなくてさ。野球のボールが指に当たっちゃったらしいんだ。突き指だろうし本人はケロッとしてるけど、診てもらおうと思って」
「もちろん、その子の方優先して。じゃああれだな……俺も昼から急な仕事が入っちゃってね。また後日にする? それかやりたくなかったけど電話かラインとか」
「直接話したいの?」
「まあね」
そう言って弟さんは苦虫を噛み潰したような表情になった。
何があったんだろ?
「オッケー、分かった。多分すぐ戻ってこれると思うから。相談室辺りで待っててもらえれば有り難いな」
「じゃあそうしようかな。悪いね気を遣わせちゃって」
「あ、じゃあ私ご案内します。楓さんはもう行って下さい。急ぎですもんね?」
「うん、有り難う。じゃあ後はお願いするね。翔太も大人しく待っててよ!」
一気にそう言うと楓さんは、施設の中に戻っていった。
「相変わらず台風みたいな奴だな。さて、いすずちゃんだっけ? 案内お願いしてもいいかな? 姉よりも君の方が頼りになりそうだ」
弟さんはそう言ってニッと笑ったけど、それは大人の男性と言うより男の子のように見えて、私もつられて笑顔になる。
やっぱり姉弟なんだな……
*
「こちらになります。暑いですよね? 今エアコンつけますので。飲み物はコーラかアイスコーヒー、麦茶がありますけど、どれになさいますか? お持ちします」
「じゃあアイスコーヒーをもらおうかな。ブラックで」
わ、楓さんと一緒だ。
弟さんもコーヒーをブラックで飲むんだ……
楓さんと同じ物を飲みたくて、一人の時こっそりブラックコーヒーを飲んだことあったけど、舌が痺れるような気がして一口で砂糖とミルクを入れた。
いつか楓さんと同じブラックコーヒーを冗談言ったり、お仕事の話をしながら飲みたいな……
「ん? 俺の顔に何か付いてるかな」
「い、いえ! ゴメンなさい、ジロジロ見て。楓さんも……ブラックコーヒー好きだから、姉弟なんだな……って」
しどろもどろになりながらそう言うと、弟さんは楽しそうに笑った。
「なら良かった。俺の顔そんなに変かな? って心配になってたんだ」
「そんな事ないです! 弟さんも楓さんくらい綺麗なお顔です!」
……って、私なんてことを!!
ああ……恥ずかしい。
でも、弟さんは気にして無かったみたいで、優しい笑顔で頭を下げてくれた。
「有り難う。君みたいな可愛い子に言ってもらえて嬉しいな。10年後になってもその言葉、ぜひ忘れないでくれよ」
私は何度もお辞儀をすると、相談室を出てせっせとアイスコーヒーを作った。
準備しながら頬が紅潮しているのが分かる。
やった……気に入られちゃった!
アイスコーヒーを持ってドアをノックすると「どうぞ」と、低くて渋い声が聞こえたのでドアを開けると、弟さんはスマホを見ながら厳しい表情をしていた。
「す、すいません。大事な事されてたんですよね。お邪魔してすいません……」
「ああ、大丈夫だよ。ゴメンね、驚かせちゃって……うん、そう。ちょっとね」
私は改めて頭を下げると、そっとテーブルにアイスコーヒーのグラスを置いた。
「おおっ、凄い。ちゃんとコースターとかストローまで。さっきのエアコンや飲み物の木の回し方といい、うちの営業所の下手なスタッフよりも上だよ。……君、ホントに小学5年生? だとしたら君、もう人生3周目くらいじゃない?」
「そんな……こと……」
「そんないすずちゃんにちょっと聞いても良いかな? 君、うちの姉をかなり好いててくれてるけど、どういう所がいいな、って思ったの? 何か切っ掛けとかあった? ……いや、深い意味はないから安心して。気になっただけ」
え……えっ!?
どんな所が好き?
ど、どうしよう。だって全部好きなのに。
でも、そんな事言ったら弟さんに、頭の悪い子だって思われちゃう……
よし、特に好きな所だけ選んで……
「楓さんは……あの、まずとても優しいです。それに凄く人の気持ちを察してくれるし、勇気だってあります。私が男の子に意地悪された時、自分の事みたいに向かってくれて。後、凄く頭も良いです。でも茶目っ気もあって可愛いな、って思う事もあるし。それでいて凛としてカッコいい所もあります。包容力もあって一緒にいるだけでホッとしますし、でも安心できる力強さもあるんですよ。もちろん顔も綺麗だし。今の髪型も似合ってて宝塚の人みたい……。あ! あと……」
「有り難う、大丈夫だよ。もう充分過ぎるくらい伝わってきた」
笑いを噛み殺しながらそう話す弟さんを見て、私はカッと頬が熱くなるのを感じた。
ああ……もしかして、やっちゃったかな。
「あ……すいません。でも……とても今まで……助けてもらって来ました。私が辛い時とか、嬉しい時とか、後……堪らなく一人ぼっちだな、って思う時いつもそばにいてくれるんです。楓さんが居なかったら私は前に進めなかった。だから世界で1番信頼出来るし、尊敬してるんです」
弟さんは心なしか目を潤ませながらポツリと言った。
「……そうか」
「あの、その、本当にゴメンなさい! ベラベラ喋っちゃって……」
「何で謝るの? 凄く嬉しかったよ。そんなに姉を慕ってくれてるなんてね。本当に有り難う」
「い、いえ……」
「なんか凄く親近感感じちゃうな。あんな姉とは言え、身内をべた褒めされるのは嬉しいね。まして僕らは肩寄せ合って来た、脛に傷持つ姉弟だしね。あ、良かったら座って。君ともっと話したくなってきたな……あ! ロリコンじゃないから安心して。ちゃんと大人の彼女も居るから」
私は勧められるままに目の前のソファに座った。
すると弟さんは「こんなので悪いけど」と言いながら、バッグから缶のカフェオレを出して渡してくれた。
そして、私を何度も見た優しい眼差しで見ながら言った。
「……君だから言うけど、姉は昔酷く辛い目にあってね。君には刺激が強いから詳細は伏せるけど、身内がちょっと間違った事をしてね。それで姉も僕も周囲から物凄く……冷たい扱いをされたよ。每日地獄だったし、学校も行けなくなったくらいだ。そんな中でも姉は強かった。僕の前ではいつも笑顔だったし、バイトを掛け持ちして稼いだお金で家庭教師もつけてくれた。参考書が欲しいときは、いつの間にか用意されてた。自分だって友達を無くしたし、外では周りの目だって……あったのに……」
そう言うと、弟さんは深くため息をついた。
「姉は自分の青春を持てなかった。恋もそう。僕は良かった。姉のお陰で勉強も出来たし、大検で大学にも行けた。そこで友人も出来たし恋もした。……姉の幸せを犠牲にしてね。姉は成績も僕よりずっと良かったのに高校中退だった。だからその後、福祉系の専門学校を出たと聞いたときは本当に嬉しかったのに……仕事についた理由が……まさか」
弟さんはそこで言葉を止めると、ハンカチを目元に軽く当てた。
楓さん……そんな……事が。
初めて知った。
そんな辛い目に合ってたなんて。
でも、そんな中でも弟さんのために前を向いて頑張ってたんだ……
やっぱり私の知ってる楓さんだ。
「その原因になったある女性がいるんだけど、その人の事も姉は恨み言1つ言わなかった。僕はやらかした身内もだけど、なによりあの女や家族に出会ったら……殺してやりたいと思ってるけどね。聞いた話では娘さんもいるらしい。僕らが地を這いずって行きてきたのに、被害者面して羨ましいよ。そんな奴の娘もどうせ……」
弟さんは突然ハッとした表情になり、気まずそうに私を見ると深々と頭を下げた。
「すまない。嫌な事ばかり聞かせたね。君みたいな心の綺麗な子にする話じゃなかった。……分かったろ? 僕は姉とは大違いさ。だから姉が眩しい。そんな姉を慕ってくれてる君の事も眩しく見えるよ。どうかこれからも姉を慕ってやってくれないか」
「もちろんです! でも、弟さんも……全然大違いなんかじゃないです」
「え?」
「私……弟さんの気持ち、分かる気がします。私の母も昔、酷い目にあってそれ以来、別人みたいになっちゃったって……だから、その原因になった人やその家族の人が……ヤダな
……って。だから時々思うんです。私みたいな嫌な子が楓さんのそばに居て良いのかな、って……」
そう言ってうつむいてると、突然優しく頭を撫でられてる感触がした。
「そうか、俺たち同じ境遇の仲間だったんだね。……ぜひ居てやってよ。姉には君みたいな人が必要なんだ。姉は最近表情や話し方が明るくなってる。施設のとある子の事を話してる時は特に。……君の事だったんだね」
え……私の……事?
私は嬉しくなって、さっきまでの話が頭から消えてしまった。
「あ、あの! そのお話もうちょっと……」
その時、ドアがガチャりと開いて楓さんが慌てた様子で覗き込んできた。
「ゴメン、待たせたね! じゃあ……って、いすずちゃん!? どうしたの?」
「ゴメン、俺が居てもらった。ビックリしたよ。この子の話聞いて、かなりグッと来た。本気で姉さん、この子大事にしろよ。後、驚いたよ。この子も昔辛い思いをしてたみたいだね。とても他人には思えなかった……」
その時、楓さんが表情を急に強張らせたので、ビックリした。
「何、喋ったの?」
楓さんのまるで……氷のような口調に私はゾッとした。
それは弟さんも同じだったようで、ビックリしながら慌てて言った。
「いや、俺たちが昔身内のやらかしで嫌な思いをした、って風に言ったんだよ。そしたらこの子も同じだ、って……」
すると、楓さんはさっきまでの見たことない怖い表情は消えて、いつもの顔に戻った。
「あんたはベラベラ喋りすぎ。トップ営業マンってみんなそうなの? いすずちゃんは純粋な子なんだから、刺激の強い事吹き込まないの!」
「ゴメン、いすずちゃんがあんまり姉さんの事褒めてくれるからつい、口が滑った」
楓さんはその言葉に顔をカッと赤くして、私をチラッと見た。
「そう……なんだ。ありがと」
「い、いえ……ほんの一部しか言えなかったけど……」
「そんな事ないよ……有り難う。あ、じゃあ翔太。話聞こうか」
「ああ……有り難う、いすずちゃん。ここからは悪いんだけど……」
「はい、色んなお話し有り難う御座いました。とても楽しかったです」
「こっちこそ。また、ぜひ話ししよう。いすずちゃんとは気が合いそうだ」
「は……はい! ぜひ!」
立ち上がりそう言ってペコリと頭を下げると、私はドアを開けて相談室の外に出た。
ドアを閉めた直後、楓さんの声で「……お父さん? どこで?」と聞こえた。
楓さんのお父さんか……どんな人なんだろ。
お母さんも。
楓さんや弟さんがあんなに魅力的なんだから、ご両親も素晴らしい方なんだろうな……
そう思うとまた緊張してきた。
もしいつか……私が大人になったら、楓さんのご両親ともお会いするのかな?
その時は失礼のないようにしないと……
そんな事を考えてると、ドキドキしてつい表情がフニャっとしてきちゃった。
早く……大人になりたいな。
そして、辛い目に合ってきた楓さんの過去……その傷を治してあげたい。
楓さんが、感じてきた嫌なこと……それを、消しゴムみたいに消してあげられたらな……
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