夏の光とビニールプール
朝から容赦ない夏の日差しが照りつける愛誠院の中庭。
私は倉庫から巨大なビニールプールを出すと、何とか台車に乗せ終わりホッと一息ついた。 今日は朝から特に暑いので、ホーム長に許可をもらい午後に巨大ビニールプールで低学年や幼児の子たちに水浴びをさせてあげようと思ったのだ。
ただ……疲れる。
この日は職員も有給を取っている人が多くて、言いだしたこととは言え私1人で準備は中々のものだ。
何せ、夏場になると私みたいにあまり有休を使わない人間は重宝がられる。
休まない理由は、家に1人で居ても心が沈んでしまうからだ。
夏の日は気を抜くと、あの夜のことが頭に浮かんでしまう。
なので、私はバイト時代から夏場しっかりシフトを入れて、秋から休みを多く取るようにしている。
大きく息をつくと、首に駈けたタオルで顔を拭き水筒の水を飲もうとした……けど、中身が空なのに気付いた。
(あ……もう飲んじゃったんだ。しょうがない、食堂のおばさんにもらってこよ)
そう思っていると、女子棟からいすずちゃんが水筒を持って急いだ様子で出てきた。
「大丈夫ですか! ごめんなさい。すぐに来たかったのに、低学年の子がケンカ始めちゃって……」
「大丈夫だよ、この程度。女を捨てたら案外余裕だから」
「ダメです! 楓さん綺麗なんだから、捨てちゃダメです!」
ムキになって話すいすずちゃんにおかしくなって吹き出してしまった。
「冗談だって。さすがに20代前半で捨てたくないよ」
「ならいいですけど……あ、ポカリ入れてきましたから飲んで下さい。汗かいてるときはお水よりこっちの方がいいんですよ。後、手が空いたから手伝います」
「いやいや、いいよ! いすずちゃんこそ熱中症になるから。ポカリは有り難くもらうけどさ」
「私も大丈夫です。結構力持ちなんですよ」
そう言って、台車にプールを乗せようとしたけど、ビクともしない。
そう、いすずちゃんは運動全般が全くダメで、力も……残念ながら。
でも、完璧超人に見える彼女にもこういう弱点があると思うと、それも可愛らしい。
汗だくになって肩で息をするいすずちゃんに私はもう一枚持っていたタオルで拭いてあげた。
「有り難う。無理してあなたが倒れたら私の寿命が縮んじゃうから。良かったらそこの日陰で見ててもらってもいい?」
しょんぼりと頷いて日陰に入ったいすずちゃんを見て、私は明るい口調で声をかけた。
「よし、積んだ! じゃあいすずちゃん、押すの手伝ってもらってもいいかな? 私1人じゃキツくてさ」
その途端、パッと表情を輝かせて台車に駆け寄る彼女をつい愛おしく見つめてしまう私……はあ。
「頑張りましょうね、楓さん。あ、タオル有り難うございました。洗って返しますね」
「いいよいいよ! 大丈夫。持って帰って洗うから」
「でも……」
「子供がそんな気を遣わなくて良いの」
そう明るく言いながら、いすずちゃんの汗で湿ったタオルを内心ドキドキしながらバッグに仕舞う。
これは大人としての配慮なんだ……
その後、プールの準備も終わって水も入れ終わったので、低学年と幼児たちに声をかけに行く。
その頃には遅番の女性職員も来てくれて、声かけや子供達の着替えを手伝ってくれたけど、何といすずちゃんも手伝ってくれた。
本当に、このままここに就職して欲しいくらいだよ……
「あ、いすずちゃん有り難う! もうみんな着替え終わったんだね」
「はい。ね、みんな。おりこうに頑張ったもんね」
いすずちゃんの言葉に子供達は元気に声をあげる。
そして、子供達はビニールプールに目を輝かせながら歓声をあげると我先に飛び込んだ。 そして、子供達から「一緒に遊ぼ!」とかなりねだられたため、いすずちゃんも水着になって一緒に入った。
さすがにおもちゃで一緒に遊ぶくらいだけど、その姿は本当に楽しそうでこちらも心がほぐれてくる。
「いすずちゃん、エラいですよね。いつも明るく笑顔で」
隣の後輩の遅番職員が笑顔でつぶやくのを聞きながら私も頷く。
「そうだよね。ここの低学年や幼児さんも彼女に助けられてるよ」
「ですよね。まさに人生二回り目、って感じですよね」
「でも、彼女もどこかで辛くなることもあるかもだから、私たちが支えてあげないとね」
「ほんと菅原さん、凄いですよね。嫌みで無く。子供に人生捧げてる感が尊敬ものです」
「そんな事無いよ……」
と、返しながらも内心、そうだろうな……と思っていた。
何しろ罪滅ぼしの一環なんだ。
自己満足なのは分かってるけど、何かしないと息が詰まりそうな苦しさが楽にならない。
お父さん……
どこにいるのだろう。
もし会うことがあれば私はどうするだろう?
想像すると怖かった。
罵詈雑言をぶつけるなら全然いい。
もしかしたら私か弟は……お父さんに。
そんな脳裏に浮かぶ想像を振り払おうと、プールで遊ぶ子供達に目を向けた時。
丁度いすずちゃんと目が合うと、彼女もニッコリと笑って立ち上がろうとした。
その時。
丁度、4歳の男の子が飛びつきながら彼女の水着の肩紐に手をかけたため、引っ張られる形となり……右半分の水着の胸の部分がズレてしまった。
「キャア! ちょっとなにやってんの!?」
後輩職員が慌てていすずちゃんに駆け寄ったが、私は思わず立ち尽くしてしまった。
いすずちゃんから目が離せない……
真っ白で膨らみもほとんどないそれは、刺すような日の光と混じって、非現実的な光景に見えた。
だが、それもほんの僅かな間だった。
いすずちゃんが私の顔を呆然と見るその様子にハッと我に返ると、慌てて駆け寄った。
けど、いすずちゃんの様子がおかしい。
なおも呆然と私を見ると、苦しそうに声を漏らしながら……大粒の涙をこぼし始めたのだ。
「大丈夫? いいよ、気にしなくて。周り男性居ないから」
安心させようと声をかけたが、いすずちゃんは小さく首を振ると「う……うっ……」と声を漏らしたまま、ぽろぽろと涙を流しながら水着を直すと、そのままプールから出て女子棟に駆け込んでしまった。
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