アイスクリームと泥の跡
疲れた……
私は、アパートの角部屋である我が家のドアを開けるやいなや、玄関の近くに旅行カバンを乱暴に置き、ローテーブルの近くに座り込むと買ってきていたお茶のペットボトルを飲んだ。
4日間有給休暇を取ってて良かった……
昨日今日と母の三回忌のため、故郷に帰っていたのだ。
毎回の事だけど、酷く気疲れする。
出席しているのは母方の親族のみだけど、それでも未だに好奇の目で見てくる人が居るように感じている。
また、子供時代を過ごした土地というのは、私と弟にとってはもはや悪い夢を見せられる場所でしか無かった。
恐らく心労が祟ったのだろう。
弟と住んでいた母は、早朝に突然倒れ弟が救急車を呼んだが手遅れだった。
くも膜下出血だったらしい。
父の事との因果関係は不明だが、私と弟はその事によるストレスだと確信を持っている。
父の逮捕。
それ以来、母は周囲の目と共に経済苦とも闘ってきた。
残りの貯金で引っ越しして、それからは私と弟を学校に行かせるため。
人並みの生活をさせるため、文字通りがむしゃらに働いていた。
私も弟も、周囲の無遠慮な視線や言葉、そして孤立によって不登校気味になっていたのに、そんな私たちのために。
母は幸せだったのだろうか。
最後の時に何を思ったのだろうか……
引っ越してから母は良く言っていた。
(星野さんも、わざわざ訴えなくても良かったのに……)
(なぜ、直接家に来て話してくれなかったの)
これが理不尽な言い分であることはよく分かっている。
でも、私たち家族の偽らざる本音でもあった。
星野さんが警察に証拠の音声と共に訴え出た。
それが我が家にとっての死刑宣告だったのだから。
母も私も弟も。
突然降りかかった辛すぎる現実に立ち向かえるほど、人間できていない。
世界がそっぽを向いたような状況に対して、誰かに責任転嫁しないと心を保てなかった。
父に全責任を持たせる事は自分たちの存在を否定するようで怖かった。
幸せだった十何年と言う時間を、生ゴミのように扱えない。
なので理不尽ではあるけど、被害者である星野百合さんを共通の敵にした。
実際、星野百合さんを共通の敵にすることで、当時の私たちは心のバランスを保っていた。 そうで無ければ今頃、私も弟もこの世に居なかったかも……
そしてその事に私は酷く罪悪感を感じ、それがいすずちゃんへの過剰とも言える干渉になっている自覚はあった。
三回忌は終わった。
もう当分あそこに行く必要は無い。
切り替えよう。
気分を変えたくて、テレビで動画配信でも見ようかと思ったとき、ふと仕事用のバッグに目がとまった。
いや、正確にはバッグに掛かっている鍵だった。
あ、職場の倉庫の鍵……
そう。連休前に倉庫を使った後、うっかりバッグに着けっぱなしで帰ってしまったのだ。
ヤバい! やっちゃった……
倉庫の中には流しそうめんのセットが入っている。
去年近くの竹藪から地主さんの許可をもらって竹を切り、みんなで流しそうめんの台を作ったのだ。
もうすぐ夏休み。
流しそうめんの時期になるので、誰かがチェックしかねない。
良かった、帰省中に確認されなくて……
私は鍵を取ると施設に届けに行こうと思い、せっかくなのでお土産も持った。
家に居てもさっきのやな思い出が浮かびかねない。
子供達の顔でも見れば頭も切り替わるかも。
※
車で行こうかと思ったけど、7月上旬には珍しく気持ちの良い風も吹いていたので、自転車で行くことにした。
こぎ始めると新しく買った自転車はすこぶる乗り心地が良くて、大満足だ。
高かったけど買って良かった。
通勤も自転車にしようかな。
そんな事を思いながら、せっかくだからと緑地公園の中に入り、サイクリングロードを緑を見ながら進むことにした。
木々の香りと風にうっとりとしながら進んでいると、視界の端に飛び込んだ姿に思わずブレーキをかけた。
サイクリングロードの横にはブランコやジャングルジム、大きな恐竜をかたどった滑り台、それに広い芝生の広場があるのだが、そこのベンチに座っていたのはいすずちゃんだった。
(珍しい、あの子が寄り道なんて)
いすずちゃんは超がつくほど真面目な子で、放課後に何だかんだと理由を付けては寄り道する子ばかりの中で、私が知る限り毎回必ず真っ直ぐ帰ってきていた。
ただ、驚いた理由はそれだけじゃない。
ベンチに座る彼女の姿は、とても……寂しそうで心細そうに見えた。
その様子が気になった私は、自転車を降りると押しながらいすずちゃんの方に向かった。
「いすずちゃん」
そう声をかけると、いすずちゃんは弾かれたように顔を上げて、ポカンとした表情で私を見た。
「楓さん……今日、お休みじゃ……」
「施設に倉庫の鍵を返しに行こうと思って。そしたらあなたの姿が見えたから。珍しいね、いすずちゃんが寄り道なんて」
「あの……すいません」
「いいっていいって! 別に責めるつもりないよ。逆に安心した」
「え?」
キョトンとするいすずちゃんに、私は出来るだけ軽い口調で言った。
「いすずちゃんも、子供らしい所あるんだな、って。何か私なんかよりずっと大人に見えるし完璧超人なの! って思うとき有るからさ。あなたはサボるくらいでちょうどいいよ」
そう言うといすずちゃんは泣き笑いのような表情を浮かべると、弱々しく首を振った。
「私……そんなにエラくないです」
「……何かあったの? 良かったら話して」
でもうつむいたまま話そうとしなかったので、私は「ちょっと待ってて」と言うと、近くの自販機に走って、アイスクリームを買ってきた。
私といすずちゃんの分を。
そして、彼女に駆け寄ると何も言わずアイスをいすずちゃんのほっぺに付けた。
「ひゃっ!」
可愛らしい悲鳴を上げる彼女に私は言った。
「バニラクッキーで良かったっけ? 好みの味分からなかったから、私が一番好きなのにしちゃった。あ、これ施設の子達には内緒だよ!」
大げさな身振りで人差し指を唇に当てると、いすずちゃんはようやくクスクスと笑った。
「有り難うございます。バニラクッキーか……美味しそう」
「食べたこと無い?」
「はい。でも……楓さんが好きなら私も好きになろうかな」
「え!? いいよ、そんな気を遣わなくて。あなたにはあなたの好みがあるでしょ?」
「ううん。私、楓さんみたいな女性になりたくて。いっつも明るくて暖かくてお日様みたいで。それでいてお月様みたいに落ち着いてて優しい時もあって。それに……強いし」
そう言っていすずちゃんはまた力なく顔を伏せる。
何があったんだろ……
そう思いながら何気なく彼女を見た私は、自分の顔が強ばるのを感じた。
背中の腰の近くに泥が付いていたのだ。
しかもべったりと。一カ所だけ。
転んで付くようなものじゃない。
明らかにわざとだった。
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