とても心地よい暗闇
養護施設の夜は早い。
と、言っても小学生までだけど。
この愛誠院では小学生は21時くらいには消灯となっているので、どの部屋も真っ暗だ。
ちなみに中高生は22時となっているけど、流石に律儀に守っている子は少なく、職員も見て見ぬふりをしている。
ただ、小学生はそうは行かないので、キチンと巡視をして起きてる子がいたら注意するのだ。
それはこの院では夜勤者の仕事なので、今回は私が回っている。
だけど、灯りの少なくなった院内を回りながら私は全く集中出来ずにいた。
昨日の業務で役所に提出する書類に致命的なミスがあって、市から問い合わせがあったというのだ。
それは子供達の福祉面の補助に関わることなので、正直ショックは大きかった。
期待して任せてくれた院長にも合わせる顔がないし、何より子供達に申し訳なかった。
私は昔からそうだった。
肝心要の所で大きなミスをする。
頑張らなきゃ、と思うのに。
そんな時、人生の中でやってはならない過ちをあんな形で犯した父親を連想してしまう。
結局親子なんだ。
クヨクヨと思い返しながら通路を歩いていると、いすずちゃんの部屋の前に来た。
ふと、少し前までの勉強時間の彼女を思い出す。
出勤してきたら、彼女は自分の分の宿題を終わらせ予習まで済ませて、他の子に教えていたのだ。
私が5年生の時を考えるとまるで異星人だ。
養護施設の子は勉強を教えるのが職員だけで、間違ってもマンツーマンで教えれるほど人員もいないので、学習においてはクラスのほかの子と比べても絶対的に不利だ。
だけど、彼女に関してはそんなハンデを物ともしていない。
私とは正反対だな……
そう思いながら彼女の部屋の特に飾り気の無いドアを診ていると、突然ガチャリと音を立ててドアが開いた。
「あ……楓さん」
いすずちゃんは突っ立ってた私を見て目を見開いてビックリしてたけど、すぐに笑顔で小さく頭を下げた。
「ごめん、ビックリさせちゃったね」
「大丈夫です。寝付けなくて、お水でも飲もうと思ってたんです」
いすずちゃんはそう言うと、私の顔をじっと見て、心配そうに言った。
「……どうしたんです? 目……腫れてます」
「え!? ああ……大丈夫よ。あの、えっとね……何でもない」
我ながら誤魔化し方が下手すぎる!
案の定いすずちゃんは何か感じたようで、表情を曇らせた。
「もしかして……昨日の件ですか? 職員室で職員さんたちがバタバタしてたので、何かなとは思ったんですけど」
ホントに勘の鋭い子だ。
あなたに誤魔化しは効かないな。
「うん、そう。私がやっちゃった。でももう大丈夫だから……」
「なら……良かったけど。ホントに大丈夫です?」
「ホントホント。心配しないで。所でいすずちゃんも寝付けないって、何かあったの?」
「あ、私は全然大丈夫です」
そう明るい口調で言ったけど、いすずちゃんが少し表情を曇らせたのを見逃さなかった。
「これは独り言だけど、もうちょっとで見回り終わるから、食堂で一休みしようかと思ったんだ。たまたま誰か居たらお話くらいしようと思うけど……」
そう言うといすずちゃんにニッコリと笑いかけて、見回りの続きを始めた。
うわあ……なにカッコつけてるんだろ!
これでいすずちゃん居なかったら、かなり痛い人だよね……
自分の鈍さに自己嫌悪になりながら、食堂に行くといすずちゃんが灯りもつけずに1人窓の外をボンヤリと見ていた。
いた……
心臓がドキンと大きく跳ねるのを感じた。
待っててくれたんだ。
そんな深い意味はないんだ。
そう思おうとしても、胸はドキドキしてしまう。
内心の動揺を隠すように、わざとゆっくりと近づく。
「寝てなかったんだね」
よく言うよ、と自分に内心苦笑しながらも言った。
「先生の独り言聞こえちゃって」
彼女はそう言うといたずらっぽい笑顔で私を見た。
「独り言ですけど、私も楓さんに話聞いてもらいたいな、って思ったから」
「私で……いいの?」
「はい。だって楓さんいつも優しいし、なぜかわたしの事気にかけてくれるじゃないですか。私、色んな人から近寄りづらいって思われてる事多いのに」
「そんな事ないでしょ。あなたこそいつも誰にでもニコニコとしてて、優しいのに」
いすずちゃんは困ったような顔で窓の外を見た。
「それは楓さんがいる時だけです」
その言葉に顔がカッと熱くなる。
え? それって……
「実は私……楓さんの事、お姉ちゃんみたいだな、って思ってるんです。私が困ってる時いつも助けてくれるし、親身になってくれる。私姉妹とか兄妹がいないから、もしいたなら楓さんみたいなんだろうな、って」
その言葉は私の胸にチクリと痛みを与えたようで、思わず表情を曇らせてしまった。
お姉ちゃん……
ううん、私はそんなんじゃない。
あなたに対して沢山の邪な気持ちを詰め込んだ瞳で見ているんだよ。
一生背負う罪を少しでも軽くしたくて。
自分が光の側にいるんだ、とひとときでも錯覚したくて。
そのために利用しているの。
あなたを。
そう考えると堪らなく辛くなってしまい、技と明るい口調で冗談めかして言った。
「私なんて腹黒だよ。まるで今の空みたいに真っ黒なんだ。いすずちゃんは太陽じゃない。私みたいな夜の闇みたいな大人になっちゃダメだよ」
私がそう言うと、いすずちゃんはゆっくりと首を傾げた。
「私は……暗闇って好きですよ」
「え? そうな……の」
「はい。だって夜が暗いから電灯とかお星様があんなに綺麗ですもん」
確かにそうだ。言われて見れば……そうだ。
「暗い空って、普通は気付かないけど、星や町の光が綺麗になるように支えている。だから大好きです。まるで楓さんみたい」
いすずちゃんの言葉を聞いて、胸が苦しくなった。
大好き……
そんな言葉を聞いたのっていつ以来だろう。
お父さんの一件があってから、世界はずっと私たち家族に冷たかった。
逃げるか、償いの事ばかり考えてた。
支え。大好き。
聞いてみると、自分がビックリするほどその言葉に飢えていた事が分かった。
目がぼんやりする。
鼻がつんとする。
ああ、ダメだ。
あの夜の事を思い出しちゃう。
ビールを飲むパパ。
おつまみを用意してるママ。
スマホを見ている私と弟。
何の価値も意味もないと思っていた時間。
でも、振り返ると私たち家族が「家族だった最後の時間」だった。
あれから私の人生に家族の時間は存在しなくなった。
そう思うとたまらなく泣きたくなった。
いすずちゃんの前では泣きたくない。
そう思って、せめてもの抵抗で顔を両腕にうずめた。
でも、やがて背中を優しく撫でる手を感じた。
「辛かったですね。大丈夫です、楓さんは悪くないです。私は味方です」
違うの……そうじゃないの……
彼女が真実に気付いたらどう思うだろう。
その時はこの背中のぬくもりも消えてしまうんだろう。
そんな日は来るのかな。
いやだ、来て欲しくない。
いすずちゃんが大好きと言ってくれた暗闇に包まれて私たちは、何も言わずにただそこに居た。
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