楓といすずと雨の部屋(1)
永遠に続くのでは、と思えた夏休みも終わり、 今日から新学期。
施設の子供達も、憂鬱さを滲ませながら学校に向かっていった。
まあ、そうだろう。
長い休みの後の憂鬱さは大人も子供も変わりない。
そして、私は子供達が帰ってくるまでの午前中に溜まっていた事務仕事を片付けようとパソコンを開いたが、気もそぞろで全く進まなかった。
理由は、弟の翔太から聞いた言葉だった。
お父さんが……現れた。
先週、翔太が昼休憩の時に職場の近くを歩いているところで見つけたらしい。
最初は見間違えかと思ったが、目があったら慌てて引き返していったので間違いない、と言うのだ。
「絶対アイツだよ。俺の顔を見たら慌てて目を逸らして逃げていった。エラく汚なくなってたけど……」
「でもさ……その1回だけじゃ分からないでしょ?」
「実はその後も2回見たんだ。2回目は俺も仕事中だったし、大事な会議があったからチラッと見ただけだった。でも3回目は声かけたんだよ」
「で、どうだったの?」
そう言いながら、自分が手のひらにベッタリと冷や汗をかいてるのが分かる。
聞きたい……けど、聞きたくない。
「失敗した。『おい!』って言ったら逃げられたよ。声かけずにさりげなく近づけば良かった。そしたら逃がさなかったのに」
「そんな……犯罪者じゃないんだから」
「犯罪者だろ、あのクズは。アイツのお陰で俺も姉さんも母さんもどうなった? 捕まえてたらボコボコにしてやりたかったのに」
翔太はそう言うと、舌打ちをしていすずちゃんの煎れてくれたコーヒーをグッと飲んだ。
「とにかく、今度は姉さんの所にも現れるかも知れない。気をつけろ、って言いたかったんだ」
「……うん、分かった」
お父さんが……私に。
いまさら……何を、話すの?
お父さんなんて……呼べる自信ないよ。
私はお父さんが大好きだった。
いつも気弱そうに微笑むお父さん。
でも、家族のために頑張ってお仕事や旅行の計画を立ててくれた。
家族を引っ張るタイプじゃなかったけど、頼りなくて……でも一生懸命なのがほっとけなくて、家族みんながお父さんを助けてあげよう、って1つになってた。
そんな家族だった。
なのに、そんなお日様みたいなお父さんは、お日様なんかじゃ無かった。
1つになってた私たちは見るも無惨にばらけた。
(楓はいつか色んな人を暖かく照らすお日様みたいになるよ。だって、今もパパやママ、翔太はお前のお陰で笑顔になってるんだから)
8歳の頃にお父さんに言われた言葉。
今でも、ふと浮かんでくる。
知らず知らずにお日様みたいな人になりたい、と思ってしまう。
そんな自分が嫌だ。
私たちを裏切ってどん底に落とした憎い奴。
でも……それでも……時々思う。
お父さん、大丈夫かな?
どこかで幸せになってるかな?
身体、壊してないと良いけど。
生活できてるのかな……お金有るのかな?
そんなことを色々と考える。
私はホッとため息をつくと、パソコンに向かった。
お父さんが私の前に現れるのか。
それは分からないけど、その時はその時だ。
でも、その時は……元気にしてたかどうか確認したい。
元気だったなら……幸せだったなら。
そしたら、お父さんに……
本当にさよなら出来る気がする。
※
始業式な事もあり、子供達はみんなお昼前には帰ってきた。
いすずちゃんたち高学年も同じで、みんなが揃うと午前中の静謐な空間があっさりと戦場になる。
朝は憂鬱だった学校も、行ってしまえばなんて事無いと分かり、その安堵と開放感から特にみんなテンションが高いのだ。
そのため、お昼ご飯の食堂はけたたましい声のるつぼと化す。
ああ……頭痛い。
他の女性指導員と顔を見合わせ苦笑いしていると、いすずちゃんが駆け寄ってきた。
「楓さん、私ご飯食べ終わったので花火受け取りに行ってこようと思います。ホーム長さんには許可頂きました」
「え? いすずちゃん行ってくれるの? いいよ、無理しなくて私たちで行こうと思ってたんだから」
新学期初日が終わり、これから勉強の日々になる子供達への景気づけ、と言うことで愛誠院では毎年始業式の日の夜に、みんなで施設の中庭にて花火大会をするのだ。
そのため、問屋さんに頼んでいた花火を受け取りに行くのだが、それは職員が行っていることだった。
「ううん、大丈夫です。先生方も色々お疲れだと思いますし……少し空いた時間も作れたらな……って」
参ったな。
すっかりお見通しか。
確かにいすずちゃんの言うとおり、私たちは新学期に向けて書類上の手続きに追われていた。
正直申し出は有り難いが……本当に気の回る子だ。
翔太も帰り際に「あのいすずちゃんって子、本当に凄いね。俺、気に入ったよ。良かったらまた3人で時間作って話せると良いな」なんて冗談交じりに言ってたくらいだから。
「有り難う。じゃあ……お言葉に甘えちゃおうかな!」
後輩の指導員がそう言うと、いすずちゃんはニッコリと笑って頭を下げた。
「じゃあ今から行ってきます」
そう言って歩いて行ったいすずちゃんを見送りながら、私も残りの仕事を片付けようと職員室に戻ると、丁度矢野ホーム長が声をかけてきた。
「菅原さん、丁度良かった。悪いんだけどいすずちゃんを追いかけてもらえないかな」
「どうしたんです?」
「問屋さんに渡す花火の引換のための書類。うっかり渡し忘れてて。丁度電話がかかってきてたんでつい……」
「え~、何やってんですか、もう!」
私は苦笑いしながら書類を受け取ると、いすずちゃんを追いかけた。
問屋さんへは歩いて10分程度なので、急げば充分追いつけるだろう。
そう思いながら施設を出て少し歩くと、あぜ道の先にいすずちゃんらしき姿が見えた……が、私は思わず凝視してしまった。
いすずちゃんは見知らぬ男性と何か話してたのだ。
何だろ……あの人?
私は不審者の可能性を感じ、いすずちゃんの所に駈け出した。
そしてわざと大きな声で彼女の名前を呼ぶと、いすずちゃんとその男性は私の方を見た。
「楓さん!」
いすずちゃんはビックリした表情でそう言ったが、私は……そんないすずちゃんさえも目に入らなかった。
私はもう1人の男性に完全に意識が向いていた。
心臓が激しくなり、身体の温度がヒンヤリとするくらいに下がっている。
この人……間違いない。
お父さんだ。
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