星の間を駆けるだけ(2)
「……どうしたんです? 大丈夫ですか……」
隣でいすずちゃんの心配そうな声が聞こえる。
でも、それに対して返事が出来ない。
身体が震えているのが分かったし、心臓がキュッと痛い。
運転中じゃ無くて良かった。
「うん……大……丈夫」
私はいすずちゃんから顔を背けて答えた。
今の顔を見られたくない。
どんな表情をしてるのか、分からない。
私が単なる指導員だったら問題なかった。
百合さんと顔を合わせない方法なんかいくらでもある。
でも、私はホーム長補佐と女子棟のユニットリーダーの役職が付いている。
しかも明後日……矢野ホーム長は権利擁護セミナーで講師を行うため不在。
それは私から冷静さを奪うに充分すぎるほどだった。
そう。私は施設代表として百合さんと顔を合わせ、いすずちゃんの事を伝えると共に、百合さんの事も聞かなければならない。
こんな日が来ることも予想はしていた。
最初はそうなる前に別の施設に転職するつもりだった。
いすずちゃんにそれらしく償いをして、それを贖罪として。
でも……今は無理だ。
そうするにはいすずちゃんの存在が大きくなりすぎた。
だから、いつか来るこの日から目を背け続け「百合さんはいすずちゃんをもう捨てたんだ。会うつもりはないんだ」と言う、都合の良い甘い妄想に逃げこんでいた。
どうしよう……どうすれば……
でも、いくら考えても分からない。
「ごめんなさい。私が変なこと言ったからですよね……ごめんなさい」
泣きそうな顔で俯くいすずちゃんを見て、私は混乱した頭の中でフッと浮かんだ言葉を口に出した。
「いすずちゃん、星を見に行かない?」
※
私はどうかしている。
いきなり星を見に行こう、なんて言って車を突然走らせて。
隣のいすずちゃんは戸惑っていたけど、今は落ち着いており時々笑顔でスマホの画面を見ている。
たぶん、百合さんとのやり取りの画面を見てるんだろうな。
それを考えると、私の中にどす黒い感情が汚泥のように流れ込んでくる。
いいよね、親って。
彼女を産んだ。
それ以外に何も与えなくたって、こうして顔を出すよ、って言えば喜んでくれる。
どんなどうしようもない人だって。
百合さん。
私はあなたなんかよりずっといすずちゃんを見てきた。
沢山の事を与えてきた。
彼女のためなら何でも出来る。
何より私は……いすずちゃんを……愛している。
なのにそんな私のちょっとづつ積み上げた世界を、気まぐれでやってきてまるで丸まって落ちてるティッシュのようにポイッと捨ててしまえる。
そもそも6年前のあの時。
百合さんが……黙ってさえ居てくれてたら。
いや、黙らなくても良かった。
警察になんか行かず家に来て、私たち家族に内々で話してくれてさえ居たら……
そしたら、私たち家族は壊れないですんだ。
こんな目に会わなくても良かったんだ。
ねえ、百合さん?
もう満足でしょ?
もうお父さんの事は何も分からない。
どこに居るのか。
生きてるのか、死んでるのかも。
でも、絶対幸せじゃない。
お母さんもこの世に居ない。
弟の翔太も世間で言うブラック企業に贖罪のように勤めている。
翔太は「あの事は忘れた」って言ってるけど、
そして私。
ずっとあの日から時計は止まったまま。
もし、百合さんさえ内々で済ませてくれてたら……そしたら、お父さんを一時的に軽蔑はしただろうけど、賠償金を払ってみんなで泣いて土下座して。
今だって、みんなで償いはしていたけど家族で居られた。
全て壊れなくてすんだ……
なのに……
なのに、私からまだ奪うの。
まだ壊すの。
私はまだ謝り足りないの?
いすずちゃんまで奪われないとダメなの?
……じゃあ、私はどうしたら満足なの?
ねえ、百合さん。神様。
ここまでするなら……もう殺して。
そしたら満足でしょ。こんな思いしなくてもいいんでしょ!
「楓さん、私お腹が空いちゃいました。やっぱり施設に戻りません? みんなも心配してるし……楓さん、怒られちゃう」
いすずちゃんの声でハッと我に返った。
その拍子にバックミラーに移った自分の顔が見えて思わずギョッとした。
別人かと思うくらいに怒りに歪んでた。
こんな顔……いすずちゃんに。
私はさらに動揺した。
あなたにだけは……見せたくなかった。こんな私を。
そんな気持ちがさらに焦りを呼ぶ。
「大丈夫……施設の事は気にしなくて」
そうだ。
どうせ百合さんにばれたらあそこは辞めないといけない。
と、言うよりもう居られない。
いすずちゃんとも会えない。
だったら、怒られるとか知るもんか。
今まで、ずっと我慢してきたいろんなこと。
ちょっとくらい……いいじゃない!
「施設には行ってあるから大丈夫だよ。行こう」
「でも……そんな事、楓さん今日言ってなかった。楓さん、いつもちゃんと……」
「大丈夫だから」
私は有無を言わせない強い口調でいすずちゃんの言葉をさえぎった。
「……はい」
いすずちゃんの戸惑ったような声をどこか遠くに聞きながら、私はアクセルを踏んだ。
もう会えないかもしれない。明後日が最後かも。
私は明後日……いや、その前に辞表を出す事を考え始めていた。
だったら……これが最後かも。
それなら、いっそ……
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