第2話 寄り道 ~迂回路(うかいろ)~

寄り道.1


 ――…。白状しよう。…――

 われは、いくつか名を持っているが、アシュヴェルダが本質だ…――


 赤褐色の髪の稜威祇いつぎに声をかけられるほんの少し前――一〇分余り十数分ほど過去のこと。

 いま、かたわらを歩いている闇人……稜威祇いつぎの少年は彼に、そう告げた。


 ――アシュヴェルダ…。


 …《ヴェルダ》……。


 やっぱりだ…と。思わなくもなかった。

 〝声が似ている〟という、それだけの理由で、大切に思っていた友人と他人を混同ごっちゃにしてしまうわけがなかったのだと。


 この《家》を訪れた頃から頻繁ひんぱんに見かけた少年。

 身近みぢかに見ながら、どうして気づかなかったのか…――

 その声を耳にするまで、疑いもしなかったのだけれども……。


 それには、その少年対象が、例の石を手放した事と闇人だった事実が関係しているようだ。


 その都度むけられた過分な笑顔(――さながら好意を押売おしうりするような――)が、捜していた人物らしくなかったのもある。


 つい最近まで距離を維持し、声もかけてくれなかった理由が気にならないことはなくても……。

 いま。浮かれて舞い上がっている彼には、そんな魂胆の見えないあやふやな実態は、どうでもよくなっていた。


 なにはともあれ、見つけた。


 捜していた存在は、息災で、とても近くにいたのだ。

 うち明けられたことで、ひしひしと実感するなかに安堵したセレグレーシュは、その現実がもたらした充足感で、いささか羽目を外していた。


 🌐🌐🌐


 ……真の経年がどうあれ、成人未満に見える若者が三人。


 前後しながら、人が動線として刻みつけた道を外れて、てくてくと。

 ゆるいなだらかともきついともいいきれない、そこそこの斜面しゃめん――雑木ざつぼく狭間はざまぬううように進んでゆく。


 風や生きものに運ばれ落ちた種が、根づくままに放置されたことで奔放ほんぽうに拡大成長した森の延長部。


 中央の円庭に残された森林と異なり、傾斜地けいしゃちに位置し、住む者の都合で伐採間引きされることも採集の手が入ることもあるそれは、密集していたり、人がゆとりをもって行き来できるほどまばらだったりと、草木の密度の差がいちじるしかった。


 あくまでも御園の片隅に残された小さな森の延長。

 高い位置におかれた居住および公共区画へと連なる傾斜においては、ごく一部をかばうもの。

 容認されながら、適宜てきぎに勢力を抑制されもする、きわめて局地的なものだ。


〔……なぁ。あの、満面の(へらへら※)笑いはなんだったの?〕


【 ※ この表現をつけると、まともに答えてもらえない予感(確信)があったので、的を射ていると思ってはいても省略している 】


 六歩半ほど先を行く赤褐色の髪の稜威祇いつぎの背中を視野に意識しながら。

 たずねたのは、青磁色の髪をした十代半ばの男子。

 セレグレーシュだ。


 性根が素直な彼は、わずかに遅れてついてくる少年の正体を知り、実感するひと心地つけると、すっかり気をゆるして、それまでいだいていた相手への不審や反発などは、はじめからなかったもののように接した。


 わだかまりや苦情文句があろうと、別問題としてふところにいれ、きっちり分けて対処してしまえるほど、その存在――《ヴェルダ》に対する彼の思い入れ……信頼はあつかったのだ。


〔話しかけてこなかったことは別にしても、おまえが、ああいったあーゆー態度に出るなら考えが……理由がある気がする。

 最近は、あんな…――(変に能天気で明るくて中身がなさそううすっぺらで、からかってるようで何も考えてないような…そんな)――笑いかたもしなくなったし…〕


〔セレグけだ〕


 ……闇人の言語ではあったが……。

 非常に冷めた答えが、とてもなつかしい呼び方——響きとともに返ってきた。


 たしかに…。

 完璧ではなくとも。その行為には、相応の効果があった。


 あのような姿勢を見せられなければ、セレグレーシュは相手が闇人だろうとなかろうと、そう遠くなく詮索せんさくしていただろうから。

 事実、あの笑顔を見ようと、何度かいどんでいる。


 その都度つど、かすめるまでもなくかわされたので、早々に断念はしたが。

 あの笑顔にこつきがなければ、いつまでも思いだしては追いまわして、相手の真意しんいあばこうとしていたかも知れない。


 それも、かなり厳格に思えた(その頃は、そう思い込んでいた)《法の家》という組織が背景にあり、滅多なことはしないだろうという予測が成りたったからこそのこころみである。


 相手は、どんな能を秘めているのかわからない、程度の読めない闇人だったが、当時のセレグレーシュは、その彼がこの組織に深く組するものと思いこんでいたし、

 観察するなかに害はないようにも思え、その気にさえすれば会話が成りたちそう……と。

 そう推測したからこそ、およんだ冒険だったのだ(――ちなみにセレグレーシュが、笑顔にさらされてもいどんできたことは、その対象にとっては、計算外)。


 友人が見つからない忿恚ふんい蓄積ちくせきするなか、その笑顔は〝冷やかし〟にしか思えず…――

 そういった相手の態度に劇化する反発もあって、意を決するした都度おりに、三度ほど試みて、ことごとく失敗した後は、ならばと。

 徹底して無視を決めこんだのだ。


 苦情のひとつも言ってやりたかったのだが、相手にとり合う気がない以上、(たとえ捕まえることに成功したとしても)労力の無駄になるのは、少し考えればわかることで。

 受けとめかたを変えれば、つかず離れずの距離を維持しながら、セレグレーシュのようすを気にかけていたということにもなるのだが——…。


(そういえば、〝関わる気がなかった〟とか、言っていた気がする……)


 そうしていることに飽きがくれば、また、勝手にいなくなったのかも知れない――そう思えば。


 考えるほどに怒りもやるせなさもつのるのだったが、接することに何らかの抵抗……躊躇ちゅうちょがあったのなら、それも彼らしい気がして。

 その人を前にすれば《闇人》である事実など問題ではなく――どこに躊躇ためらう要素があるのか、まったくと言っていいほど理解できないのだったが、不思議とセレグレーシュの気はしずまったのだ。


 とりあえず、とまどいの中に平静を維持できるていどには。


〔……考査のトラブルがなかったら、ずっと、そうしてるつもりだったのか?〕


〔そうかもな〕


〔納得した…(なんとなく、だけど)…〕


 大人びているようでいても、その闇人……稜威祇いつぎ…。アシュヴェルダには、見た目通りの多感な子供……思春期まっさかりの早熟な少年のように、片意地をはる一面があるのだ。


 もしかしたら、本人は自覚していないのかもしれないが……。

 だから、しっかりして見えるのに、どこか危なっかしくて、なにか無茶していそうで、放っておけない。


 それをもどかしく思うのも、いつまでも腹を立ててしまうのも、突き放されたように感じられる距離感が悲しくなるのも、さらには、さして力になれそうにない自身の力不足・甲斐性の無さが無性むしょうくやしくなるのも、すでに情が移っているからなのだが……。


〔正直、腹が立つけど、でも、おまえには、おまえの事情があるんだろうし……〕


〔われは…。…君に「ヴェル」としか告げなかった〕


 穏便にやり過ごそうと努力していたところに思わぬ言葉を聞いたので、セレグレーシュは、ぱっと顔をあげた。


 それと指摘されたようでもあり、こころなしかかたわらに聞いた口調ことばが沈んでいるようにも思えたので意標いひょうをつかれ、相手の顔、表情を確認するようにのぞきこむ。


〔ぅんと……なに? 名前それなら、さっき、ちゃんと聞いた(忘れようがないし。それって……)――そう呼んで欲しいっていう呼称の指定?〕


〔今日のことを言っているのではない。(あの時は……)やり返されたのかと思った…〕


〔やり返すって……なにを?〕


〔覚えていないなら、いい〕


〔よくない〕


 うやむやにされることに抵抗をおぼえたセレグレーシュが反論すると、対する少年、アシュヴェルダは、こころもち声を低くして、自身が意図する部分(その一部)をうちあけた。


〔われは承諾しょうだくることなく(君の養父がもちいていた通名を……)…補正も誤魔化しもない省略された呼びかたで、君を呼んだからな〕


 たしかに、そうだった。

 こちらから名乗った記憶がないのに、ヴェルダははじめから彼を〝セレグ〟と呼んだ。

 いまさらながら、自分が出会ったときの事——〝を覚えてないだけかもしれない〟という考えが脳裏をぎったが、彼がそう言うなら、それが事実なのだろう、とも。

 思案をめぐらせながらセレグレーシュは、そうしているあいだも地道に歩をきざむ。


 障害物が少なくないので、たがいの位置は(厳密には三者だが、会話しているのはふたり)、いち方向へ向かいながら足場に左右される気のままのゆれを見せ、いちいち変化していた。


〔オレ、自分を人間だと思ってるから、闇人や亜人ほど呼ばれ方にこだわり(は)ないよ。

 ――…べつに、おかしな呼ばれ方、したわけじゃないんだ。全然気にならないし、なにか、やり返すようなことじゃない〕


 というのか――


 相手の発言からは、〝勝手に彼をセレグと呼んだから、こちらが反撃した〟〝やり返した〟みたいな印象をうけた。


 無自覚なセレグレーシュには、自分のどういった行為が反抗と解釈されたのか――そこまでは把握できていないわからないので、どうも、しっくり来ない。


 それでも。秘めるにせよ暴露するにせよ対処様式がどうあれ、闇人は、おのれの名や呼ばれかたにこだわりを持つものなのだという理解はあった。 


〔この髪と目だから、亜人なのかもしれないけど……〕


 セレグレーシュがぽつりと。こぼすように迷いをべると、離れすぎることもなく後からついてくるアシュヴェルダが、そっと疑問を口にした。


〔その気になれば、君は、闇人の名を読みけるのではないか?〕

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