星の間を駆けるだけ(3)
それからは夢の中に居るようだった。
無言で車を走らせる。
周囲の車のヘッドライトはまるで光の川が流れているようだった。
やがて車は水族館近くの港についた。
幸い、空は雲ひとつ無く澄み渡っていて星が沢山見える。
私はいすずちゃんの方を見ずに車を降りて、駐車場近くの芝生に向かうと、しゃがみこんだ。
気まずくて顔を見ることが出来なかったのだ。
こんな……無理やり。
まるで誘拐……いや、まるでじゃない。
完全に誘拐だ。
とんでもない事をしてしまった。
でも……私には今しか……
「綺麗……楓さん、見て! あれって北極星じゃないです?」
「あ……そうなんだ」
私はぼんやりと星を見上げると、隣に座っていたいすずちゃんの指差す方向にひときわ強く輝く星が見えた。
「はい、北極星って凄い星ですよね。宇宙飛行士とか、パイロットの人ってあの星を頼りにして真っ暗な中を進んでるんですよね。沢山の星があってもあの星を目指している」
「星、好きなんだね。あの北極星、まるでいすずちゃんみたいだよ。あなたは……そんなお星様みたいな人になれる」
そう。私がいなくなっても……
「ううん。私、お星様ってそんなに詳しくないんです。でも北極星だけは好きで。……とっても恥ずかしい事言っちゃいますね。あれって私にとって楓さんなんです」
「え!? 私?」
「はい。私、愛誠院に来た時全部終わった、と思ってたんです。お母さんにも捨てられて、子供の頃からお家のお手伝いばっかりで友達なんて居なかったから、どうやって同年代の子と仲良くすればいいか分からなかったし。勉強ばっかりしてたら、みんなから遠巻きにされて……どうしていいか分からなかった」
そうだった。
会ったばかりのいすずちゃんはいつも暗く沈んだ表情ばかりで、職員との会話と言えば「おはようございます」「ただいま」「行ってきます」「おやすみなさい」くらい。
そんな彼女に対して、私は浅ましいことに(チャンスだ)と思った。
この子の心を開ければ、贖罪になる。
それで私は救われる、と。
それ以降、いすずちゃんに関わり続けた。
彼女への好意も大きかったけど……
私はそんな事を考えながら、体育館座りのまま目をつぶって下を向いた。
自分はそんないすずちゃんを自分の都合で利用していたんだ。
そして、今はこんな誘拐同然の事を。
もう取り返しが付かない。
施設は今頃大騒ぎだろう。
衝動的に連れてきちゃったけど、大変な事をしちゃった……もうおしまい。全部おしまい。
「ゴメンね……いすずちゃん。やっぱり、戻ろう……」
俯いたままそう言いかけたとき。
いすずちゃんがどこかに電話しているのが聞こえた。
「……はい、星野です。すいません。今、菅原先生と港に来ています。私がどうしても行きたい! まだ帰りたくない! ってわがまま言っちゃって……根負けして連れてきてくれたんです……はい、本当にすいません……え? なんで連絡をしないか? だって施設に連絡したら戻らないと行けないじゃないですか。だからヤダ、って菅原先生に電話させませんでした」
え……
「何で……違う……」
そう言いかけた私に向かって、いすずちゃんは電話したまま人差し指を唇に当て「静かに」と言うゼスチャーをした。
「はい。でも、もうちょっとだけここに居たいんで、それから帰ります。……はい! 戻ったらちゃんと怒られますので。それじゃあ失礼します」
そう一気に話すと、いすずちゃんは電話を切って舌を出した。
「はい、じゃあ責任とって楓さんも一緒に怒られて下さいね。私、あの施設に入って初めて怒られちゃうんだから」
「そんな……私のせいじゃない……ダメだよ、そんなの」
いすずちゃんは私の隣にしゃがみこむと、背中をそっと撫でた。
「楓さんは今までずっと助けてくれた。守ってくれた。でも……何でか分からないけど楓さん、今とっても辛そうです」
そう言うといすずちゃんは泣きそうな表情で私を見た。
「私も楓さんを助けたい。怖かったときも、悲しかったときも楓さんは味方だった。楓さんの言葉で前に進めた。私は私でいいんだ、って思えた。楓さんって言うお星様に向かって、駈けていったらいつの間にかここまで来れた。私、楓さんみたいな北極星じゃない、ちっぽけなお星様です。だけど、今は私を……見てください」
「いすずちゃん……」
こんな……こんな……事って
私は鼻の奥がツンとしてくるのを感じた。
目が……熱い。
目の前がぼやける。
私は涙が溢れるままに嗚咽を漏らした。
すると、私の頭がいすずちゃんの胸に包み込まれるのを感じた。
抱きしめてくれてる……
「話したいことだけでいいです。何があったんです? 私じゃ助けになれないけど……でも、頑張ります」
私はいすずちゃんの薄く、仄かな柔らかさを感じる胸に包まれながら言葉があふれ出してくるのを感じた。
ああ……全部話せたらどんなにいいだろう。
ゴメンね、いすずちゃん。
やっぱり私、あなたが好き。
この星に住んでる誰よりも好き。
一生……おばあちゃんになってもあなたと一緒に居たいの。
お別れなんて絶対嫌なの。
あなたは私が居なくても、きっと友達や彼氏と出会う。
そして、その人達と歩いて行ける。
沢山のお星様に向かって駈けて行けるよ。
でもね、私はダメなの。
私はあなたがたった一つのお星様。
あなたしか見えない。
ねえ……どうしようね?
こんなダメな私があなたの大嫌いな敵だなんてさ……
でも、私はあなたに嫌われたくないんだ。
「私……あなたのお母さんと……会いたくない」
ああ……言っちゃった。
でもいいんだ。
私、いすずちゃんと引き離されたくないから。
すると、いすずちゃんの両腕にグッと力がこもったのが分かった。
そうだよね、やっぱり怒った……よね?
すると、いすずちゃんの言葉が耳に飛び込んできた。
「良かった……私も……会いたくない。ママが……怖い」
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