第6話 それが一番!
エリアは自分がいくらか丈夫であることを思い出した。
身体の問題ではない。エリアの身体はどちらかと言うと貧弱で細い。然しある程度魔力を扱うことのある人間であれば格闘技のように自然と魔力で身体のバランスを取ったり、身体補助を行ったりと受け身のような姿勢を取ることが出来る。例えば崖から足を滑らせたとして。魔力で身体の向きを修正したり、体表に薄く魔力の膜を作ったり──これには個人差がある。ノーガードの人間もいれば、受け身を取ったところで負傷を避けられないこともある。大半の人間が無意識に行うことでエリア本人も何となく「自分は丈夫な方なんだ」と思う程度に留まっていた。
その技術に名前は付かない。レンリ的に言えばパッシブ、非活性の技術になるのだろうが……専門的なことはともかくエリアは無事だった。
あの移動の中、エリアは強い衝撃に襲われた。実際に身体を攻撃されているわけでは無いのだが……最初に感じたのは以前船に乗った時に感じた船酔いの感覚、その次に全身を大きな手に掴まれて揺さぶられたり、引き千切られるするような心地。何とも言えない不快感──以前、両親と転移魔法の専門家に依頼して療養地に行った時にはこのような不快感は無かった。プロと素人の差ということなのだろうか。
エリアは柔らかい草の上に仰向けに寝転がり、青空の中を白く小さな雲たちが魚のように流れていく様を漠然と眺めていた。エリアは時折偏頭痛に襲われることがあるのだが、これが誰か魔法のお陰で多少楽になっていくような……あの何とも言えない解放感に似ている。回復傾向だ。
「カサンドラさ……うわっ!?」
エリアはまだ悪夢の中にいる。悪夢の中に立ち往生だ。
彼が寝転んでいたのは見知らぬ土地……彼女の転移魔法が正しく機能しているのであればエリアが幼少期に両親と共に訪れた療養地。異国の村であるはず。
背の高い野草が温かい風に揺られ、時折自分の頬を撫でる。青臭い匂い、土の香り。飛び交う小さな虫。故郷に居た頃は野原に寝転んだ経験も特に無く、服を汚せば母親に怒られたものだが──幼少期に思いを馳せるエリアを勢い良く地獄へと引き戻したのは彼がふと視線を横に向けた時であった。
あの女が自分の隣で寝転んでいる。それも息をしている……。
エリアは勢い良く上体を起こすと唇をぱくぱくと動かし、漏れ出そうになる悲鳴を必死に抑え込む。
「あの……えっと、大丈夫ですか……?」
心にもない言葉が出たと思う。
エリアの隣でカサンドラは自分と同じく仰向けに寝転んでいた。とはいえ自分のような寝起き、といった感じではなく今正にここへ墜落してきたかのような姿勢だ。長い白髪は疎らに野原に散らばり、ドレスのあちこちが破け、唇は苦しそうに固く結ばれ……赤い瞳は瞼の奥に隠されたまま。
まさか死んだ?死んでくれるならそれが一番!──聖騎士にあるまじき思考だと思ってはいるもののエリアの心には淡い期待があった。自分は聖騎士である以前に人間だ。そもそも神殿騎士から聖騎士になったばかりだ。そもそも仕事は仕事で、プライベートはプライベート。加害者を庇うのは聖人の仕事である。
エリアが期待したのは他でもない魔法の「事故」だ。何の魔法を使うにしたって事故は付き物。術者のレベルが高ければ当然そのリスクは下がっていき、一般的に普及した術式は限りなく事故率が低いと習ってきたが──不幸のどん底で彷徨っている自分に運が回ってきたのだとしたら?追い詰められて初めて真価を発揮するタイプであるならば……。
それは永遠とも思える数十秒の間であった。エリアの緩んだ表情は再び強張り、緊張したものとなる──カサンドラは自分の隣で薄く息をしているのだ。
「僕は、僕は被害者で……な、何も悪くないんだ。突然この女が出てきて、折角決まった仕事が無くなって、何もしてないのに殴られて……蹴られて……誘拐まで!」
今まで抑えていた不安が一気に噴き出すようにして。両の目から生温い涙がじわじわと溢れては足元の草を濡らしていく。ある種の絶望、諦め……放っておいたら死んでくれるのか。はたまた次の瞬間には起き上がって自分に暴力を振るうのか?
エリアはぎちぎちと音を立てて歯軋りをしながら震える両手をカサンドラの首元へと伸ばした。今の彼にはカサンドラを殺害する現場を目撃されるリスクなどを考える余裕も無い。ただ一秒でも早くこの地獄から抜け出し、日常へ帰りたい一心でエリアは力を籠めようとする。
「まあ!あなた、何処の子?そっちの子は……って、倒れているじゃない!外じゃなくて村の中に他所の人が倒れているなんて……と、とにかく一度運んだ方がいいわ。うちは治療施設が無いんだけど、場所を用意してくれる人がいるのよ」
「えっ……」
「ぼさっとしてないであなたも手伝って。顔中泥だらけなのが嫌なのは分かるけど家に付いたら布でも貸してあげるからそれまでの辛抱よ」
エリアは唐突に呼び止められた。女性の声だ。
村内──とはいえ森の中にぽつぽつと家が建っているような地域だったはずだ。木々の隙間から突然女性の声が聞こえたかと思えば、簡素な服装の若い女性が近付きエリアとカサンドラの傍に慌てて腰を下ろした。軽装であることから察するに近くに家を持つ住民と見ていいだろう。
エリアに女性の言葉は全く届かなかった。助ける……僕が、誰を?──この女を?噓だろう!?冗談じゃない!
彼女はエリアの数倍は慌てた様子である。女性が付近に呼びかけると先ほどまで何処に隠れていたのかと思うほど迅速に数人の村人が集まってきた。そして「運ぶのを手伝え」「君のツレじゃないのか」などエリアにとっては違うと叫びたくなるような口々に言葉を投げかけてくる。
そうこうしているうちにカサンドラの身体は数人の村民の手で何処かへと手際よく運ばれていく。当然のことながらエリアも「黙って見ていないであなたもついてくるのよ」と半ば強引に引き摺られていくのであった。
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作品紹介にもちらっと書きましたが、レンリ達に「行ってほしい場所(森などの環境とか)」「してほしいこと(街でのイベント等)」をどこかに書いていただけるとそこに行くかもしれません。この作品に関しては特に伸び伸び自由に書いてます。
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