面接

ベルローズ事務所は、リアムの住む街から離れた市街地の高台に立っていた。


こじんまりとした一戸建ての作りで、何も知らない人が見たら個人宅にしか見えないことだろう。

緑色の柱や梁はむき出しだが、クリーム色の壁と調和している。屋根から2階までは蔦に覆われている。玄関の近くには赤いポストが立ち、さらに横にはベンチが鎮座している。おとぎ話に出てきそうな外観だ。


思ったより早めの時間に到着できたリアムは、ノックの前にカバンの中身をチェックした。


「忘れ物はなし、と」


あの電話で、面接は事務所で行うので来て欲しいと青年に言われたので、道順をメモした用紙を見ながらここまで来た。

建物自体に着いたのはいいものの、入口のポストは、個人宅向けかと思うほど小さく、表札も看板もない。ベルローズという文字さえ、事務所を多少うろうろして探したが、見当たらない。ここが本当に事務所なのだろうかと不安になってきた。


怪しい活動をする団体だったりしてーーと頭に浮かんだ。しかし、せっかくここまで来たのだから、 辞退するかどうかは、面接を受けた後に決めればいい。そもそもどんな仕事をしているところなのか、まだ何も知らないのだから……。


深呼吸をして、黒茶色のドアをノックする。


「……」


どうしたのだろう。扉の先からは何も物音が聞こえない。もう一度ノックをしてみる。


「……」


案の定、何もない。表札にはベルローズ事務所と書いてあるはずなのに。


扉に耳を当てようと近づけたその時、

ばん!と勢いよく扉が開かれ、リアムの額に痛みが走った。


「おっと、大変申し訳ございません……どちら様でしょうか?」


額を片手で抑えながら見ると、眼鏡をかけた細身の男性が立っていた。年齢は恐らく20代だろう。背が高い。


「り、リアム・グランシーです……」


「リアムさんですね。お待ちしておりました」


「はい……」


細身の男性はそれ以上リアムに構うことをせず、無表情で中へと促した。

不思議なことに、鍵を開ける音どころかドアノブを回す音も全くしなかった。玄関の前まで歩いてくる気配すらもなかった。額の痛みよりも、突如現れた人にリアムは面食らっていた。


「どうぞ中にお入りください」


通された玄関に足を踏み入れると、廊下が続いていた。クリーム色の壁紙は色褪せてはいるものの、左右に飾ってある絵画やブラケットライトは埃を被っておらず、ある程度小綺麗にしているようだ。


「今から、ベルローズ事務所の所長室にご案内致します。私についてきてください」


静かな表情を崩さず、その男性はすたすたと廊下を歩いていく。


ベルローズ事務所の、と言うことはここはあくまで一つの支店に過ぎず、会社で例えるならば本社のような組織が別にあるのだろうか。

しかし、この男性に今は質問する気になれなかった。

取りつく島がないとまでは言わないが、きびきびと動く歩き方や姿勢も、何となく話しかけづらい。歩く速度もそこそこ速いので、急いでついていかねばならなかった。

途中で、資料室やら応接間やら書いてある扉を見つけたが、他に職員はいないのか、電気もついていなければ、リアムらの靴音以外には、何も聞こえてこない。


「こちらです」


廊下を曲がると、突き当たりに扉があった。プレートも何もかかっていない。


「所長が中にいらっしゃいます。ノックしてお入りください」


「分かりました」


入室の直前になって、身体はぴんと緊張に包まれた。

どんな人がいるのだろう。これまでの雰囲気を見たところ、特段怪しい場所でもなさそうで、この生真面目そうな男性の存在もあり、ちゃんとした探偵事務所なのは確信できた。


リアムは深呼吸をして、扉の向こう側にも通る声を出す。


「こんにちは。リアム・グランシーです」


「よく来たね。入りなさい」


男性の柔らかい声が返ってきたと同時に、リアムは扉をゆっくりと開けた。


そこは朝の陽光が差し込む明るい部屋で、頭上の電気は点灯していなかった。

中はそこそこ広く、3つの本棚は横に寄せられている。

部屋の真ん中を陣取る黒いソファに、恰幅のいい顎髭の生えた中年男性が座っていた。右手で葉巻煙たばこを吹かしている。この人が所長だろう。


こちらを見るや否や、「よく来たね」と立ち上がり、笑顔でリアムに握手を求めようとする。すぐさま駆け寄り、笑顔で握り返す。


「こちらこそ。この度はこのような機会を設けていただき誠にありがとうございます」


「そこまで畏まらんでいいさ、気にするな。さぁ、そこに座りたまえ」


所長は煙草をテーブルの灰皿で消しながら、向かいのソファに手をやる。


「は、はい。では」


深々すぎず、浅すぎないように注意しながら、向かいのソファに腰掛けた。

例の細身の男性は、それを見届けると部屋から無言で出ていった。あの人はどういう立ち位置の人なんだろうか。


「私の名前はベン・カーターだ。ご存知の通り、私はこのベルローズ事務所の所長だよ。ちなみに事務所のベルローズって言う名前は、今はもうない、ここからの最寄り駅の名前から取っているんだ。ベルローズ駅ね」


「ああ、それで。どこかで聞いた事のある地名だと思いました」


「ははっ。ベルローズ駅は利用者数のとても少ない田舎の駅だったからね。廃止されて10年以上経つけど、覚えている人はほぼいなくなっちゃったよ。名前は綺麗だから俺は気に入ってるよ」


貫禄のある見た目とは裏腹に、陽気そうに笑うおじさんだった。

カーターは浅く腰をあげてソファに座り直すと、


「さて……まずは応募してくれたこと、ここに来てくれたことに礼を言う。実にありがたいことだ。この仕事はそれなりに人手不足でね、年中人手を募集しているがなかなか定着しないんだよ」


眼差しは真剣ながらも柔和な笑みで、カーターは続けた。


「君のような若い青年が応募してくれたのは、実に僥倖だ。すこし前に2人辞めてしまってねえ……幽霊案件が駄目だったみたいで」


(幽霊?)


疑問に思ったが、とりあえず今は相槌を打っておく。


「そうなんですね」


「まったくだよ。ちなみに、君をここまで案内してくれたのはエルガーと言う。ここの秘書のような立ち位置だが、彼も調査員の一人だよ。すごく無口だけど、有能な子なんだ」


すると、エルガーと呼ばれた男性はトレイにマグカップ2つを載せて、再び入室してきた。室内に珈琲のいい香りが漂った。

テーブルに、それぞれのマグカップが置かれた。小声でお礼を伝えると、エルガーはリアムを一瞥した。視線がかち合ったのは数秒だったが、リアムの方から思わず逸らしてしまう。

まるでこちらを品定めするかのような冷たいに視線に居心地が悪くなり、カーターに質問を投げた。


「あの、この事務所は、どのくらいの人数の方が働いているのですか?」


「5人だよ。私含めてね。ただ私は本部に呼ばれたり、ここで報告書を作成していることも多いから実際に現場には赴かないことが多いのさ。最近はどこも人手不足だから、現場に出向く機会が増えているけどね」


シュガーの袋を破いてコーヒーに入れながら、カーターは答える。


「本部があるのですか?」


「そうとも。ベルローズ事務所は、ひとつの支社にしか過ぎないんだよ。この国、イギリスのね。フランスにはロンサール事務所、ドイツにはベルスタイン事務所が、イタリアにはクロリス事務所がある。名前は国によってあえて違う名前にしているんだ」


「そ、そんなに大きな組織なんですね……ヨーロッパ中にあるんですか?」


会話中でも、コーヒーを美味しそうに啜る所長とは真逆に、リアムは驚いてコーヒーを飲むどころではなかった。ベルローズ事務所は、てっきり個人で活動しているものだと思っていたからだ。


「いいや、さすがに全部の国にはないよ。あくまで私立事務所だし。ここを立ち上げたのはある財閥の一族なんだが、彼らのご先祖が所有していた土地と建物を事務所として再利用しているだけなんだ。意外だったかい?英国全体の依頼を、この事務所の人間が調査しているのさ。大きな機関ではないが、奉仕精神溢れる富豪の坊ちゃんが、少し前に立ち上げた私的な機関さ」


「……へ、へぇ……」


意外どころではない。

創始者は財閥の一族だって?

そこまでの人が始めたのなら、知名度だって高いはず。それなのに、リアムはそんな話を微塵も新聞やテレビでも聞いたことがなかった。


「君が知らないのも無理はない。俺だってここに来るまでは、全く知らなかったんだ。その財閥の坊ちゃんはこちらじゃ、あまり有名じゃないからな。ちなみに昔はね、このベルローズ事務所を含め全ての事務所は総じてブルーシュ委員会と呼ばれていて……」


「は、はぁ」


頭がだんだんくらくらしてきた。

この探偵事務所に関する情報量が多すぎて、カーターの説明が右から左へと抜けていく……。


「おっと、いきなり喋りすぎてしまったな、すまんすまん。この話はまた今度にしよう。仕事に感じてだが、そこまで気を張らなくていいさ。ここは出勤時間も退勤もある程度融通は効くし、閑散期には長い有給も取れる。日給制だが、なかなか悪くないだろう?」


その言葉を聞いて、リアムはぴんと背筋を伸ばした。


「ええ。とても魅力的だと思いました」


「募集をかけるとそこその集まってはくれるんだが、何せ長続きしない人が多いんだ……。この仕事をざっと説明すれば、街の住民のお困りごとを解決する、何でも屋のようなものさ。本格的な事件は扱ったりはしないからそこは安心してくれ。それは警察の仕事だからな。例えばそうだな……動物の捜索から幽霊談、ゴシップの調査などだね」


「探偵事務所らしいですね」


「そうだな。とりあえずはね……こほん。ところでリアム君は非科学的なモノを信じているい?」


「非科学的なモノ、と言いますと?」


「ほら例えば、さっき言った幽霊とか、宇宙人とか。……魔法とか」


カーターは伺うように、リアムの目を見た。

どういう意図の質問だろう。


「……信じていると言えば嘘になります。ですが……」


「と言うと?」


カーターは目を丸くして、身を乗り出す。


「ーー目の前に現れたら、信じると思います」


そんな場面に、まず出くわしたこともないから想像でしかないけれど、リアムの本心だった。


「なるほど……」


可もなく不可もない回答だったが、カーターには悪くない回答だったのか、口元がわずかに緩むのが見えた。そして顎先をなでていた手をパチンと鳴らして、


「俺も君の回答と同じだよ。目の前に現れたら、信じちゃうよな」


と笑った。

しかし、どこか不敵な笑みだ。リアムは少し嫌な予感がした。


「リアム君……」


「は、はい」


澄ました顔に戻ったカーターは姿勢を伸ばして、リアムを真正面から見つめる。リアムの姿勢も自然に伸びる。


「……君は見たところ、コミュニケーション能力もあるし、人柄もいい。そして体力もありそうだ。知らないモノに対しても柔軟な価値観を持って、理解しようとする。君がよければ、ぜひ来週からここで働いて欲しいのだが……」


「えっ」


カーターの言葉を聞いて、リアムは固まった。


「えっと、あの……僕はもう採用なのですか?」


「ああ、もちろんさ。今、私がそう決めたんだ」


得意そうに笑うカーター。

突然の採用通知にリアムは口を半開きにしたまま、驚きを隠せなかった。と言うより唖然としていた。

嬉しいけど……こうもあっさり決めていいものなのだろうか。

面接らしいことも聞かれていない気がするのに。

しかし、これはまたとないチャンスだ。

もう職業相談所には通う必要もない。

顔が嬉しさを伴って、だんだんと火照っていく。


「あ、ありがとうございます!ぜひよろしくお願いします!」


「いい返事だ!快諾をどうもありがとう。今日から君はうちの調査員さ」


「は、はいっ!喜んで!」


嬉しさのあまり、リアムは頬の緩みを止められなかった。それはカーターにも伝わったようで、


「むしろお礼を言いたいのはこちらの方さ。さて、それならば早速入社の準備に入ろうじゃないか。履歴書を持ってきてくれたと思うんだけど、それを渡して、あとは何枚かの書類にサインをしてくれたら今日は帰ってくれて構わないよ。任務にあたっての重要事項の冊子を渡すから、必ず家で熟読してね。仕事前は、電話で場所と任務内容をちゃんと伝えるから安心してくれ」


ウィンクしながらカップをリアムに掲げるカーターとは対称的に、エルガーはと言うと、窓際のデスク付近でバインダーを抱えて立ったまま、無表情を貫いている。リアムを相変わらず冷たく見据えている。

一体なんの意味があって彼はバインダーを抱えているのか、ペンを走らせてメモをしている様子も一切なかった。カーターは話しやすいが、エルガーはどうもリアムにとって苦手なタイプの匂いがする。

彼が自分の採用に、不満を抱いていないといいのだがとリアムは少し不安になった。


「で、でも僕なんかでいいのでしょうか?体力ぐらいしか取り柄がないですけど……」


エルガーのポーカーフェイスを見て、リアムはさりげなく聞いた。


リアムは体力が関わる分野は得意だが、学問面では言ってしまえば平均だ。

調査員というのは、いささか頭脳もそれなりに使う仕事にも思える。そもそもペンキ塗りのような塗装仕事と、ボランティアで近所の子供の家庭教師や、花屋のお手伝いくらいしかやったことがないリアムには、本格的な探偵の仕事というものが、ぼんやりしていて中身が掴めない。学ぶ意欲はあれど、自信があるかと聞かれたら微妙であった。


「ああ、そのことなら安心してくれ。この仕事は必ずしも一人でやるわけじゃない。ペアを組んでやるからね。君は初心者だから、腕のいいバディとしばらくは組んでもらうよ。なぁに、新人研修みたいなものさ。いきなり調査員をみんなと同じペースでやるのは早いし、難しいからね。ああもちろん、研修期間中も給料はきっちり出るから、安心してくれたまえ」


「バディ、ですか」


「そうとも。君と組ませる予定の子は歳も近いし、いい話相手にもなってくれると思うだ。どんな難しい任務もすぐに終わらせてくれる、うちの若いエースだよ。年齢は、君よりも少し若いくらいだ。最初はその子の付き添いと見学だけでもいいから、2人で任務に当たってほしい」


何故か楽しそうに話す、カーター。

して、所長の言葉を聞いて、リアム少し安堵した。


しかし、しかしだーー。


たった一瞬。

ほんの一瞬だが、リアムの心中に何とも言えない違和感の雫が垂れた。


(なんだろう)


何とも言えないその違和感は、泡みたいに掴めばすぐに消えてしまいそうだ。それくらい、一瞬のことだった。

嫌な予感までとは言いきれないし、いい予感かと聞かれたら首を縦に振れない、絶妙なもの。


(まぁいいか。とりあえず仕事が手に入ったんだし)


すぐに考えを打ち消して、カーター所長の話に耳を傾ける。


だがーー。


リアムの直感は間違ってはいなかった。


しかし、この時にリアムが知る由もなかったのだ。


この事務所の秘密に。

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