白と色とりどりの花

 浴衣って意外と難しいんだな……

 私は施設の更衣室で1人、帯を締めるのに格闘していた。

 夕方からいすずちゃんと二人で施設近くの緑地公園内で行われる夏祭りに出かけるためだった。


 2日前のビニールプールで彼女が泣き出してしまった件は職員会議でも早速話題に上がり、いすずちゃんの普段からのメンタルケアを進めようと言う事になった。

 

 ただ、まじめで賢いいすずちゃんにあまり多人数の職員、ましてホーム長が露骨に関わったら、却って色々と察してしまい追い詰めるのでは……となり、普段から彼女が懐いている(と誤解されているのだが……)私にケアの役目が任されることとなった。


 もちろん私にとって願ったりかなったりなので、喜んで引き受けてその第一弾として今回の夏祭りがあった。


「本来、夏祭りは職員の大半と、一時帰宅しないお留守番組の子供たちを連れて行くんだけど、彼女にも幼児さんたちのお世話から解放してあげて、一人の女の子として楽しんでもらうことも大事でしょう。一緒にお祭りに行くような同年代の友達がいるといいんでしょうけど……いい機会なので、普段いえない事もぜひ話してもらうよう、菅原さんからもそれとなく、ね」


 ホーム長の矢野幸助さんは、柔和な笑顔でメガネを直しながら言った。


「はい、そうできればと。いすずちゃんも普段から色んなことを我慢しているので」


「僕らも今回の件は反省するところが沢山ありました。本来いすずちゃんみたいな子ほどケアに気を使ってあげないと行けなかったので申し訳ない限りですよ……菅原さん、よろしくお願いします」


「はい」


 と、言う事で施設でのお出かけとは別に、今夜二人で外出する事になったのだ。

 しかし、私はと言えばその前段階の着替えで手こずっていた。

 最近は簡単に帯を締められる浴衣も出ていたけど、後輩の子が祖母からもらったという浴衣があんまり綺麗で、ついそっちを選んでしまったのだ。

 しまったな、こんな日に限って女性職員みんな休みって……


 思わずため息をついていると、更衣室のドアをコンコンとノックする音が聞こえた。


「はい」


 返事をすると「星野です。楓さん、大丈夫ですか? あんまり出てこないので心配になって……」とまさに心配そうないすずちゃんの声が聞こえた。


 ああ……小学生に気遣われるなんて、養護施設職員の恥だよ……


「あ、ゴメンね。もうちょっとで帯、締め終わると思うから」


「……よければお手伝いしましょうか?」


「あ、大丈夫! 自分で出来……お願いしてもいいか……な?」


 尻すぼみで頼りない声になった私……とほほ。

 するとドアの外からクスクス笑う声が聞こえて、ドアが開いたのだが、そこに立っているいすずちゃんを見て、私は言葉を失った。

 ……可愛い。


 黒地に白い花模様、と言う大人が着るような柄だが、逆にいすずちゃんのしっかりした所や、大人びたところをよく現して、息を飲むほど似合っていた。

 そして、髪も乱れなく整えられて隙の無い着付けの具合はまさに「キリリ」と言う言葉が似合っている。

 

「……どうしたんです? あ、わたしの格好って変ですか?」


「ち……違う違う! 逆だよ! すっごく似合ってる。大人っぽくて……綺麗」


 思わずぽろっと「綺麗」と言ってしまったが、その途端いすずちゃんは顔を真っ赤にして、ハンカチをせっせと額に当てていた。


「楓さん、お世辞ばっかり……」


 そう言うと、いすずちゃんは無言で私の背中に回り帯を締めてくれた。


「いや、ホントだよ。私、お世辞って嫌いだから」


「嬉しいです……頑張ったから」


 恥ずかしそうにポツリとつぶやくその声に、つい心臓が心地よく高鳴るのを感じる。

 いけない。いすずちゃんには……罪滅ぼしなんだ。

 間違うな、私。


「楓さんもとってもお似合いですよ。水色に色とりどりのお花が綺麗。華やかで元気の出るところがまるで楓さんみたい」


「え!? そ、そうかな」


「はい。私もこんな柄、欲しいな……」


「うん……そうだね」


 いすずちゃんの言葉に私は即答できなかった。

 養護施設の子供たちは両親となんらかに事情で一緒に暮らせない子が生活する場だ。

 なので、一緒に生活している子供たちのように、欲しい物を比較的自由に買ってもらうことができない。

 基本的に毎月のお小遣いが決まっていて、そこから使っていく。

 もちろん、親御さんが定期的に頻繁に会いに来て、その都度お小遣いを渡すならばその限りではないが……そんな子は見たことが無い。


 いすずちゃんは特に愛誠院に入って以降、一度も母親は顔を出さないので必然的に施設からのお小遣いだけとなる。

 とても新しい浴衣など……

 そう思うと、自分たち一家の事を棚に上げて、星野百合さんへの複雑な感情が、まるで黒い澱のように湧いてくる。

 

 いっそ、私が家族だったら……

 

 そんな言葉が頭に浮かんで、私は慌てて我にかえった。

 私……何を。


 思わず小さく頭を左右に振って、慌ててとんでもない考えを追い出した。

 自分を何様だと思ってるんだ、菅原楓。

 あなたは……世界で一番それを考える資格の無い女だろう?


「……楓さん?」


 その言葉で反射的に振り向くと、いすずちゃんが不安そうな表情で立っていた。


「ごめんなさい、帯……締め方変でした?」


「あ……ごめん! そうじゃない! えっとね……うん! 昨日友達と遊んでてすっごく頭にくることがあったから。それを思い出しちゃって。あの子、絶対違うよね! って」


 そう言って懸命に笑顔を作ると、いすずちゃんも安心したように笑った。


「そうなんですね。ごめんなさい、考え事してるときに。でも、楓さんもそんな事考える事あるんだ」


「もちろん。怒ったり、自分が嫌になったり。しょっちゅうだよ」


 そう言うといすずちゃんは驚いたように目を見開いた。

 

「びっくりです。楓さん、凄くしっかりしてるのに、嫌になったりするんですね」


「……全然だよ。しっかりなんてしてない。いつまでも前に……」


 そこまで言って慌てて言葉を止めた。

 これ以上考えるのは止めよう。


「うん、ありがと! すっごくいい感じ。じゃあ行こうか。お祭り着いたら何食べる?」

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