星の間を駆けるだけ(5)

 いすずちゃんのお母さん、星野百合さんとの面会時間が近くなったのでそろそろいすずちゃんを呼びに……と思っていると、さすがと言うべきか先にいすずちゃんが職員室に入ってきた。

 ……が、私を見ると一瞬ポカン、として少しの間固まっていた。


「あ……大丈夫? ゴメンね。ちょっと気分変えようと思ってさ。……変かな?」


 あ、やっぱり引いちゃったかな…… 

 だけど、いすずちゃんはブンブンと小さく顔を横に振った。


「いいえ! あの、前の髪形も可愛くてよかったけど、今のほうが大人っぽくて楓さんらしいです。楓さんってコンタクトだったんですね? メガネも凄く……知的でい感じ……」


 え? そ、そうかな……

 視力は全然いいんだけど、いすずちゃんにそう言われるなら、これからも伊達メガネ続けちゃおうかな。

 そんな事を考えてた私は、慌てて現実に自分を引き戻した。

 今日は勝負の日なんだ。

 私もいすずちゃんも。


「大丈夫? 緊張してない?」


「はい、私は大丈夫です。でも……楓さんの方が心配で。他の先生に聞いたら朝ごはん食べてなかったらしいじゃないですか。あの……食堂の調理員の人に聞いたら、お昼のパンの余りがあるって聞いたんで、お願いしてサンドイッチ作らせてもらいました。良かったら……」


 そう言っていすずちゃんはラップに包んだ2枚のハムサンドを出してきた。

 そんな事まで確認済みか。

 さすがだな……


「有難う。さっそく頂くね。私は大丈夫だよ。私の事はいいから自分の事だけ考えて。せっかくお母さんと会える機会なんだから」


「……はい」


 そう言いながらも私自身、緊張で気分が悪い。

 こんな風に彼女に関われるのもこれが最後かも……

 百合さんとの話が終わった後、私の正体が全部ばれて……嘘をつかれていた事。

 憎んでいる存在が何食わぬ顔で目の前で保護者面していた怒り。

 そんな感情に満ちたいすずちゃんに変わってしまうのかも……

 そう思うと、たまらなく怖くなってきた。

 

「……ねえ、いすずちゃん。これからもし、人を信じられなくなって誰に頼ったらいいか分からなくなったら。独りぼっちになった、と感じたら藤田優子さん……前に図書館で読み聞かせをしたときの人いたでしょ? あの人に会って全て話して。そうしたら藤田さんがいすずちゃんの支えになってくれるから……ずっと。それを覚えておいて」


 そう。

 最悪の場合に備えて昨日、ゆっこにいすずちゃんの事をお願いしていた。

 明日から……いや、今日からはゆっこが私の代わりにこの子を支えてくれる。

 それで心残りなくこの土地を離れられる。

 もうチケットも取ってあるし、退職届もかばんに入れてある。

 これらの出番が無ければ……泣きたいくらい心からそう思う。


 そう思いながら顔を上げた私はギョッとした。

 いすずちゃんが顔を真っ青にして、唇を震わせながら私をじっと見ていたのだ。


「なんでそんな事言うんですか? お別れ……みたい。嫌……絶対……嫌」


「あ……ゴメン。そういう訳じゃ」


 しまった。

 動揺しすぎて変なこと言った……


「あの、そういう訳じゃなくて、私ももちろん居るけど私だけじゃ頼りないじゃん。だから物足りなくなったら……」


「なりません!」


 初めて聞くいすずちゃんの大声に心臓が飛び上がるかと思った。

 他の職員が居なくてよかった……


「私、楓さんがいいんです! 他の人なんて嫌! 何でそんな事言うんですか……そんな事言う楓さんなんて大嫌い!」


 大……嫌い。

 私はいすずちゃんの始めてみる炎のような怒りに驚き、後悔した。

 そうだ。養護施設の子供のメンタルはそうで無い子とやや異なる。

 特に親しい人間が離れる歳は細心の注意をしないと、養護施設の子供たちは大なり小なり「愛する人に裏切られた」と言う傷を持っているから。


 私は自分の配慮の無さに愕然とした。

 こんなんで……百合さんと向き合えるの?

 いや、何よりいすずちゃんを守れるの?

 私はこの子を幸せにしたい……どんな事をしても。なのに……


 私はたまらない衝動が沸きあがって、いすずちゃんを強く抱きしめた。

 そしてまつげが触れるかと思うくらい、顔が近くなってるのも構わずいすずちゃんの目を見て言った。

 

「ゴメン。私、いすずちゃんが大好きだよ。誰よりも。あなたを見捨てるわけ無いじゃん。世界で一番あなたの事大好きなのに」


 そう……本当は……1人の女性として愛してるの。

 お墓に持っていく秘密。

 いすずちゃんは最初、身体の力が抜けたみたいにぼんやりしてたけど、やがて熱に浮かされたような瞳で「私も……好きです」とつぶやいた。


「うん、有難う。これで仲直り……してくれる?」


「そうじゃない……楓さん。私……私」


 そういすずちゃんが瞳を潤ませながら囁いたとき、入り口でインターホンの音が聞こえた。

 来た……


「ゴメンね、たぶん……お母さんだと思う」


 私は慌ててインターホンを確認すると、やはりそこには……久しぶり……法廷であったとき以来の百合さんの姿があった。

 あの時と全く代わっていない。

 肩まで伸びた髪に儚げな整った容姿。


 私は体の震えを隠しながらいすずちゃんに言った。


「お母さん来たよ。じゃあ……行こうか」


 ※


 いすずちゃんを隣に、私は入り口に向かう。

 目の前には星野百合さんがいた。

 緊張で顔をこわばらせているように見えた。


 私は身体の震えが止まらなくなっていた。

 顔も上げることが出来ない。


 怖い……

 顔を見られた瞬間、百合さんの表情が驚きに変わり「あの……あなた、もしかしてあの時の人」といわれる事が。

 それとも「いすず、この人から離れなさい!」と言われる事が。

 怖い……どうしよう……


 でも、そう思った私の視界の端にいすずちゃんが映った。

 そうだ。私は北極星なんだ……いすずちゃんに好きな人が出来て、星が要らなくなるその日まで。


 私は歯を食いしばると、無理やり笑顔を作って顔を上げた。

 そして百合さんの目をまっすぐ見ながら言う。


「始めまして。私は愛誠院のホーム長代理と女子棟主任の菅原楓です。本日は当施設の規約に則り、星野いすずさんの面会における立会いを勤めさせて頂きます。ご不明点があればその都度おっしゃって下さい」


 そして、百合さんに名刺を渡す。

 ゆっこの言葉が蘇る。


(いいかい。怯えるんじゃないよ。怯えは自分の隙と相手の不信感を産む。君の場合は百合さんが「あれ? おかしいな」と思う可能性があるからね。君は犯罪者の娘の千田楓じゃない。愛誠院の先生でホーム長代理の菅原楓なんだ)


 百合さんは少しの間私の顔を見ていた。

 ばれ……た?

 心臓の音がうるさいくらいに響く、響く……


 やがて百合さんは私に向かって言った。


「お若そうなのに、ホーム長なんて……凄いですね。羨ましい。いすず、あなたもしっかり勉強しなさい。で、ないと底辺になっちゃうよ。あの男みたいに。分かった?」


 首だけ小さく動かしたいすずちゃんに向かって「返事は? どうしたの!」と言うと、名刺をチラッと見てすぐにまたいすずちゃんに向かって言った。


「いすず、久しぶりね。会いたかった」


 そう早口で言うと、私のほうを見て同じく早口で言った。


「すいませんホーム長さん、私この後も用があって……集会が1時間半後にあるんで、早速この子とお話しできたら……大事な用なので、しっかりと話したいんです」


「は、はい。もちろんです。こちらに面談室があるので、そこで」


 そう言いながら私は戸惑っていた。

 想像と……違う。

 7年前……法廷で見た百合さんはもっと繊細だけどふんわりした少女のような人だった。

 それが……

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