セパレイト・ブルー
いすずちゃんとの夏祭りの翌週の土曜日。
夏休みも残り半月と言う事もあり、愛誠院の子供もさらに一時帰宅の子が数名出てきて、施設の中はいすずちゃんとほか低学年の子が3名ほどとなっており、せみの鳴き声や敷地内の木々のざわめきまで感じるくらいに静まり返っている。
同僚の先生も子供の少ない時期に夏季休暇を消化するため、今日は日中は私1人だ。
そのため、同じくしんとした職員室に入ると、そこには夜勤明けの矢野ホーム長がソファに寝転がっていた。
(うわ、寒い……)
矢野さんは引き締まった体格に似合わず暑がりで、そのせいかいつもキンキンになるほど低い温度でエアコンを付けるため、一部の女子職員から不満を訴えられていたけど毎回あの困ったような笑顔ではぐらかされてしまう。
全く、お得な人柄だよね……
ま、かくいう私もなんだかんだ言って矢野さんは憎めない。
矢野さんも元々この施設育ちで卒業後、いったん自立したが児童福祉の専門学校に入り、卒業後指導員としてまた愛誠院に戻ってきていたので、子供たちやこの施設への愛着はひとしお、と言うところも人望を集めている理由かもしれない。
しかし……
甚平を着崩した格好で寝転がっているせいで、お腹が丸出しだ。
全く、女子の目とかほんとに気にしないんだな。
黙ってると、スマートなイケメンなのにそんなだから30前でも彼女も居ないんだよね……
起こすのも悪いので、隣の仮眠室からタオルケットを持ってくると矢野さんの身体にそっとかけようとした。
すると、矢野さんは薄っすらと目を開けた。
「あ、菅原さん。おはようございます」
「おはようございます。お疲れ様です。そんな格好で冷えた部屋に居たら風邪引きますよ。はい、タオルケット」
「いやいや、大丈夫です。それかけると暑いんで」
「え~! いやいや、この冷えた室内で冗談ですよね! かけたほうがいいですって」
「あの、本当に大丈夫です」
「ダメです! ここで寝るならかけてください。嫌なら、無理にでもかけますから。ほら!」
そう言ってタオルケットを無理にかけようとして、矢野さんはそれを払いのけようとする。
そんな幼稚な攻防をしながらお互い笑い声を上げていると、ドアのほうから「あの……」と言ういすずちゃんの小さな声が聞こえた。
振り向くと、彼女は参考書を抱えて立っていたが、なぜか表情は硬かった。
「あ、いすずちゃん。おはよう。どうかした?」
だが、なぜかいすずちゃんはすぐに答えようとせず、目を逸らしている。
あれ……?
「いすずちゃん、それ参考書だね。勉強、分からないところがあるのかな。良かったら見ようか?」
矢野さんがそう言うと、いすずちゃんはムッとした表情で参考書を隠すように抱えなおした。
「大丈夫です……楽しそうでしたね。お邪魔してすいませんでした」
早口気味にそう言うと、ぺこりと頭を下げて出て行った。
「どうしたんだろ?」
いつでも柔らかい笑顔を見せるあの子にしては珍しい。
なにかあったのかな?
今日は事務仕事も少ないし、後で話し聞きに行ってみようかな……
※
「ありがとう、菅原さん。手伝ってもらっちゃって」
帰りにそのまま近くの海に趣味のサーフィンをしにいくので、私は車に荷物を運び入れるのを手伝ったが、矢野さんは何度も頭を下げながらお礼を言ってくれた。
「いいんですよ。この程度。って言うかサーフィンってこんなに荷物あるんですね。板だけでいいかと思ってました」
「まさか。色々とお金もかかるんですよ。今度やりません? 教えますよ」
「いやいや! そんな柄じゃありませんって」
そう言って笑っていると、額から汗がいくつも伝ってきた。
わあ、今日はやっぱ暑いな……
「ホント、すいません。良かったらこのタオル使ってください。汗、かいてますよ」
そう言って矢野さんは自分のかばんから新品のタオルハンカチを出してくれた。
そして、クーラーボックスから麦茶のペットボトルも出すと渡してくれた。
「有難うございます、すいません」
「いえいえ、もっと早くお渡しすればよかった。気が利かなくてすいません」
そういって恥ずかしそうに笑う。
「矢野さん、もっとそういう所を前面に出したほうが良いですよ。そしたら女性にもてますから」
「え~! じゃあ普段ってダメですか」
「う~ん『もっとがんばりましょう』ですかね」
「酷くないです? 菅原さん」
そう言ってさわやかに笑う矢野さんに私も顔がほころぶ。
「じゃあ連休明けはもっと菅原さんに褒めてもらえるよう頑張ります。じゃあ来週水曜日に」
「はい、お疲れ様でした。良い連休を」
そう言って走り去る車を見送って、一息つくと施設に戻ろうとしたがふと見ると入り口にいすずちゃんが立っているのが見えた。
手にはグラスを持っている。
「あ、いすずちゃんも外に出るんだ? 暑いから気をつけてね」
そう言うと、いすずちゃんは目を逸らしながら言った。
「こんな格好で外になんて出ません。お茶だって持ってるし……」
「あ、そうだよね。確かに……ごめん」
「おしゃべり、楽しそうでしたもんね。ペットボトルやハンカチまで……そりゃ、私に気なんて向かないですよね」
「え!? そんな事ないよ。あ、それもしかして私に?」
「ち……ちがいます。これは……えっと、自分で飲もうと思ったんです!」
そう言っていすずちゃんは持っていたグラスのお茶を一気に飲むと「サーフィン、楽しんで来てください」と言って、私の方を見ようともせずに戻って行った。
え……何なの?
※
私は、しんと静まり返った職員室で、事務仕事をしながら窓の外のせみの声を聞いていた。
外の日差しは室内からでも突き刺さるように強い。
さっきのいすずちゃん……なんだったんだろ。
ぼんやりと考えてたけど分からない。
ま、いいや。
あの子だって小学6年生だ。
色々と難しい年頃になる。
大人に何でも愛想良くしたり、オープンにする事を嫌がるようになるしそれが普通だ。
私たちだって、何でも詮索しちゃいけない。
私たち大人の職員に距離を置くのも成長過程を思えばむしろ、喜ばしい。
そう思い、再び書類に向かっていると携帯が鳴ったので確認すると、弟の翔太からだった。
夏季休暇が取れたので、今週末にこっちに遊びに来るので、食事でもどうか、と言う物だった。
もちろん、大歓迎。
私は顔をほころばせるといそいそとラインを返す。
今週の日曜は休みなので、そこでせっかくだから1日遊ぼうという事になった。
楽しみだな……
ラインを打ち終わって、笑顔のままで携帯をしまって顔を上げると、入り口にまたもやいすずちゃんが立っているのが見えた。
あれ? 今日は良く見るな……
「どうかした? 何かあれば聞くけど」
そう言うといすずちゃんはムッとした表情で言った。
「勉強、教えて欲しかったけど……もういいです。楽しそうにラインしてたし、お邪魔になりたくないから」
そう言ってパタパタとやや大きな足音を立てながら部屋に戻っていく。
……うん、やっぱり予定変更。
あれは、ほっとけない。
私は慌てていすずちゃんの後を追ったがすでに部屋に戻った後だったので、コンコンとノックすると「どうぞ」と聞こえたので、ドアを開ける。
「いすずちゃん、さっきはゴメンね。気付くのが遅れて。勉強だよね? もちろんオッケーだよ」
でもいすずちゃんは何故か、硬い表情を崩さずにうつむいている。
「ねえ、どうかした? 私に何かあったなら話してほしいな。で、ないと私、馬鹿だからわかんないんだよね」
そう言って笑うと、いすずちゃんは「楓さんは馬鹿じゃないです」とつぶやいてから続けた。
「ホーム長さん……仲いいんですか?」
「え? ああ、さっきのか。どうだろうね。まぁ、あんな感じの天然な人だしほっとけないとは思うけどね」
「……ホーム長さんって、カッコいいですもんね」
いすずちゃんが小声でぼそぼそと言うので、私は嬉しくなった。
え? それって……
いすずちゃん、矢野さんいいな、って思ってるの? そういうことだったんだね!
なるほど、それでさっきの態度……
だったら誤解を解いてあげないと。
「全然興味ないよ、あんな人! ホーム長さんと私はお互い『上司と部下でよかったね。お互い異性と思えないもんね』って言い合ってるから。向こうもだし、私もあの人を男性と思ってないよ」
その途端、いすずちゃんは目を見開いた。
「そう……なんですか?」
「そうそう! さっきのラインも弟から。今度の日曜に会うことになっててさ。それでだよ」
その途端、いすずちゃんはさっきまでの硬い表情が崩れ、嬉しそうになった。
やっぱり……いすずちゃんの初恋か。
応援できるといいな……
「あの……楓さん。良かったら、勉強……教えてもらえませんか? ずっと聞きたくて。後、さっきの嫌な態度ゴメンなさい。」
「もちろん! で、それ終わったらよかったらホーム長さんの事も教えてあげるよ」
「え……それは、別にいいです」
キョトンとするいすずちゃんにさらに可愛さを感じる。
よし、この子の望みなら全力で応援しよう。
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