Under the Storm

夢月七海

Under the Storm


 地球に来てから六年が経つけれど、未だに雨は苦手だ。水が空から落ちてくる、なんて現象、母星ヒーニニアでは起こらなかったから、まだ怖く感じる。

 昨日の夜から、ずっと雨が降っていた。土曜日なのに、出掛ける元気もなくなる。今の私の家はクリーニング屋さんだから、この梅雨の時期は儲け時だと分かっているけれど……。


 二階の窓から外を見て、溜息を吐いた。透明の雨粒が絶え間なく落ちてきて、重なって、重なって、でも空中では一つにならずに、いくつもいくつも降ってきて、うちの真後ろの建物の輪郭や色も、ぼやけさせている。

 ただの水なのに、気温を下げて、空気も湿らせて、何となく不快だ。やっぱり梅雨は苦手だなと、窓枠に寄りかかっていると、後ろの方で足音がした。


「姉ちゃん、出掛けてくるよ」


 顔だけで振り返ってみると、弟のサウぺスだった。子供用の透明なレインコートを着ているので、その下の半袖から伸びた、オレンジ色の肌がよく見える。


「こんなに雨が降っているのに?」

「これくらいの雨、何ともないよ」


 サウぺスは平気そうに笑う。ゼロ歳で地球に渡ってきた彼は、私以上に地球の環境に慣れていた。


「どこ行くの?」

「マモちゃんの家。なっちんとゲームして遊ぶんだ」


 マモちゃんとなっちんは、サウぺスのクラスメイトとの男の子と女の子のことだ。肌の色はオレンジで、背中には小さな鱗がぽつぽつ生えているという、地球人とは全く違うヒーニニア星人のサウぺスのことも、さっくんと呼んで仲良くしてくれている。とても有り難い子供たちだった。

 「いってきまーす」と手を振って、サウぺスは二階の階段を下りていく。ここから一階のクリーニング屋を突っ切って、このことよ商店街内の肉屋さんの二階にあるマモちゃんの家に向かう。遠出じゃないから、サウぺスは大丈夫だと、まだ不安が渦巻く自分に言い聞かせた。


 私は立ち上がり、窓枠から離れた。四畳半の今の片隅に置かれた、自動音声受信装置……地球では、ラジオに似ている母星の機械のスイッチを入れる。

 スピーカーからはしばらく雑音が流れる。けれど、覚えた周波数を勝手に見つけてくれて、そこから聴き慣れてしまった女性タイプの機械音声に切り替わった。


『三十三時一〇七分現在の戦況を報告させていただきます。シーシーズ地方にて、八十六機の無人機が襲来。十七分後にすべて撃ち落としたものの、シーシーズ地方の三十八.三パーセントが崩壊。この襲来の二十一分後、わが軍は宇宙座標五六二八八一の七三六七一九の電波妨害人工衛星を攻撃。七十九分後には全滅したものの、五十二.三パーセントを破壊することに成功――』


 さっきまでとは違う種類の溜息を吐いて、母語が流れ続ける受信機を切る。今日の戦局も一進一退で、まだ争いの決着は着きそうにない。

 サウペスが生まれる直前の七年前に、私の母性は隣の星と戦争を始めた。きっかけは、母性が発明した時間遡行装置だった。


 八年前に母星の属する銀河中に装置が紹介されると、凄まじい反響が来た。非常に希少な物質がエネルギー源であり、一度しか使えないという欠点があったものの、掌の乗るほど小型でも銀河中の時間を好きなだけ巻き戻せるという、これまでにない高性能が理由だった。

 銀河中の星がこの装置を称賛した。だが、母星がこの装置の独占を宣言すると、状況は一変。こちらの好きなように歴史が改変されてしまうと危惧した隣星が、母星を攻撃した。


 それは広範囲に及び、たくさんの死傷者が出た、らしい。この攻撃は殆どの人の記憶に残らず、客観的な記録も皆無だ。理由は、母星の政治家や軍人が、時間遡行装置を起動させて、攻撃の前に隣星を襲ったから。

 時間遡行装置は、それを起動する瞬間を肉眼で見た人たちしか、戻る前の歴史は認識されない。よって、隣星の人々にとっては、何もしていないのに軍事施設がほぼ壊滅するほど攻撃された、という見方になってしまう。これに対して、彼らも反撃をしてくる。


 だが、その反撃も時間を巻き戻してなかったことにして、先制攻撃をする――そんなことを繰り返すうちに、どちらが悪いのか、そもそも隣星からの最初の攻撃はあったのかなど、第三者の介入が難しいほど争いは拗れていき、一年後には、母星も隣星も住民が疎開し、無人機同士の戦いに移り変わった。

 隣星は、どこかにあるはずの時間遡行装置の破壊を目指して無人機を送り込み、母星は隣星が打ち上げた、時間遡行装置の起動を妨害する電波を出している人工衛星の破壊を目指している。一応、停戦の条件として、母星は時間遡行装置の発表前まで時間を巻き戻すことを、隣星は過去の時間遡行装置の開発自体を取り消すことを提案しているが、お互いの条件を一切譲らないため、まだ争いは続きそうだった。


 私は正直、戦争でどっちが勝つかなんてどうでもいい。ただ、お母さんに早く会いたいと、いつも思っている。

 お母さんは、軍事兵器のエンジニアだったために、母星に残っている。地下のシェルターにいるので、安全なはずだけど、それでもずっと心配だ。言葉にはしなくても、お父さんやサウぺスも同じだろう。


 ……雨の量は変わらず、音も同じ単調さで続いている。変な話だけど、雨が降るたびに、雨が降らないはずの母星を思い出す。

 母星はいつでもどこでも雲一つない晴れで、空はメロンソーダみたいな翠色だった。私の故郷のカ゜ジォーラ地方では、一日の半分が夜だ。深い藍色の夜空には、数えきれない星が瞬いている。


 あの夜空を、手を伸ばせば届きそうなほどの星たちを、サウぺスにも見せてあげたい。もちろん、その時はお母さんも一緒に――。

 突然、後ろのリビングで電話の音が鳴ってはっとした。いつも間にか、うとうとしていたらしい。電話を取りに行こうと腰を上げたが、ちょうど切れてしまう。


 外線は一階のクリーニング店にも引いているので、多分、お父さんが取ったのだろう。そう考えて、元の位置に戻る。

 それだけなのに、妙な胸騒ぎがした。急に雨脚が強くなって、音がこちらに迫ってくるほど大きくなっている。気のせいだ、気のせい、だから大丈夫――。


「キュルリャ!」


 お父さんが私を呼んだ。それも、地球の発音ではなく、母星の発音で。

 何かあったに違いない。私は嫌な予感に押されるように、一階に続く階段を駆け下りた。


「お父さん? どうしたの?」


 雨合羽を被ったお父さんが、出入り口の前に立っていた。こちらを向くと、薄い瞼だけが赤色に染まっている。ヒーニニア星人特有の、恐怖と不安の表情だった。


「今、消防団長から電話があって……サウぺスが、用水路に落ちた、と」

「ウソ……」


 信じられなかった。さっきまで、私としゃべっていたサウぺスの笑顔がフラッシュバックする。


「キュルリャは留守番していなさい」

「う、うん……」


 お父さんと一緒にサウぺスを探しに行きたかったけれど、私はただ頷いた。自動で開いたガラス戸から出ていく、お父さんの背中を目で追うだけ。

 クリーニング店のお客さん用のソファーに腰かけた。雨はまだ、憎たらしいほど降っている。激しく流れる川の中に、落ちていったサウぺスの姿を想像してしまい、思わず目を覆う。


「キュルリャお姉ちゃん?」


 自動ドアが開く音がして、男の子の声がした。はっと顔を上げると、入ってきたのは、サウぺスの友達のマモちゃんとなっちんだ。

 一瞬、がっかりしたのけれど、ヒーニニア星人の表情の変化はわかりにくいので、二人には気付かれなかった。どちらも、傘なんて意味ないくらいに濡れていて、頬もびちょびちょだ。目を泳がせながら、マモちゃんが話し始めた。


「ごめんなさい……さっくんとぼくの家で遊ぶ予定だったけれど、近所の友達の家に行こうって話になって、用水路のそばを歩いていたんだ」

「用水路の水が増えていて、流れも速くて、怖いねって言っていたら、さっくんが『これくらい、ぼくは飛び越えられるよ』って、向こう岸にジャンプして……。足は届いたけれど、着地したときに滑って、後ろに落ちちゃって……」


 マモちゃんの後に話し始めたなっちんは、その瞬間を思い出したのか、酷く青ざめていた。これが地球人の恐怖の表情だとは知っているけれど、なんと声を掛けたらいいのか判断つかなくて戸惑った。


「ぼくたちがちゃんと止めるべきでした。ごめんなさい」

「すみませんでした」


 マモちゃんとなっちんは小さな頭を下げて、ますます小さくなる。その直前、二人の目からは涙が溢れ出していたので、私は余計に慌てた。

 ヒーニニア星人にも涙腺はあるけれど、体の構成上、涙が流れ出てくることはない。感情をストレートに表すことができる地球人が羨ましくなった。でも、これ以上二人を不安がらせるわけにもいかないので、必死に言葉を探す。


「大丈夫よ。ヒーニニア星人はイルカと同じぐらい息を止めても平気だから。それに、消防団の皆さんやお父さんが一生懸命探してくれているから、サウぺスはすぐ見つかるわ。だから、大丈夫……」


 この子たちを落ち着かせようとしたつもりが、段々と自分に言い聞かせる言葉になっていた。私も冷静になろうと、深呼吸する。

 それでも二人とも、後悔に押し潰されそうな顔をしていた。当然だ。外出を提案しなければ、サウぺスをちゃんと注意してとけばと、強く思っているだろうから。


 ――時間を巻き戻せたら……。その考えと同時に、閃くものがあった。


「ちょっと、待っててね」


 マモちゃんとなっちんは、いきなりそういわれて困惑しながらも、頷く。私は二人に背を向けて、カウンターの後ろにある階段を駆け上った。

 あの一瞬で思い出したのは、私たち家族が、母星から疎開する前夜のことだった。私は自室で寝るふりをして、隣の部屋のお父さんとこの星に残るお母さんが話しているのをこっそり聞いていた。


『……これ、本当に持って行ってもいいのかい?』

『ええ。私が倉庫を管理しているから、一個くらい、誤魔化せるわ』

『でも……』

『何かあったら、これを使ってね』


 当時はまだ七歳だった私には、謎のやり取りだったけれど、今なら分かる。お母さんは、時間遡行装置をお父さんに渡していた。

 母星の上空には電波遮断する人工衛星があるから、装置は使えないけれど、地球上だったら平気なはずだ。それに、当時は疎開ラッシュで、一家族ごとの荷物を細かく確認できないので、装置もこっそり持ち込めたかもしれない。


 私は、これを探し出して、マモちゃんとなっちんの前で起動させようと考えていた。戻すのは、サウぺスがここを出る直前の三十分ほど前で。

 戻ったら、私はサウぺスが家を出ようとするのを止める。それができなくても、マモちゃんとなっちんが外出を提案しなければ、サウぺスが用水路に落ちる事故は阻止できる。


 二階の居間に入る。お父さんは、大切なものを押し入れの金庫に入れていた。

 金庫は、ダイヤルを回して番号を合わせるという、すごくシンプルな構造で、私は金庫の番号を知らない。でも、ヒーニニア星人の敏感な指先を金庫につけたままダイヤルを回し続ければ、僅かな金庫の振動で、番号を当てられるはず。


 予想通り、金庫はすぐに開けられた。中に入っているものは少ない……。通帳とか印鑑とか、地球人にとっても大切なものと、母星から持ってきたけれど、地球の文明に影響を与えそうだから使えないものの二種類だ。

 実物の時間遡行装置を触ったことはないけれど、画像で見たことがあった。なのに、その装置は、どこにもなかった。


 ……まさか、私が聞いた会話は、時間遡行装置のことじゃなかった? 頭が真っ白になりながら、うろうろと視線を漂わせていると、金庫の片隅に、地球には存在しない半円形の装置を見つけた。

 こちらも、掌に乗るサイズだけど、時間遡行装置ではなく、ホログラム式の記録装置だ。地球の電話の留守番メッセージくらいの短い記録しかできないはずだが、何かが吹き込まれている印である赤いランプがついている。


 ……私は、震える指で再生ボタンを押した。

 半円のてっぺんについたレンズから、扇形に立体映像が立ち上がる。そこにいたのは、お父さんだった。今よりも少し若い気がする。


『キュルリャ、サウぺス。君たちがこれを再生しているということは、私に内緒で時間遡行装置を起動させたいのだろう。だが、ここに装置は存在しない。地球についてしばらくしてから、私が海に捨てた』

「そんな……」


 思わず、通話でもないのにそう言い返してしまった。時間も戻せないのに、どうやってサウぺスを助ければいいの?

 そんな私の反応など見えていないはずなのに、お父さんが一瞬、気まずそうに目を伏せた。


『我々は、最初から間違っていた。自分たちにとって都合よく時間を操ろうなんて、やってはいけないことだったんだよ……』


 お父さんが最後にそう言って、立体映像は途切れた。最後の一言の意図が理解できない。だって、時間が戻せれば、今起きている悲劇も防げるのに、海に捨てたなんて……。

 この場にいたら、お父さんの肩を掴んで、揺さぶりながら攻めたかった。本人がいない今は、無気力に、ここに立っていることしか出来ないけれど。


「……キュルリャお姉ちゃん!」


 真後ろから声を掛けられて、はっと我に返った。目を充血させたなっちんが立っている。いつの間にこっちに来たのか、ぼんやりしていて全然気が付かなった。


「どうし、」

「さっくんが見つかったって! 無事だって!」


 私の言葉を遮ったなっちんの甲高い声は、落雷のように雨の音も一瞬で奪っていった。






   〇






 サウぺスが落ちたと聞いた用水路の傍流を下がっていく途中、小さな橋の手前に、住宅街でも関係ない人だかりがあった。その中に、びしょびしょになったサウぺスが立っていて、しゃがんだお父さんが、その体中をペタペタと触っていた。地球人にとってハグのような愛情表現だ。

 傘もささずにここまで走ってきた私が、「サウぺス!」と叫ぶと、弟はこちらを向いた。そっと歩み寄ってくる彼の前に滑り込んで、私もペタペタと体を触る。しっかりと、生きていると実感ができた。


「良かった……良かった……」

「お姉ちゃん、ごめんなさい、ぼく……」

「いいのよ、もう。こんなこと二度としなかったら……」


 落ち込んだサウぺスに対して首を振る。本当は、無事だったとわかった時から怒ってはいないけれど、少し姉の威厳を見せた。

 しばらく家族でサウぺスの無事をかみしめた後、おずおずとマモちゃんとなっちんもこちらに歩み寄ってきた。私たちがどいてあげると、二人はサウぺスをひしっと抱きしめる。


「さっくん!」「良かったぁ」

「二人とも、ふざけててごめんなさい」


 今もマモちゃんとなっちんはワンワンと泣いている。広い宇宙の中で、こんなに自分のことを大切に思ってくれる友達に出会えるのはとても幸せなことだと、サウぺスもこれで実感しただろう。

 お父さんが、一緒にサウぺスを探してくれた消防団の皆さんにお礼を言っていたので、私も頭を下げていると、この中で唯一の女子高生のお姉さんがいるのに気付いた。みんなと同じように安堵の表情を浮かべているのは、商店街の靴屋の娘さんの由々菜さんだった。


「由々菜ちゃんは、サウぺス君がここに流されることを予想して、網を張っていてくれたんだ。それに引っかかって、サウぺス君は助かったんだよ」

「そうなんですか、ありがとうございます」


 お父さんが深々と頭を下げる。私が驚いて、すぐそばの水路を見ると、確かに水の中に漁師の網が架けられていた。これがなかったら、サウぺスは海まで流されていたと考えると、ぞっとする。

 そんなすごいことをしたのに、由々菜さんは照れ臭そうに「そんな」と手を振っていた。


「サウぺス君の転落事故を知って、なんとなくここに来そうだと、網を張っていただけなんです。助かって、本当に良かったです」

「いえ、傍流のほうは全然探していなかったので、あなたはサウぺスの命の恩人です。――ほら、サウぺスももう一度お礼を言って」

「由々菜お姉ちゃん、ありがとう」


 後ろに来ていたサウぺスも、お父さんに促されてお礼を言う。由々菜さんはこういう状況に慣れていないのか、すごく恥ずかしそうに「いいのよ」と笑っていた。

 雨はまだ降っている。でも、少しだけ、優しくなった気がした。






   〇






 家に帰って、まずサウぺスがお風呂に入り、次に私がお風呂に入った。出てきてから、髪をタオルで拭いていると、お父さんが自室から顔を出して、私と、リビングで一休みしているサウぺスを呼んだ。

 部屋に入ると、お父さんは母星から持ってきたパソコンの前で立っていた。少し震えながら、「これを見てくれ」と、パソコンの画面を示した。


『みんなは地球で元気にしている? 私も元気だよ。

 いきなりだけど、嬉しいニュースがあったので、メールを送りました。

 隣星との話し合いをするために、しばらく停戦することになりました。

 話し合いがどのような結果になるのか全く分かりませんが、これが平和への第一歩になると、私は信じています。

                             お母さんより』


 私とサウぺスは、顔を見合わせた。今日だけでも色々遭ったのに、戦争が終わるかもしれないと聞いても、すぐに呑み込めなかった。

 そんな私たちの心境を量ったのか、お父さんは静かに微笑んでくれた。


「私が地球の言葉の中で一番好きなのは、『止まない雨はない』なんだ。どんなにひどい嵐だって、いつかは必ず終わりが来る。だから私たちは、嵐を耐えることが出来るんだよ」


 私も、お父さんの目を合わせて、微笑もうと思った。でも、口元が揺れて、出来なかった。地球人の涙の代わりだから、きっと仕方ない。サウぺスも同じ顔をしていた。

 外から雨の音はまだ聞こえているけれど、私は初めて、地球の雨を好きになれそうだと思った。























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