第9話

 はぁー、どうしてこうなったんだろう。


 裕也は今橙佳と一緒に帰り道を歩いていた。


 これは決して裕也から言い出したことではない。


 話の流れで橙佳が「一緒に帰ろう」と言い出し、裕也にはそれを断る度胸がなかったのだ。


「ねぇ、今日は何が食べたい?せっかくだから私がご飯作ってあげる」


「え、いいよ別にご飯ぐらい自分で作れるから」


「遠慮しなくてもいいんだよ。私ゆうくんに食べてもらうために料理頑張ってきたんだから食べてくれても。それとも私のご飯が食べられない理由でもあるのかな?」


「食べます、食べさせていただきます」


「ふふふ、やっぱり私のご飯が食べたかったんじゃん」


 裕也が断ろうとした時橙佳の目は笑っていなかった。


 表情は笑顔なのに目だけが笑っていない。そんな異質な顔をされたら怖くて断ることができない。


◇◆◇◆



「じゃーん、召し上がれ♡」


 裕也の目の前に置かれたのはカレーのような何かだ。


 見た目はカレーのように見えるのだが色が明らかおかしい。


 カレーってこんな体に悪そうな色してたっけ?もしかしてこいつ料理下手なんじゃないか?嘘だろ、あんな自信満々で料理下手くそなんてことがあるのか。最悪だ、これなら料理なんて頼まなきゃよかった。


 裕也は目の前に置かれた皿を見て顔を引き攣らせる。


 これ本当に食べなきゃだめかな?


 チラリと横目で橙佳を見てみる。


 エプロンをつけ、自信満々といった感じに橙佳は裕也の顔を見ている。


 食べるしかないのか…。まさか正解のルートを引き当てたと思ったら今度はこんな間に合うなんて…。


 裕也は覚悟を決め、スプーンで掬うと口元に近づける。


 なんで酸っぱい匂いがするんだよ。こいつカレーに酢でも入れたんじゃないか?


「ちなみに味見とかはしたのか?」


「ううん、してないよ。だって最初にゆうくんに食べて欲しかったから」


「そっか、うれしいなー」


 満面な笑みの橙佳に対して裕也は苦笑いをする。


 頑張れ俺、俺ならいける。早く口を開けるんだ、口よ開け、さぁ早く口を開くんだ。


 食べようとするが体がいうことを聞かない。

本能的にこれが危険だと告げているのだ。


 スプーンを持つ手が震える。


 裕也はその手をもう片方の手で支えるとゆっくりと開いた口の中に入れる。


 はっきり言おう、クソまずい。


 辛いような酸っぱいような味が口の中いっぱいに広がり、食感は生の野菜を丸齧りしているみたいだ。


「どう?おいしい?」


 こんな可愛らしい少女に手作りの料理を振る舞ってもらえているというのになぜだろう、1ミリも嬉しくない。


→「おいしいよ」と言い全て完食する。

→「ユニークな味でとてもいいと思うよ」と言い誤魔化す。


「ユニークな味でとてもいいと思うよ」


 裕也は後者を選んだ。


 男ならいくらまずい手料理を出されたとしても全て食べ「おいしかった」と言ってあげるのが甲斐性だが、前世で彼女すらできたことのない佐藤翔はそんな優しさなど持ち合わせていない。


 佐藤翔にとっては目の前の女子が喜ぶ姿よりも自分の身の安全が優先なのだ。


「そんなに褒めてくれるなんて嬉しい…。おかわりもたくさんあるからいっぱい食べてね♡」


 しかし裕也にベタ惚れしている橙佳にとっては何を言おうとも褒め言葉としてしか聞こえない。


 裕也はスプーンを目の高さまで持ってくるとそれをじっと眺めていた。


◇◆◇◆



「それじゃあ私はもう帰るからまた明日学校でね」


 それからしばらくして橙佳は家に帰って行った。


 裕也はさらに残ったカレーを食洗機に流すと皿を洗い始める。そして鍋に残っていたカレーも全てビニール袋に縛りゴミ袋へと放り込んだ。


「ループから抜け出したのはいいけどまさかこんな目に会うとは…」


 裕也は大きくため息を吐きながらお風呂の湯を入れ、そそまま風呂へと入る。


 そして今日はそのままベッドに入り、眠りについた。


 翌朝いつものように6時すぎぐらいに目覚めた裕也は朝食を済ませ、学校に行く準備をする。


「そういえば今日は燃えるゴミの日か」


 冷蔵庫に貼ってあるゴミ捨て表の曜日を確認すると裕也はゴミ袋を持って外に出る。


◇◆◇◆



 夕方になり日が沈みかけた頃、裕也は家に帰ってくる。


 今日一日も特に変化などはなく平穏な学校生活を過ごすことができた。


 以前との違いといえば橙佳に怯えなくてすんだといったところぐらいだろうか。


 何も起きなかったことともう橙佳に怯えなくて良いという想いが裕也を少し上機嫌にさせる。


 今まで張り詰めていた心が一気に解き放たれたような開放感がそこにはあった。


 鼻歌を歌いながら玄関を開けようと鍵を差し込む。


 その時裕也の鼻歌はピタリと止まり、額からダラダラと汗が流れ始める。


「うそだろ、鍵が開いてる…」


 正直もうこの時点でその場から逃げ出したかった。


 しかし体はなぜかいうことを聞いてくれない。


 玄関をそっと開けると中からどこかで嗅いだことのあるような酸っぱい匂いが家の中から漂ってくる。


 靴を脱ぎ家の中に入る。


 いつもであれば家に帰ってきた後は自分の部屋に戻って荷物を置くところだが、なぜか体はリビングへと向かっている。


トントントントントン


 リビングの扉を開けようと手をかけたとき中から物を叩くような音が聞こえてきた。


 音は一定のリズムで鳴っており、それに混じって鼻歌のようなものも聞こえてくる。


 荒くなる呼吸とは裏腹に体はなぜか中へ入ろうとしている。


「おかえり、やっと帰ってきたんだね。もう時期ご飯ができるから座って待ってて」


 リビングの中、台所に立っていたのは橙佳の姿だった。


 どうしてここに?なんて言葉は出なかった。


 早く逃げなきゃ早く早く早く早く早く。


 心は逃げたがっているのに恐怖のあまり体を動かすことができない。


 顔をそのままに目だけを左右に動かして部屋の中を見渡す。


 壁の端には今日捨てたはずのゴミ袋が置かれており、中を見たのかゴミの中身が床にこぼれ落ちている。


 まずい、見られた。


 そのゴミ袋の中には確か昨日橙佳が作り置きしていったカレーが入っていたはずだ。


 裕也はゴクリと唾を飲み込む。


 するとトントントンと野菜を切っていた手が止まる。


「そういえばゆうくんそのゴミ何だけど…」


 まずいまずいまずいまずいまずい。


「ゴミと間違えて私が作ったご飯が入ってよ。もしかして間違えちゃったのかな?私、ゆうくんのそういうおっちょこちょいのところも好きだよ」


「そ、そうなんだよ。俺としたことがつい、あはははは」


 いけるか?このままなら何とか誤魔化せるんじゃのか?


「そんなわけないよね、ゆうくんもしかして私が作ったご飯おいしくなかった?それとも他かの女に餌付けでもされちゃったのかな?」


 ですよねー、流石に誤魔化せるわけないですよね。


 橙佳は包丁を持ったままゆっくり裕也に近づいてくる。


 あぁ、最悪だ。またこうなるのか。


 裕也は目の端から涙を流すとこの後起こるであろう結末を悟り、ゆっくりと目を瞑る。

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