第17話 エリア少年、人生を考える
エリアは一瞬全身が熱くなるような感覚に襲われた。茂みの傍で木の幹に手を突き、数分間不快感に襲われていたが……幸運にも吐き気は次第に収まっていった。
──辛うじて嘔吐は免れた。それでも依然気分は悪い。
揺さぶられたら胃の内容物をぶち撒けそうだが、歩いているうちに収まるだろう。口元を手で押さえ、やや前屈みの姿勢でフラフラと木陰から抜け出してきたエリアを不機嫌な様子を隠す様子も無いレンリが出迎えた。
「吐かないで済んだそうですね」
「なんで残念そうにするんですか。僕が嘔吐を免れたことの一体何処に残念な要素があるというんですか……」
「いえ、別に」
この女……嘔吐が性癖だったらどうしよう……そうだったら気持ち悪いな……。
エリアの心配を余所にレンリは彼の体調を気遣う素振りを見せることもなく先程と変わらないペースで歩き始めた。最早自分に対する気遣いが無いことに対しては特に驚かない。
今となってはこいつに異常な嗜好が無ければいいだとか、こいつが事件を起こす前に穏便に済ませようだとか、せめて足は付かないようにしないとだとか──そんなことばかりを考えている。少なくとも故郷にいた頃、自分はこんな人間ではなかった。エリアはそう信じて止まないが、レンリと出会ったことで時々自分の本質を見せつけられるようで気分が悪い。
エリアは気を取り直し、出発前にキョウカが持たせてくれた小瓶を鞄から引っ張り出した──これもキョウカがくれたものだ。「冒険が長引けばいずれ荷物が増えてこれだけでは収まりきらなくなる。その時はレンリさんと相談して新しい物を買うといいよ」とエリアにとっては不穏極まりない宣告をされていたことを思い出す。
一瞬また吐き気が戻って来そうになったが、エリアは何とか薬草茶を喉へ流し込んだ。自分はもう大丈夫だ。
「ここから真っ直ぐですか、何だか味気ない道のりですね。もっと魔物が襲ってきたり、盗賊がいたりするんじゃないんですか」
「そこまで治安は悪くないはずですよ。でなければそもそも町が町の形を保てていないでしょう。町の規模に発展するまでに物資を盗まれたり、破壊されたりして……聞いてますか?」
レンリはエリアの講義などまるで聞いていない。
次第に両脇に立ち並ぶ木々が疎らになっていく……キョウカの言う通り、少し距離が有るとはいえ何とか野宿は避けられたようだ。まだ明るく時間には余裕が有る。
先ほどの村から森までの距離と比べ、森から街への距離は目と鼻の先──とはいえ自分達が今立っているのは丘だ。眼下には色とりどりの家屋の屋根、商店……道を行き交う人影が見える。ここを下って行けば次の町だ。
魔物は相変わらず小型の丸っこいものが飛んでいるか、跳ねているか。今こうしている間にも自分達の傍を町から来たらしい人が傍を通り抜けて行ったりと只々穏やかな光景が広がっている──ようやく穏やかなペースに戻ってこれたのかもしれない。
――――――――――――――――――――
「冒険者登録?失礼ですが、貴方は聖騎士の方ですよね」
「そうなんですけど……えっと色々とありまして……その……仕事が……」
冒険者ギルドまでの道のりもまた順調であった。
食事は森の中で済ませていたから次に何かを口にするなら夕食、町とはいえそこまで規模が広くないため観光は後回しという点でレンリとも意見がまとまった。町の中の主要な施設であるためか、ギルドまでの道も案内が随所に有り、迷わずギルドへたどり着くことが出来た。
──無事に登録が済み、依頼を受けたら町でも見て回ろうかな。
明るい気分を取り戻していたところで現実に引き戻されたのは冒険者ギルドの受付係の何気ない一言であった。彼女の疑問はもっともだ。聖騎士というものはある意味では手に職をつけた人間……学校や神殿から仕事、護衛対象を斡旋してもらったり、地域の浄化や結界を専門に働いたりと普通ならこんなところには来ない。
上級の聖騎士であれば何処かの討伐パーティーに呼ばれ、その功績から後からランクが付与されることもあるとはいえ──こうして冒険者になるというのは多くの場合溢れた人材なのだ。
自分の場合は努力不足でそうなったわけではなく事故のような形で職場を失ったため、こうした扱いにはどうにも納得がいかない──気を抜くと全てレンリの所為だと口走りそうになるが、ここで何を言ったところで自分が変人扱いされるだけだ。
エリアはぐっと拳を握りしめる。
「今は色々と大変な時代ですしね。このあたりでも人斬りが出るだとか、隣国ではお城が倒壊しただとね。何かとおかしな時代だわ。私はこの町から出ないからあまり実感が湧かないんですけど……ごめんなさい、登録でしたね。こちらが書類です」
受付の職員が書類一式を並べる間、エリアは何処に視線をやるべきか分からないでいた。非常に気まずい。目のやり場に困り、ちらりと背後に佇むレンリに視線をやるとレンリは何かを恥じるどころかこちらが手続きで手間取っていることがさも退屈であるかとでも言わんばかり髪をいじっている。
彼女は異世界の人間だから恥が無いと言えばそれまでなのだが……。
書類が揃った後、レンリはさらさらと迷う様子もなく書類を書き上げた。名前は「レンリ」で登録したようだ。エリアも急いで必要事項を埋めた後、職場に書類を手渡した。
……早くしろと言わんばかりに隣から鋭い視線が向けられる所為で普段よりも汚い字になってしまった。
「はい、登録は完了です。こちらが冒険者としての証となります。『白』からのスタートとなりますので、ご了承くださいませ」
本当に冒険者になってしまった。
放心状態のエリアとは対照的にレンリは職員が机に二つ並べた魔石を凝視している。冒険者としての証──一見するとネックレスのような装飾品。各ランクに対応した魔石が中心にはめ込まれた金属の装飾にチェーンが付いた代物で、ランクごとに色が異なっている。冒険者の実力が一目で分かる仕組みだ。魔石は小ぶりだが、光に翳すと独特の輝きを放つため、ランク証明に十分な存在感を持っている。
白は十段階の一番下。本来であれば冒険者に成りたての……それを第一志望としている自分なんかよりずっと若い子供達の肩書である。
勿論、人間いくつで何をしていても問題は無いのだが──どうにも聖騎士という立場の所為で現実を受け止められずにいるらしい。一方でレンリは特に何か言われたわけでもないのに魔石を首から提げている。エリアは彼女の隣でそれほど目立たない所に魔石を括りつけることにした。
──面倒になってきっと最終的には出しっぱなしになるだろうから。しまっておいてもいいのだが、そこそこ使う機会の多い物だ。
「良い冒険者生活だって……?こっちは全然良くない。クソッ……こうなったら早くランクを上げてせめて恥ずかしくない程度の階級にならないと……」
「仕事を選ぶように言ましたが、いいのですか。我々は仕事を選り好み出来る立場でもないのでは」
「こういう時だけ現実的にならないでください!ああ、もう……何でもいいですよ……どれでも僕達にかかれば楽勝でしょう。何せ一番格下のランクですし、子供でも出来る仕事なんですから当然ですよ」
──貴女が選んだらいいんじゃないですか。選んでいいですよ。
受付職員と別れた後、二人は受け付けから少し離れた場所にある掲示板へと移動した。証を受け取り、レンリを連れてさっさと移動してしまった。職員は二人に掲示板のシステムについて案内しようとしていたが、エリアは学校でそれを習っていたし、何より聖騎士といい年した娘が二人並んで目立つところで説明を受けるなど耐え切れない気がしたのだ。
レンリとエリアは壁を覆うようにして掲示されている依頼を見上げた。依頼ごとに受注可能なランクが色で示されているため視認性は高い。
「白」は基本的に採取や物探し、小型の駆除など基本的に危険が伴わない依頼が大半であるため一先ずはレンリに任せることにした。普段そこまで過信することはないのが、今回に至ってはエリアは嫌な自信を持っていた。
──どう転んでも死ぬことはないだろう。自分達は本来、ここにいるような人間ではないのだから。
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