星の間を駆けるだけ(1)

「聞いて……たの?」


 ああ、どうしよう。

 いすずちゃんに聞かれてた……

 

 私は口の中に酸っぱい味が広がるのを感じた。

 冷や汗が……止まらない。

 どうしよう……どうしよう。

 嫌われちゃう。

 いすずちゃんに。


 私は涙が滲んでくるのを感じた。

 あなたに嫌われるのは……嫌だ。

 

「あの……大丈夫ですか? 楓さん」


 でも、いすずちゃんは予想に反して心配そうな表情で言った。


「え?」


 怒って……ない?

 

「ごめんなさい、変な事言っちゃいましたよね、わたし。でも、あの、他はなにも聞いてないんです……」


 私は全身から力が抜けていくのを感じた。

 聞かれてなかった。

 良かった……


 私は深々とため息をつくと、入り口近くのベンチに座った。


「ゴメンね、心配させちゃって。さっきのは……何でも無いから」


「え? そうなんですか。なら良かったですけど……でも、楓さんの様子が普通じゃ無かったから……」


「本当に大丈夫だよ。ゴメンね、心配させちゃって」


 何か言い訳を考えるべきなんだろうが、安堵のせいか全然浮かばない。

 まあいいや。

 いすずちゃんもそこまで詮索する子じゃない。

 何だかドッと疲れが出ちゃった……


「ちょっと昔、人に迷惑かけたことがあって。それを気にしてたの。ゆっこ……藤田さんとは中学からの友達だからさ、お互い色々知ってるの」


「そうなんですね。でも、楓さんも人に迷惑とか……なんだか元気出ました」


「え~! なに、それ」


「だって、それなら私なんて迷惑かけっぱなしでも仕方ないか……って」


「そんな事無いよ。いすずちゃんの方が私なんかよりずっとしっかりしてるよ」


 そんな事を話しながら、私たちは車に乗り込み図書館を出た。

 エラく静かだな、と思い信号で止まってるとき助手席を見ると、いすずちゃんは小さく寝息を立てていた。


 疲れてたんだな……

 今朝も目の下にクマができてたから、緊張であまり寝れなかったんだろう。

 

「お疲れ様」


 小声でつぶやくと、ラジオを消して後部座席に置いたブランケットをいすずちゃんに掛け、車を走らせた。


 すると、隣のいすずちゃんから「起きてますよ」と笑い混じりの声が聞こえてきた。


「あ、起きてたんだ」


「本当は、寝そうだったんです。でも、すっごく楽しかったから寝ちゃうのがもったいないな……って。だから頑張って起きてました」


「そうだったんだ。まさかいすずちゃんにからかわれるとは」


「私だってたまにはこのくらいしますよ」


 いたずらっぽく笑いながら話すいすずちゃんは、いつもと違って見えて新鮮で……ちょっとドキッとした。

 なんか……いいな。

 違った一面だけど、この子はこういう小悪魔っぽい所も可愛いな……


 私は頑張って、冷静な大人の振りをして言った。


「いいんじゃない。そういう意外な一面も男子にポイント高いよ」


 だけど、いすずちゃんはその言葉に表情を曇らせた。


「あの……楓さん」


「え? どうしたの……」


「楓さんは、私が男の子と仲良くしてた方が嬉しいんですか」


 いすずちゃんの表情はどこか固く、緊張しているように見えた。

 な、なんでそんな顔してるの?

 私……なんて答えたら。


 もちろん本心では「そんなの嫌だ!」に決まってる。

 でも、そんな事は文字通り口が裂けても言えない。

 

 そんな事言ったら、いすずちゃんはきっと私を気味悪がる。

 下手したら、私の気持ちに気付いてしまうかも……

 そうなったら……嫌われちゃう。


 私は小さく息をつくとニッコリと言った。


「もちろん! いすずちゃん可愛いし、気も利くし優しいじゃん。絶対男子にモテてると思うよ。気付いてないだけだって。彼氏とか出来たら私、大喜びしちゃうかも」


 うん、これでいい。

 そのはずだったのに……なぜかいすずちゃんの表情がみるみる険しくなった。

 え……


「もう……いいです」


 いすずちゃんはそう言うと、ぷいっと横を向きそのまま話しかけても「はい」「そうですね」としか言わなくなった。

 焦った私は思わずコンビニの駐車場に車を停めると、静かに言った。


「ねえ……どうしたの? 急に機嫌悪くなって。良かったら教えてくれない? 分からなくて……」


 いすずちゃんはやっとこちらに顔を向けてくれたけど、唇を尖らせてふて腐れたような表情をしていた。

 こんな事考えてる場合じゃ無いけど……怒った顔も可愛いな……


「楓さん。好きな人は……自分で決めます」


 いすずちゃんはそう言うと、私の顔をじっと見ていた。

 あ……そうか。


「そうだった……ね。ごめん。そう言えばいすずちゃん、ホーム長が……」


「違います!」


 そう言うと、いすずちゃんはまたもプイッと横を向いてしまった。

 私……何やっちゃったんだろ。


 すっかり途方にくれていると、突然いすずちゃんの携帯が鳴った。

 あ、ヤバい! 施設からかな……でも、許可はもらってるはずなんだけどな。


 慌てて自分の携帯を確認するけど、私にはなぜか着信は無い。

 あれ? こういうときってまず職員に連絡があるはずなのに。


 そう思いながらいすずちゃんを見ると、何か熱心に話してる。

 誰からかな……と、ぼんやり聞いていた私の心臓が次の瞬間、凍り付いた。


「うん……うん。分かった。明後日来るんだね。……うん、ありがとう。ママ」


 いすずちゃんのお母さんが……来る。

 私の顔と立場を知っている人。 

 星野百合さんが……来る。

 それは私にとって死刑宣告だった。

 

 私の事が……バレる。

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