第5話 僕は死にたくないだけなんです

 エリアは聖騎士である。厳密には聖騎士として働き始めた見習いだ。

 神の加護、神聖な力──一般的には光の魔力を宿し、それを用いる人間達として周知されている。信仰心自体はまちまちだが、各地の神殿に仕えそこから派遣されるような形で各地に赴くのが一般的である。これが上位の物になると神殿自体に駐在したり、何処かの城に雇われたり、時に邪悪な魔物の討伐メンバーとして呼ばれたり……様々だ。客先常駐の仕事に近いのかもしれない。

 彼の家は代々聖騎士を輩出する家系であった。特に疑問も抱かず、家族と共に力の源を何となく信仰し……年頃になれば神殿で教育と指導を受け、最近晴れて聖騎士を名乗れるようになった。神殿には闘士と呼ばれる同じく力の源流を信仰する者達もいるのだが、エリアは彼等について何となく野性的で筋肉質なイメージを持っている。いつも山とか滝で修行をしているような人々……火力自体は聖騎士に勝るが、そこまで固くない。

 前置きはここまでにして。彼はまだツがつくような幼少期から座学と訓練に打ち込み、17歳にしてようやく聖騎士になれた──とはいえまだ見習いで仕事も無い。

 となると自分で仕事を探さないといけないわけだが……どうにも長期の仕事は見つからない。親に頼んで何とかコネで城の護衛の仕事を有りつくことが出来た矢先、非番の日にその城が崩壊したというのだからついていない。

 きわめてついていない。


「お、お願いします!僕は本当に何も言いません、何処にも行きません!だからやめてください、家に帰し……」


 エリアは聖騎士である。少し哀れな。

 ざっという音を立てエリアの口の中に湿った土が舞い込んだ──エリアは今、先程の町から目と鼻の先という位置にある森で埋められそうになっていた。否、「カサンドラ」が彼の頭を踏みつけにして柔らかな土にめり込ませているという方が正しいだろう。地面が土で覆われていなければメリメリと嫌な音がしてきそうだ。

 鈍い痛みの中で先程の出来事を思い出す──エリアはあの後すぐ彼女に腕を掴まれ転移魔法によってこの森の中へ引き摺られていったのだ。もっと遠くへと飛ばされると思っていたから拍子抜けであったが、エリアにはそんなことをうかうか考えている余裕も無く転移間もなく駆け出した。

 少しでも遠くへ……聖騎士は転移魔法を使うことが出来ない。使えるのは基本的に魔法を使う者達でかと言ってそれほど足も速くない。


「でもお前は私から逃げようとしたじゃないですか。愚鈍な奴め」

「僕は死にたくないんですよ……」

「それは誰しも同じ事でしょうに。私だって死にたくはないですし、お前の告発の所為で私が死ぬ可能性が少しでもあるなら始末するでしょうね。だからこそ私の傍で働く機会をやったというのに私から逃げ出そうとした」


 レンリはエリアの頭部を押し潰しながらやれやれといった様子で口にした。

 暫定殺人鬼を前にして逃げ出さない人間の方が珍しいと思うが……上から降ってくる言葉は知人の声でこそあるが、怒気に満ちた恐ろしいもの。反論したらまた強く踏みつけられる気がしてエリアは固く口を噤んだ。

 そうだ、特別聖騎士に魅力を感じたわけではなかったけれど──自分はその防御力と比較的に安全な仕事内容に魅力を感じてこの進路に決めたんだった。

 死を傍に控えながらエリアは自分の原点を遠く見つめていた。死にたくない。この世界は危険に溢れている。自分の家は比較的に裕福で、最初から聖騎士への門が開かれている……思えばずっと幸運だった。そして安全な場所で守られていた。

 それがたった一日で地獄に突き落とされているのだから笑ってしまう。顔は土と涙と血に混じりぐちゃぐちゃに汚れ、口の中には苦いんだか鉄臭いんだか分からないような何とも言えない味に満ちている。じゃりじゃりと細かい砂粒が唾液に混じってだらしなく口の端から垂れているような感覚。惨めこの上ない。

 

「エリアと言いましたね。私には貴方の考えていることが分かりますよ」

「……はあ、も……もうどうにでもしてください……」

「死にたくないなら私の所で働けばいいのです。最初に言ったでしょう?私の手伝いをする人間を探していると。貴方は話も聞かずに逃げ出そうとしましたが、私はなにも貴方を山中に生き埋めにして殺そうだなんてしていないのですよ」


 「お前」から「貴方」に昇格した!──などと思ってしまうのはどこか負け犬根性というか奴隷としての適性があると言うべきなのか。先にそういった思考になるエリヤは土まみれになりながら自らを恥じた。断じてまだ興奮はしていない。

 ようやく頭の上から足を退けられたと思いきや、今度は襟首を掴んで勢いよくひっぱり上げられる……やはりコレはカサンドラではないのでは?

 カサンドラはげほげほと大きく噎せ、土を吐き出そうとするエリアを見るや否やすぐさま軽く放り出す。一応生き埋めは免れたようである。安心感からか仰向けのままエリアは見下ろすカサンドラの言葉を聞いていた。


「エリア、貴方は国外へ行ったことがありますか?ここからなるべく遠い所へ」

「は……は、有り……ます……一度だけ。転移魔法で……」

「私には記憶が無いから、移動する為の座標が無いのです。行先を知っている人間が必要。誰かを脅すことも考えましたが、たまたま貴方がいたからそれでいこうと」

「そんなに軽く言わないでくださいよ……」


 今度こそエリアはカサンドラの手で引っ張り上げられ、何とか状態を起こした。

 やはり記憶喪失なのだろうか──だとしてもいくら良くない噂があったとてここまで御令嬢が狂暴化することなどあるのだろうか?巷では「転生」と呼ばれる肉体が全くの別人の精神に乗っ取られる怪奇現象、もとい精神病の噂が流行っているが……右も左も分からない人間がここまで行動的になれるとも思えない。何かのきっかけで気が触れてしまったと考える方がまだあり得る。エリアは必死に今起きている状態に結論付けた。

 ああ、この女は脱出の為の移動手段が欲しいのか。

 エリアは転移魔法こそ使えないが、世界には移動において便利な術式がいくつか存在することを知識として学んでいた。それは念じた行先に飛んでいくという単純なもの。術者が行先を知っているのが一番だが、大半の場合は行先の分かる人間を使ってその場所へと移動する──カサンドラが記憶喪失で「他に行先を知らない」のであればわざわざこの森に移動してきたことにも納得がいく。


「分かりました。そこまで行くんですね?療養に訪れた場所ですから田舎で……何にも無い所ですよ」

「それでいい」


 この女を運んだあと、自分はどうなるのだろう?

 場所自体は知っているのだが、動き回ったわけではないから少し離れれば即座に道に迷うだろう。そして所持金も大して持っていない今、転移魔法を使える術者に頼んで街に帰ってくることも難しい……そもそもこの女に殺され、帰ってこれない可能性の方が格段に高いのだ。それでも生き残れる確率の高い方を選んでいくしかない。

 自分の進路決定は死にたくないからであって、聖騎士になることではない。死なない可能性が少しでも高いならそちらを選ぶ。それは自分が自我を持ち始めてからただ一つ変わっていないことだ。

 エリアはぼんやりとした頭で自らの選択を肯定しながら、カサンドラに手首をきつく捻り上げるようにして握られていた。移動の為だ──ところで転移魔法に触れる必要はあっただろうか?

 浮かんだ疑問を置き去りにするようにしてエリアは移動に巻き込まれていく。

 

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