待ちぼうけ

フロリアンカフェは会員制なので、誰もが入店できるわけではない。

ここに入れるのは魔法使いと、魔法界と繋がりを持った特殊な人間のみである。

外観は、普通の人間にはただの狭い倉庫にしか見えない錯覚魔法が施されている。


現在、店内は数人の魔法使いがいるだけで、比較的空いていた。どれも知らない顔だ。

ここは人間界に腰を下ろしている、魔法使いたちの憩いの場でもある。


窓際の席に座る少女、ルーナはアイスミルクティーをひと口飲むと、本日5回以上はチェックしたであろう壁の時計を再び見た。

そして胸元のブローチに向かって、苛立ちを隠さずに喋る。


「ねぇ、カーター。例の私のバディ、ぜんっぜん来ないんだけど」


一見、ブローチにしか見えない飾りは通信機の役割を果たしていた。通信機の向こう側にいるのは、ベルローズ事務所の所長ーーベン・カーターだった。


「そんなばかな。リアム君にはここの時間と場所も正確に伝えてあるぞ」


突然、ルーナから連絡を受け取ったカーターは、驚いた声で言った。


「飛ばれたんじゃないの?そいつ普通の人間でしょ。途中で怪しくなって、やっぱり来るのを辞めたのよ」


「ううむ……彼は状況的にも、仕事に困っていたようだしそんなことはないと思うが……道にでも迷ったんだろう」


「こんな単純なルートで迷うおバカなバディなら、尚更要らないわ。足でまといだから」


「こらルーナ、そう言わずに。……彼は謙虚で几帳面な性格だ。考えられるとしたら、道に迷った以外の理由しか思いつかないな」


「そりゃ面接は誰だってそう見えるでしょ。本音と本性は隠すに決まってるし、それは魔法使いも人間も変わらないわ。カーターは分かった気になってるだけよ」


「まぁまぁ。それも否定はしないが、私の人を見る目は確かだぞ。彼はいい意味でも悪い意味でも、毒っ気がなさすぎる。透明なんだよ、透明。私は君たちと違って普通の人間で、特殊な能力も魔法も使えないが、人を見る目は長けている自信があるね。少なくとも、リアム君は俺が今まで会ったなかでいちばん……」


「はいはい、分かったから。それはともかく、これだけ遅刻しているのはどんな理由であっても許されることじゃないわ。事前連絡もないんだから」


「そうだなあ。ただ彼は連絡手段がないからな。我々のように特殊な通信機を持っているわけでもないし。突然の風邪や熱とかならうちの事務所に電話をかけてくるだろうし。考えられるとしたら、道中で何かあったんだろう」


「飛んだって可能性はとりあえず除外なのね……」


ルーナが窓際の席に着席して、かれこれ20分以上はたつ。

マイペースを崩されるのが大嫌いな彼女が、ここまで人を待つというのは、上司からの頼みとはいえかなり珍しいことであった。


「でももうこれ以上待てないわよ。今日はせっかくの休みなんだから、貴重な時間を無駄にするわけにはいかないもの」


ルーナの予定プランは決まっていた。バディとの顔合わせは適当に済ませて、その後は映画を見て、ブティックで物色して、欲しい服やブランドがあれば買う。あとはスイーツ巡りをして、美味しそうなクッキーやケーキがあれば買う。

魔法界にない人間社会の娯楽を、ルーナは休日に堪能することを生き甲斐としていた。


「たしかに最近ルーナは出張が多かったからな。せっかくの休息日なのに本当にすまない。有給はプラス一日つけ加えておく。ただ、もう少しだけ、もう少しだけ彼を待って貰えないだろうか。俺は彼に、リアム君にどうしてもここで働いて欲しいんだよ」


「……」


切実かつ殊勝な上司のトーンに、さすがのルーナもしぶしぶ頷いた。


「……わかったわよ。でも、ここでずっと待っていても埒が明かないから、私が彼の自宅へ一度向かうわ。もしいなければ、家での痕跡を使って探知魔法で探す。それでもいいかしら」


「助かるよルーナ!さすがだ!君は自慢の調査員だ」


「はいはい。褒めて伸ばすのが上手なことで……彼の住所は、既にもらった履歴書のコピーがあるから連絡不要よ。また何かあったら連絡するわね」


「ありがとう。俺はまだまだ仕事があるもんで、事務所は夜までいるつもりだ。もしリアムの捜索で行き詰まったら、エルガーとオスカルが力を貸す。細かいことでも、何かあったら気にせず連絡をしてくれ」


「了解。それじゃあね」


通信が途切れると、ルーナは窓の方を向いて、短く息を吐いた。


「カーターにこれほど信頼されるなんて……一体どんな奴なのよ」


机上にあるリアムの履歴書を見ながら、苦々しく呟いた。


○●○


店を後にしたルーナは、早歩きでリアムの家へと向かっていた。

この程度の距離でも、徒歩で向かうのは非常に面倒臭いことこの上ない。魔法を使えば、ワープをしながら移動もできるし、羽を生やして飛行移動をすることもできた。


しかし、人間界で魔法を使うことはご法度であり、何よりルーナの右手にはめられた銀の指輪が許してはくれない。


「チッ。どうして私がたかが凡人のために……。もしそいつがただ忘れていて、すっぽかしただけだったら一発ぶん殴ってやるんだから」


冗談ではなく、本気でそう心に決めながら、ルーナは早歩きで大通りを歩く。


しばらく人間界に住むことになった彼女は、魔法を使えないことに鬱憤が溜まっていた。

お湯を沸かすのもNG、髪を乾かすのもNG、書き物もNG、物を片付けるのもNG、掃除もNG……。今まで魔法で、ルーナが指先を動かしただけで、好きに出来たことが一切できないのだ。


中にはこっそり使うものもいるが、魔法は一度使うと同じく魔法使いには分かる、痕跡が残る。

水風船が弾けると、周囲に水しぶきがかかるように、魔法を使うと細かい残滓が残るのだ。

ただでさえこの英国には魔法使いが特段多く、その分監視している公安も多いため、リスクを背負うのは禁物だ。

魔力残滓を一度でも嗅ぎつけられると、事件現場を検証するかのように念入りに調べられ、再現魔法を構築されると、もう言い逃れができない。

即魔法界に強制送還させられて、二度と人間界へは戻れない。……それが「法律」である。


唯一、ベルローズ事務所で依頼された、調査員の仕事中だけは使うことを許されていた。

もちろん、それにも魔法界の許可がいるので、仕事の案件ごとに、カーターが魔法省に許可依頼の書状を提出するという手間が挟んだが、今のところ魔法界から断られた様子はない。

実のところ、これにはカーターよりももっと上の上の上司、ベルローズ事務所含め、各地の事務所を統括するトップの者とルーナが、昔から顔馴染みの関係にあるのが大きいだろう。

幸いにも、魔法界にも強いコネクションと信頼を持つ彼は、ルーナが仕事をしやすいようにあらゆる融通を魔法省で効かせてくれているようだ。


しかし、仕事に関する移動のためとは言え、一般人がたくさんいるなか、白昼堂々と魔法なんて使えば、人間界を常時監視している公安に即逮捕されてしまうことだろう。

魔法が許されているのは、ルーナの場合は調査員としての仕事中と命の危険を感じた時だけだ。

万が一のことがあって、なんだかんだ自分を置いてくれているカーターの顔に、泥を塗りたくはない。


(それにあのリアムという男……どこかで見たことがある気がする)


ルーナはリアムの顔に、少し見覚えがあった気がするのだが、全く思い当たる記憶がなかった。

しかしそれほど特徴的な顔でもないので、他人の空似だとひとまず思い込むことにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る