いすずの小さな世界(1)【いすず視点】
心地よい夢の途中で小鳥のさえずりが聞こえて、現実に引っ張られた私はゆっくりと目を開けた。
そのまま手を伸ばして、なおもさえずりを続ける鳥小屋の形をしている目覚まし時計を止めた。
夢……
私はゆっくりと息を吐いて、気持ちを落ち着けた。
もうちょっと、覚めないで欲しかったな。
せっかく楓さんと……
そう。
夢の中で楓さんと同じくらいの背になった私は、一緒に夜遅くまでデートして夜景の綺麗なホテル……昨日のテレビに出てた場所。
そこでディナーをしてた。
それから港に行ってお話ししてたら……楓さんは私の唇に……
ああ……思い出すだけで顔が熱くなっちゃう。
楓さんの綺麗な瞳や唇。
それが……
顔がふにゃ、となっちゃった私は慌てて目覚ましを見て、まだ朝食の時間で無いことを確認すると、机の中に隠しているデジタルメモ『パメラ』を取り出す。
お小遣いを貯めて買った宝物。
スケルトン型が可愛くてお気に入り。
それを開くと、さっきの夢の場面を小説として書き込む。
今、書いてる小説。
それに使えそう。
私と楓さんをモデルにした恋愛サスペンス。
養護施設に居る小学生の女の子が、そこに隠された巨大な悪意に対し施設の先生と共に立ち向かい、その中でお互いの気持ちに気付いて……と言うもの。
先生の名前は「かなで」にした。
最初は全然違う名前だったけど、ふと思い立って名前を楓さんから1文字違いにしてみたら、書いてて凄く楽しくなってビックリした。
みんなが振り返る美人で正義感も勇気もあって、賢くて強くて優しくて。
そんなかなでさんだけど、本物の楓さんの魅力の半分くらいしか書けてないのが悔しい。
そのかなでさんは主人公の「すず」の事を愛している。
最新のエピソードで、施設を裏から支配してる親玉、矢田ホーム長……これは矢野ホーム長をモデルにしちゃった。
ふん。
そのホーム長さんに撃たれて倒れたかなでさんが、すずちゃんに「愛してる」って……わああ、恥ずかしい。
そんなクライマックス。
ここから先にぜひ使いたいな……さっきの夢の場面。
夢の場面を書くことに夢中になっていた私は部屋のドアから「……すずちゃん」と聞こえてたのに気付いていなかった。
すごい……本物の楓さんの声が「すずちゃん」って……
「いすずちゃん?」
次の瞬間、楓さんの声がハッキリ聞こえて我に返った私は慌ててパメラを閉じた。
そしてドアの方を見ると、早番の楓さんが顔を覗かせていた。
「ごめんね、いすずちゃん。朝食の時間になっても来ないから心配しちゃって」
「あ、ごめんなさい。すぐに行きます!」
「ううん、いいよゆっくりで。小説書いてたんだね。ゴメンね、邪魔しちゃって。たまには他の高学年みたいにマイペースで食べにおいで。いつも早く来て幼児さん達が食べる手伝いしてくれてるけど、大変でしょ? 今日夏休み最終日なんだし、ゆっくりしてよ」
相変わらず優しいな……うう、つい唇に……目が……
何かドキドキする。
それに新しい髪型、ビックリするくらい似合ってる。
カッコいいな……宝塚の人みたい。
この前、ママと会う前……私が楓さんの言葉に癇癪起こしたあの時。
楓さんが私を抱きしめてくれて、信じられないくらい楓さんの顔が近かった……あの時。
頭の中がポワンとしちゃって、楓さんに吸い込まれちゃいそうだった。
あれ以来、毎晩楓さんの夢を見れてるから嬉しい。
そうだよね……たまにはいいよね。
もうちょっと小説を……楓さんを書いてたい。
「有り難うございます。じゃあお言葉に甘えて、もうちょっとしてから行きます。お手伝いできなくて、ごめんなさい」
「うん、ぜひそうして。そんな夢中になってるのを邪魔したくないから。幼児さん達も矢野ホーム長が入ってくれてるから、私とホーム長で問題なく対応できてるし」
「……え? ホーム長さんって、今は現場対応しないんじゃ……」
「一緒の早番さんが体調不良で休んじゃってさ。急遽ホーム長が手伝ってくれて。ホント頼りになるよね、矢野さん」
「一区切り尽きました。私もお手伝いします」
※
「ほんと、大丈夫? いいんだよ、無理しなくて」
心配そうに言う楓さんに私はニッコリと笑って言う。
「気にしないでください。幼児さんの対応、大好きだから」
それだけじゃないけど。
楓さんも幼児さんの対応が大好きなんだろうな。
とびきりの笑顔を沢山見られるから、私も幸せになっちゃうし。
「いすずちゃん、将来はいい施設の指導員になれるよ。その時はぜひ僕を助けてよ」
「はい。その時はぜひよろしくお願いします」
「駄目だって、ホーム長。いすずちゃんはもっとキチンとした上司の下でお仕事してもらいますから」
「え!? 僕じゃ駄目なの」
「逆にどこがいすずちゃんを引っ張るのにふさわしいか教えてくださいよ」
「えっと……この前、結構な高さの波に上手く乗れたとこ?」
「なんで、何でもサーフィンに繋げるんですか!」
そう言って2人で楽しそうに笑っているのを見て、何故か胸の奥がジクジク痛む。
楓さん、私の時にはあんな風に笑ってくれたり、冗談言ってくれた事ないな……
私が子供だから……
夢の中みたいに同じ背丈になったら、あんな風に笑ってくれるのかな。
そして……夢の中みたいにキスだって……
でも……私はまだ大人になれない。
楓さんと並んで歩けない。
だって、楓さんには……よく分からないけど、私の知らない楓さんが沢山ある気がする。
初めて出会ってから色んな景色を一緒に見てきたし、色々お話しもした。
でも……分からないけど、時々楓さんは私の全然分からない顔を見せる。
悲しそうだったり、悔しそうだったり。
時には怖がってたり。
言葉にしないけど分かる。
そんな顔を見るとき、楓さんがとても遠くに行っちゃう気がして怖い。
何でなんだろ?
もっと大人になりたい。
楓さんと同じ歩幅になって、同じ目線で同じ景色を見れるようになったら。
そしたら、楓さんが私に話していない、大きな苦しみも話してくれるようになるはずだ。
そしたら、楓さんを本当に助けてあげられる気がする。
でも、今は……駄目なのかな?
思い切って聞いてみたい。
でも、何故かそれは絶対しちゃ駄目な気がする。
分からないけど、そんな気がする。
それがたまらなく悲しい。
「いすずちゃん、どうしたの?」
ハッと気がつくと、楓さんが私を心配そうにのぞき込んでいた。
ああ……また……顔が近い。
何でだろ。
この前、あんな近くで顔見てから……前よりドキドキする……
「大丈夫です。なんでもないです」
自分が酷く顔が赤くなっているのが分かって、慌てて顔を逸らす。
「ここはもう大丈夫だから、戻って小説……書いてきて」
突然楓さんが耳打ちしてきたので、さらに顔が火照る。
わわ……心臓が……
これ以上ここに居たらどうにかなっちゃいそう。
丁度幼児さんもみんな食べ終わったとこだし、ホーム長さんも職員室に戻るっぽいからいいかな……
楓さんとホーム長さんを2人だけにしたくない。
こんな事を考えちゃう自分が凄く嫌だ。
わざと割り込もうとしたり、まるで私が小説に出てくる悪者みたい……
そんな事を考えて落ち込んでいると、楓さんとホーム長さんが勤務の事を話しているのが耳に入った。
「……すいません、なので今日は半休で」
「うん、大丈夫だよ。弟さん、来るんだっけ」
「はい。大事な話がある、って。いつもの感じじゃないから心配で」
「だったらそっちを優先して。仕事なんかよりも自分の生活が第一だから」
「はい、有り難うございます」
楓さんの……弟さんが来るんだ。
なぜだか酷く緊張してきた。
失礼の無いようにしなきゃ。
服……もっとちゃんとしたのに着替えよう。
髪は楓さんが居るからいつもちゃんとしてるけど、もう1回確認して……
嫌われないようにしないと。
そう思いながら、正門の方を何気なく見ると、男の子の幼児が2人走って出て行こうとしているのが見えた。
あ……勝手に!
当たり前だけど幼児さんは外出や遊びに行くときは、高学年か先生の付き添いが絶対だ。
でも時々、ああやって隙を見て出て行こうとする子がいる。
まったく……
サンダルを履いて、小走りで正門の所に行くと2人は立ち止まって、誰かと話していた。
背の高い男性みたいだ。
誰だろう?
「小さな子だけで外出たら危ないぞ。ちゃんと大人に声かけたか?」
「ううん。でも大丈夫だよ。先生にいいよ、って言ってもらった」
「本当か? もし嘘ついたらもうお外に遊びに行けなくなるぞ。今から俺が聞いてくるから」
「……先生に言ってくる」
男の人は明るく笑うと、2人の頭を優しく撫でた。
それが何となくだけど、楓さんに似ている気がして心が暖かくなった。
「そうしろ。そしたら大いばりで遊べるだろ?」
あ、そんな事考えてる場合じゃ無い。
私はその男性の所に小走りで向かって、ペコリと頭を下げた。
「有り難うございます。すいません、ご迷惑をおかけしました」
「いいよ、大丈夫。俺も子供好きだから。でもその子達、君の方がずっと大好きみたいだね。凄くしがみ付いちゃってるじゃん」
「いえ……そんな」
「いやいや。所で、菅原楓って言う職員さん居る? 悪いんだけど、声かけてもらえると嬉しいな。弟の翔太が来た、と言ってもらえば分かるから」
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