第16話 去勢上級者の痕/跡
キョウカという人間は面倒見がいい。
自分達を客人として招いてくれた家の主人にこんなことを思うのはいささか失礼が過ぎるのかもしれないが、エリアはぼんやりと実家にいた女中の事を思い出していた。自分が幼い頃からよく世話を焼き、今現在も屋敷にいた年配の女中だ。
キョウカは二日目の朝、自分とレンリを早い時間帯に起こした。実家にいた頃、早い時間帯から活動していたエリアにとってはそれほど苦にならなかったがレンリはいくらか眠そうだった。放っておくとキョウカにすら失礼な事を言いそうな有様だったため「すぐに連れて行きます」とだけ返事をし、何とかその場をやり過ごした。
「ここから隣の町までは近いけど、途中何があるか分からないからしっかり食べて行くんだよ。昨日のうちに荷物は整理出来てるよね?」
「え、ええ……まあ……」
「はい、大丈夫です」
やったのはほとんど自分なんですけど。
キョウカが用意した朝食を前にしてレンリはようやく目が覚めてきたらしい。何かを口に入れると目が覚めるという感覚は分からないでもない。
食卓には先日退治したイノシシ肉のソテーと山菜の炒め物、卵焼きに麦と野菜のスープ、それからパンが添えられている。朝食としては中々豪勢だ。テーブルの上はすっかり料理の皿で埋め尽くされている。
猪肉のソテーは塩とハーブで味付けされ、朝から食べやすいように柔らかく焼き上げられている。風味が豊かで美味だ。キョウカの好みなのか、炒め物は変わったタレで味付けされていて、香ばしい香り……これは東部由来の調味料だという。卵焼きの味付けは塩気が強く、これに関してもそちらが用いられているという。
エリアは実家でほとんど料理をしなかった。
それどころかあの事件で就職先を失わなければ今後もそうだっただろう。これからは自分も少しずつ料理を学ばなければいけないのかもしれない──レンリが進んで家事をするとも思えない。エリアは夕食のことを考え、不意に憂鬱になる。
その間。キョウカは黙々と料理を口に運ぶ二人を柔らかい表情で見守っていた。
「ここから街までなんだけど、エリア君も外に出たことはないんだよね?」
「はい。あの時はまだ小さかったですし……」
「村を出て少し行くと森があるんだけどね、魔物は大人しいし襲ってこないの。人の行き来もあるから変な人も少ないと思う。その点、貴方達はきっと大丈夫だよ」
──一応町までは何とか無事に辿り着けそうだ。
エリアは食後、食事の片付けを申し出ると一人で厨房に入っていった。その間、レンリはキョウカから何かの説明を受けていたらしい。聞き耳を立ててはみたが、地理的な問題しか聞き取れなかった。同じ異世界人として何か情報共有したいことでもあったのだろう。……少なくとも新しいテロの計画ではないようだ。
一連の作業の後、キョウカは二人に昨日約束していた弁当を持たせた。
猪肉の燻製、山菜と豆の煮物、麦パン、ドライフルーツとナッツ、薬草茶の小瓶……昼食にしては中々ボリュームのある内容だが、キョウカは普段からそれだけしっかりと食事を摂っているらしい。 レンリは勿論のこと、エリアも礼を言って弁当を受け取った。
とりあえず貰えるものは貰っておこう──短期間で随分と図太くなったものだ。
「それじゃあ、しっかりね!私はこの村にいるから何かあったらまたうちを訪ねるといいよ」
キョウカは村の外まで二人を見送りに来た。
彼女もこれから仕事が控えているそうだが、それでも時間を作って旅立ちを見届けに来てくれたらしい。
レンリはともかくエリアはこれ以上、異世界人のコミュニティーを広げたくないと考えていた──親切なのは結構なことだが、これ以上レンリの協力者が増えると益々無事に生きていられない気がする。不安は尽きることがない。
――――――――――――――――――――
レンリとエリアの道のりはキョウカの予想通り、順調なものであった。
村を出ると広々とした草原が広がっており、村人が採取に出向いている姿も見かけた。小型の魔物達が草むらの上を跳ねたり、草を食んでいる姿は微笑ましいもの。天気は良く、風も温かく心地が良い……隣にレンリがいても現実を忘れられるほどには穏やかな旅だった。
二人は順調に森の入口──ご丁寧に村人が立てたらしい町までの方向を指した看板を目印に木々が立ち並び、緑生い茂る空間へと足を踏み入れた。キョウカの言う通り、村から町までの道は行き来する人々の足で踏み固められており自然に道が出来ている。魔物や獣たちの種類もさほど変わらず……揺れる木々の隙間から溢れる木漏れ日でちかちかと輝いている様を見ていると時間を忘れそうだ。
二人は森の中で開けた場所を見つけるとそこでキョウカから持たされた料理を空け、昼食を摂った。ここまでは非常に順調だった──ここまでは。
その後、エリアはここで食事をしたことを後悔することになる。
「……って、早速大事件が発生してるじゃないですか!?何も起きないんじゃなかったんですか!僕達犯人扱いされたりしませんよね!?うわ……どうしましょう……一刻も早くここから離れた方がいいんじゃないですか?」
「黙りなさい。しかしまあ……見事なことで」
──一刀両断。真っ二つ。
再び旅を再開したエリア達の前に立ち塞がったのは盗賊でも魔物でもなかった。
「盗賊」ではあったのかもしれない。襤褸のような身なりに鋭利な刃物、手を付けられなかったのか彼等の懐から金品の類が漏れ出ている。
エリアがふと鳥の声に耳を澄まし、道の脇に視線をやった時のことだ。
木々の間に人間が三人座っていた。エリアはすぐに剣を構え身構えたが……彼等は「死体」だったのだ。それも真新しい、まだ虫も湧いていない綺麗な状態の遺体。身体の形状からして男性だったのだろう。
過去形なのは……。
「縦と横。綺麗に切られていますね。素晴らしい。相当な腕の剣士がここを通ったのでしょう。エリア、検死の覚えはありますか?」
「あるわけないでしょう!……僕もう吐きそうですよ。うっ……折角食べたのに戻したらもったいない……っ……中……赤くないんですね、こういうのって……」
死体はケーキをナイフで切った時のように綺麗に両断されている。
縦に斬られたもの、横に切られたもの──粉々になってしまったもの。エリアが痕跡を残すべきではないと必死に制止したお陰で手に取ることは防げたが、レンリは興味深々でその断面を覗き込んでいた。一瞬のうちに切り離されてしまったのだろうか。彼等の表情は苦痛ではなく……怒ったままで時を止めている。
然しながら局部の破壊においては「斬撃」というよりかは「殴打」に近いかもしれない。苺だけが執拗に踏み潰されたケーキみたいな……そんなことをする人間が実在するか否かは置いといて。この盗賊達はこの剣士の神経を逆撫でするような要求をしてしまったのだろうか。
聖騎士は基本的に人間を殺さない──冒険者と一緒にあちこちを回っている人間ならともかく王城や寺院の警備をしているような者が人間と戦うなどは稀だ。そもそも職業的に敵にとどめを刺すということも中々無いだろう。故に死体を目にすることなど考えないでいるのが、聖騎士の大半だとエリアは考えていたのだが……。
どうやら自分の旅において、常識は通じないらしい。
「エリア」
「な……何ですか……触ったりとかしませんし、僕はそっち向きませんからね……!絶対嫌ですよ…………場合によっては今日の夕食が入らなくなるやつじゃないですか……み、見ませんからね……?」
「斜めに切られたものもあります」
「は!?」
エリアはレンリを置いて覚束ない足取りで反対方向の茂みの中へ入っていく。
胃のあたりが逆流しているような感覚、喉の不快感、口内の塩っぽい感じから自分の状態を悟った。これは吐き気だ、間違いない。
──二人の旅はまだ始まったばかり。
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