星の間を駆けるだけ(4)

 いすずちゃんの言葉を私はすぐに理解することが出来なかった。

 百合さんが……怖い?

 

「いすずちゃん……それって……」


「私、ママにずっとほったらかしにされてたんです。最後にママが出て行ったときの後ろ姿……今でも夢に見ます。……私、ママに嫌われてるんです。当時、訳も無く良く叩かれてたし。ママは私のパパ……私が1歳の頃に離婚しちゃったみたいだけど……男の人が怖い気持ちが我慢できなくなったみたいなんです。その後、変な宗教に夢中になって……私が邪魔になってたんです」


 いすずちゃんは私を抱きしめる腕にさらに力を入れると続けた。


「ママに会いたい……ずっと会いたかった。でも、ラインが来ていざ本当に会うとなると……怖いんです。本当に愛してくれるのかな? 私とまた家族になってくれるのかな? また叩かれるのかな? って」


 そうか……百合さんは、お父さんとの事がそんなに……

 そして、いすずちゃんの身体が微かに震えているのが伝わってきた。


「楓さん、無理にママと会わなくて良いです。ママ、すっごく怒りっぽいからみんな怖がってるんです。楓さんもそうなんですよね。楓さんには辛い思いして欲しくない。大丈夫、私は強いからへっちゃらです」


「でも……あなたも不安なんでしょ?」


「でも、自分の親ですから。ちゃんと1人で……話せます。だから楓さんはお仕事お休みしてください」


 いすずちゃんの身体と声の震えを感じながら、私は自分に激しい怒りを感じた。

 私は……馬鹿だ。

 自分の事ばっかり。

 菅原楓、あなたはどうしたいの?

 バレるかも……とか、贖罪とかじゃない。

 私はどうしたいの?

 そう、私は……いすずちゃんに笑ってて欲しいんだ。


 そう考えながら、私はいすずちゃんの胸に顔を埋めながらごく自然に口から言葉を出した。


「一緒に……会おう。星野百合さんに」


「え……」


 いすずちゃんの驚いたような声が聞こえる。


「でも……楓さん……あんな変な風になっちゃうくらい嫌なんじゃ……」


「大丈夫。私は大丈夫だから。……一緒に歩こう、いすずちゃん。私は北極星なんでしょ? 北極星は何があっても消えたりしないの」


 そうだ。

 いすずちゃんが私を見ている限り、逃げない。

 だって私が逃げたらいすずちゃんは、向き合えない。

 だったら……そうだ。

 だったら、私はいすずちゃんに嫌われたっていいじゃないか。

 嫌われちゃうその瞬間まで、彼女のお星様で居たい。


 もちろん、そうならないために出来るだけのことはする。

 バレてもバレなくても。

 いすずちゃんのために出来る全部をやるんだ。


 私はいすずちゃんの胸から顔を上げると、ニッコリ笑って言った。


「ありがと、お陰でスッキリした。さ、帰ろうか! お腹空いちゃった」


 ※


 翌日、私は急遽有給を取った。

 逃げるためじゃない。

 前に進むために。

 

 私は美容院を出ると、手鏡で自分の顔をしげしげと眺めた。

 真っ黒な髪。

 そしてショートヘアなんて小学生の時以来だ。

 それ以来ずっと、天然の茶髪とロングヘアだった。

 そして、目の周囲のラインを隠せるくらいの分厚いフレームの伊達眼鏡。


 うん……別人……だよね。


 そう。

 全ては明日のため。

 星野百合さんに私の正体がばれないための小細工。

 そして……最後のテストだ。

 

 わたしはいすずちゃんと読み聞かせをした森の図書館に車を止めると、中に入った。

 夏休みも終わりに近い事もあり、中は駆け込みで調べ物や読書感想文の課題図書を探す小中学生でにぎわっている。

 そして、カウンターにはゆっこが居た。

 

 私はそんなゆっこに無言で近づいた。

 そしてわざと物言いたげな感じで彼女をじっと見る。

 やがてゆっこは私に気付いたが、笑顔で会釈したので私も同じように笑顔で頭を下げる。

 それからわざと周囲を少しの間キョロキョロと見回す。

 ここまで……4分半。

 私は物言いたげにゆっこを見る。無言で。

 すると、ゆっこは再びにこやかな笑顔で話しかけてきた。


「何かお探しですか? 良ければお手伝いを……」


 そこまで言うと、怪訝な表情に変わり私をじっと見始めた。 

 そして目を大きく見開くとポツリと「楓……?」と言った。


 私は腕時計を確認する。

 6分半。

 百合さんとは1度も声を交わした事はないから、このテストでイケるはず。


「ふむ、ゆっこで6分半か……中々上出来じゃない」


「楓……どうしたの? ……失恋?」


 失恋は余計だよ。

 私は苦笑いしながら言った。


「違うよ。ちょっと明日のためにね」


 ゆっこは私に指を突きつけながらささやき声で言った。


「何かたくらんでるね? 親友をだましてまでどんな事件が起こったのかな……もう1時間で昼休憩なんだ。当然説明してくれるよね?」


 ※


 その後、近くのカフェで私はゆっこに一部始終を話した。

 いすずちゃんと私の事ももう隠すことも無いだろう。

 何より、彼女には今後も色々と協力してもらう事も出てくるだろうし。

 さすがにいすずちゃんへの気持ちは言わないけど。


「なるほどね……いすずちゃんと楓はそういう関係があったんだ……もっと早く言ってくれればよかったのに」


「ゴメン……中々言い出せ無くて」


「いいよ。楓にとってあの事件は特別だ。他人がどうこう指図する事では決して無い。ただ、そうか……お母さんが。しかもいすずちゃんは怯えてるんだね。お母さんが好き、と言う気持ちと怖い気持ちと。で、君はいすずちゃんと一緒に向き合う事にした」


「うん。あの子を1人ではあわせられない。そしたら怖さが先に出て、きっとお母さんと深いところまで話せない」


「だろうね。楓が大丈夫であるなら一緒に居てあげたほうがいい。で……当日ばれないか、だけど。それはなんとも分からない。百合さんが君にどれだけの感心を持ってみていたかにも寄るし。ただ、私は結構だまされたよ。元々茶髪のロングだったのが良かったね。後、そのメガネも効果的だよ」


「……ありがと。それで充分勇気出た」


「後は君の信じるままに。君の勇気や強い思いはきっといすずちゃんにも届いてるよ。今までもずっと……だからばれる事を怯えすぎなくてもいい。自信を持つんだ」


「ありがとう」


 ※


 私は翌日、破裂しそうなくらいの心臓の鼓動を感じながら施設の職員室で座っていた。

 楓……勇気を持つんだ。

 いすずちゃんに納得してもらえる結論を見てもらうために。

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