時々大キライな人
「……背中……どうしたの?」
その言葉にいすずちゃんは唇をキュッと結んで目を閉じた。
「どうしても言えないなら無理に言わなくて言い。でも……私を信じてくれるなら教えて欲しいな」
その言葉にいすずちゃんは少しの間視線を動かしていたけど、やがて何かを決めるように目をギュッと閉じると、ポツリと言った。
「……お母さんを……」
「え……」
お母さん。
星野百合さんの事。
でも何で?
「お母さんの事……知ってて……誘惑したんだ、って……」
いすずちゃんは涙混じりの声でポツリポツリと言った。
誘惑って……
あれから5年以上も経つのに?
しかも、そんなのデタラメもいい所じゃない!
同じ学校の子がそんなこと……いや、多分親が話してるのを聞いたんだろう。
それで娘のいすずちゃんを?
しかも、何も悪くないのに……
そう思いながら呆然としていると、突然足下に何かがベチャッと投げつけられた。
驚いて顔を上げると、そこには小学生の男の子が3人ほどこっちを見ていた。
「フシダラな女発見!」
恐らく意味も分かっていないであろう言葉を無遠慮に使いながら、男の子の1人は野球のピッチャーのような動きで今度は、アイスクリームを投げつけた。
それは私たちの前に叩きつけられたが、それに対して身をすくませるいすずちゃんを見て、私の中で何かが切れた。
それはまるで、パパの事件の後の弟を見ているようだった。
それまでの友達から突然嫌がらせを受けるようになり、泣きながら家に帰ってきた弟。
ふざけるな!
いすずちゃんは……私たちは何もしてない!
気がつくと私は男の子たちの所に駆け出し、逃げ出す男の子のうち、投げつけていた子の襟首を掴んでいた。
「話せよ! 先生やお父さんに言いつけるぞ」
男の子の言葉に私は、怒鳴りつけた。
「やってみなさい! 丁度良いからあなたのご両親をここに連れてきて。あなたがこの子にどんな事してたのか、全部言ってやるから! 分かってる? あなたのやったことは立派な犯罪なんだからね!」
犯罪を言う言葉を使った途端、男の子は嘘のように静かになった。
「あの子は何も悪くない。今度、いじめてるの見たら問答無用で親か警察呼ぶからね! 覚えてなさい!」
私はどんな顔をしてたんだろう。
男の子は顔を引きつらせると、私を乱暴に突き飛ばすと逃げて行った。
心臓がまだドキドキしている。
怖かったからじゃない。
悔しさと悲しさからだった。
「……楓さん」
呆然としている私の耳にいすずちゃんの声が聞こえた。
小さく震えている。
振り向くと、いすずちゃんは今にも泣きそうな顔で私を見ていた。
「ゴメンなさい。楓さんまで巻き込んじゃって……私が悪いのに」
「何で? いすずちゃんは悪くないよ」
私はそう言うと、いすずちゃんを強く抱きしめた。
そう。この子は悪くない。
「あなたは何もしていない。親の事を子供が背負う必要は無いの。親が悪い事したら子供も悪者なの? そんなのないよ。あなたは星野いすず。毎日勉強頑張って、下の子供たちのお世話も頑張って、先生のお手伝いもしてくれる優しい子。それでいいじゃん」
そう。
家族は悪くない。
なんでみんなが逃げないといけないの?
いすずちゃんは、私はずっと顔を伏せてないといけないの?
そんなの嫌だ。
せめて……この子はそうなってほしくない。
大人の責任を取るのは子供じゃないんだ。
絶対に。
「あなたは幸せになっていい。胸張っていいんだから」
「楓さん……」
私の胸に顔をうずめて泣いているいすずちゃんの温もりを感じながら、自分への嫌悪感で吐き気を感じる。
ああ、まただ。
善人の振りして、私はこの子に背負わせようとしている。
何が胸張っていい、だ。
私自身が未だに世界の端っこをコソコソと歩いているくせに。
私も弟も未だに世間に頭を下げて生きている。
それなのに、彼女には胸を張れ?
分かってる、単なるエゴだって。
でも……この子には堂々と生きて欲しい。
私や弟と違って、この子の母親は被害者なんだ。
そうだ。
この子も私の父によって人生を狂わされたんだ。
そんな血を引く私が抱きしめてちゃいけないんだ。
私はそっと彼女から離れようとした。
でも、いすずちゃんは私にしがみついてきた。
「いすずちゃん……」
「もうちょっと……ギュッとして下さい」
私はそれ以上彼女から離れるのを止めた。
それで彼女のちょっとでも救いになるなら、これも償いなんだ。
「私のために怒ってくれて……嬉しかった。そんな人、今まで居なかった。……甘えちゃいけない……嫌われちゃう。そう思ってたから」
「……あなたは甘えていいんだよ。もし……誰も居なかったら私が隣に居てあげる。いつでも」
気がつくといすずちゃんをまた強く抱きしめていた。
そして、気がつくと言葉が出ていた。
「あなたの望むようになってあげる。私たちは……同じだから。だから私を信じて。信じて思いっきり甘えて」
「有り難う……ございます。私……楓さんみたいになりたい……なんでなれないんだろ」
「私なんかにならなくていいよ」
「ううん。なりたい。だってわたし……大キライになっちゃう時があるから」
「アイツら? いいよ。自業自得……」
「違うんです……お母さんをヒドい目にあわせた男の人。時々大キライになる……その人の子どもさんとかも」
私は心臓が痛いくらい鳴り響いてるのを感じた。
全身から冷や汗が止まらない。
「許せ……ない……の?」
いすずちゃんは私の胸に顔を埋めて、泣きながら頷いた。
「どこかで幸せにしてるんだろうな……私やお母さんの事も覚えてないんだろうな……って思うと、その人達も……」
そう一気に話すと、いすずちゃんは顔を上げた。
私をとっても不安そうな表情で見る。
「ごめんなさい。こんな事言っちゃって……嫌いに……なりました?」
「……大丈夫。いいんだよ。あなたは間違ってない。……キライになっていいんだよ。その人達が……悪いから」
そう言って私は何とか笑顔を作っていすずちゃんの頭を優しく撫でた。
「うれしい……今ので嫌われちゃったかな? って心配しちゃった」
「嫌いになんてならないよ……私は」
そう、私は嫌いになんかならない。
でも、あなたはそうじゃない。
だって、目の前にいる人こそがあなたの「時々大キライになっちゃう人」だから。
そして、私はそれを隠してあなたを抱きしめてる汚い汚い大人。
いすずちゃんは涙でグシャグシャの顔をホッとしたように歪めると、また私に抱きついてきた。
「楓さんがいてくれたら、頑張れます。楓さんさえ味方だったら私も……強くなれる」
私は何も言わずに彼女の背中を撫でた。
たまらなく怖くなってしまったから。
この温もりがそれを和らげてくれる気がしたから。
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