英雄を称える家畜讃歌《1》

《数分前――巨木・女王の子供部屋》


 時はクラリスと離れ離れとなったヴィクターが、蜂人間達の襲撃に遭うところへと遡る。

 無数の羽音が前後左右を余すことなく包囲し、鋭利な槍の切っ先がヴィクターへと向けられる。

 魔獣同士が横に並ぶ間隔は均等。統率のとれた動きは、あらかじめこの事態を想定した訓練でもしていたかのようである。



「やはり動きは速いね。だが……なにを躊躇っているのかね。キミ達、そんなチンケな羽で飛ぶよりも、地に足つけて走った方が速いだろう。その全員揃って貼り付けた立派な筋肉は飾りなのかい?」



 彼がそう言っている間にも、迫ってきていた先陣が目の前で槍を振り上げた。


 ――初めて見た時は驚いて受け止めたが、目が慣れれば避けられない速度じゃあないな。それに、アレらの様子……明らかに卵を意識して近づけないようにしている。少し様子を見てみるか。


 ヴィクターは頭上から降ってくる槍を横に跳んで避け、すかさず跳んだ方向から横殴りに迫る槍をしゃがんで躱す。

 彼が思った通り、蜂人間の一挙一動は初見で見たよりも目で追うことのできる速さだった。

 それは決して相手が遅くなったわけではない。一度見たことで、覚えて、慣れた。それだけのことなのだ。



『Brrrrr!』


『Brrr! Barrrr!』


「なるほど、連携攻撃か。知能はワタシが思っていたよりあるみたいだね。ひとつの獲物を集団で追い詰め狩りをする。生物の行動として珍しいものでもない。ひとつ、勝敗を決める要因があるとすれば……その方法が上手い向いている下手向いていないかだ」



 ヴィクターがそう言うと同時に、彼の頭上で固い金属同士がぶつかる音が鳴り響いた。

 二体の蜂人間の槍が同時に振り下ろされたことで、槍先がヴィクターへと届く前に互いの邪魔をしてしまったのだ。



「やっぱり。キミ達のソレ、密集して戦うには向いてないんじゃないか?」



 蜂人間達が顔を見合わせる。もちろんヴィクターの言葉の内容を理解したわけではないだろうが、似たようなものだろう。

 ヴィクターが指を鳴らすと、彼の前には赤と青、二つのガラス玉が現れた。大きさは成人男性の拳程度。

 それらはまるで小鳥が戯れるかのように、互いにぶつかってコツコツ音を立てては主の周りをくるくると飛び回る。



「ほら、遊んでないで働いて。獲物は目の前だよ」



 するとハッとした様子で、ガラス玉達はヴィクターを左右に挟む形に整列した。

 ステッキを地面で軽く叩けば、ガラスの中の水が揺れて、とぷんと赤い玉が返事をし、ちゃぷんと青い玉が返事をする。

 もう一度叩くと、二つの玉はそれぞれ別々の方向に――今しがた、ヴィクターを潰し損ねたばかりの二体の蜂人間に向けて、正面から体当たりを仕掛けた。



『Barr!?』


「おお、よく飛んだ。大きい方を呼んで正解だったなぁ」



 ブレーキの効かないトラックにでも追突されたかのように、二つの玉に突進された蜂人間達が大きく跳ね飛ばされる。

 三メートル近くもあるあの巨体だ。ヴィクターの予想ではてっきり数歩よろめく程度かと思っていたが、飛距離は十分。飛ばされた蜂人間達はそれぞれ、壁に全身を打ち付けたところでようやく動きが止まった。


 形勢が逆転するまでに数秒もかからなかったのは、ヴィクターにとって嬉しい誤算である。

 その一部始終を見ていた蜂人間達は、どよめきの声を上げて囲んで間もないヴィクターから数歩距離を取った。

 それとは対照的にガラス玉達はヴィクターの元へと帰ってくると、コツリとガラス同士をぶつけてハイタッチをきめる。無機物ながらに、なかなか可愛い仕草をするものである。



「さあ、次は誰が相手をしてくれるのかね。死ぬ気で止めに来てくれないと、アレ、割っちゃうよ」



 そう口にしてヴィクターが指を鳴らす――瞬間、誰も予想していなかった轟音が蜂人間達の背後から響いた。

 空気を震わす振動に驚いた魔獣達が振り返り、見たものは硝煙。ヴィクターの魔法の爆破をモロに食らって、黒い煙を上げるのは彼らが大事にしていた卵であった。


 卵の中からは、先ほどのような金切り声こそ聞こえなかったが、遠目にもナニカが狭い殻の中を動き回っているのが分かる。

 雲の切れ間に射し込む光が卵を照らせば、うっすらと中にいるソレの影が透けて見えたが――分かるのは、たくさんの手の平が張り付いていたこと。それだけである。



「暖めて孵化を手伝ってあげようか。それともゆで卵にでもして食べて……いや、この場合は目玉焼きか? まぁ、どちらにせよ虫のタマゴ料理なんて、ワタシはゴメンだけれどね。キミらが望むならこのまま処理してあげてもいいんだよ」


『――Brrra! Aarrrr!』


「はは、怒ってる。どれが気に障ったのかね。全部か」



 そもそも言葉が通じない以上、どれだけ煽ろうが魔獣の怒りの対象は卵に危害を加えられたこと以外には無いのだが、そんな細かいことは今はどうでもいい。

 虫の咆哮。蜂人間達は今度は連携を取るまでもなく、一体が動いたことを皮切りに残った全員がヴィクターに向けて飛びかかった。


 ――魔獣の視線、様子、動き……アレは卵を守るためというよりも、中身が出てこないかを気にしているように見えるな。わざわざ飛んで移動をしていたのは少しでも刺激を与えないためか……


 ヴィクターがステッキを構える。



「面白いね。そうも隠されると、アレからどんなゲテモノが出てくるのか気になるじゃないか」



 近いもので視界右上から一体と、左から一体。それから正面に三体に、ガラス玉に映る後方の二体。ひとつずつ相手をするのは面倒だ。

 ヴィクターが地面に石突きを打ち付けると、蜂人間達の足元からはその巨体を包み込んでしまうほどに激しい火柱が次々と上がった。

 火力は十分。魔獣を飲み込んだ火柱からはどれも同様に焦げた肉の臭いがツンと鼻をつき、その不快さにヴィクターの眉がぴくりと動く。


 しかし敵も一筋縄でいくはずがなく、後続の蜂人間達は器用に火柱の間を縫って接近。ヴィクターの背後から重い槍を振り上げた。



「避けられるのも想定済みだ。問題ない」



 ヴィクターはくるりと振り返ると、自身の真後ろに張り付いていた蜂人間の懐に潜り込み、胸元へとステッキの先端を押し付けた。

 腕を上げて、わざわざデカい的の急所を晒すとは。

 先端の苺水晶ストロベリークォーツが纏う白い光が音を立てて弾け、集まってきた熱が体表を通して伝わると共に、蜂人間の小さな脳内には危険信号が灯される。



『Barrr! ――Brr?』



 本能的に退避を選んだ蜂人間が、とっさに離れようと身を引く。しかし魔獣の身体は思ったように動くことはなかった。

 これだけの美人が目と鼻の先にいれば、人間相手であれば思わず息を飲んで硬直してしまっていたことだろう。

 実際蜂人間も硬直はしていたが、そこは魔獣。動けなかったのは彼に魅了されたからではなく、もっと物理的な理由――断りもなく、ヴィクターが体重をかけて上から足を踏みつけていたからに他ならない。


 ヴィクターの唇の端が吊り上がって、宝石に触れている蜂人間の体表はじゅわりと音を立てる。

 それから瞬きもせぬうちに――熱が溢れた。



「BANG!」



 彼がそう高らかに言い放った瞬間、蜂人間の胸を眩い光線が貫いた。

 分厚い魔獣の身体にポッカリと空いた穴の先には、流れ弾によって頭を焼き切られた別の蜂人間が倒れていくのが見える。どうやら意図せずもう一体倒すことに成功したらしい。

 すかさず隙を狙った別の蜂人間達がヴィクターの頭上から襲いかかるが、言わずとも二つのガラス玉が体当たりで攻撃を制した。



「助かるよ。このまま他のも処理していこうか」



 ちゃぷん、とぷんとガラスの中の液体が揺れる。だが――その中に混じったわずかな異音に、ヴィクターはいち早く気がついた。


 卵に、ヒビが入っている。

 わずかな亀裂がある辺りからコン、コンと固いものでノックする音が響いている。それはまるで、小さな鳥の雛が一生懸命に殻の外へと出ようとしているかのようで、まさにひとつの生命の誕生が行われる瞬間。

 もっとも、そこから出てくるのはそんな可愛いものではなく、あの無数の手の平の持ち主で、蜂人間達の主――ちょうど今、割れた隙間から二つの目を覗かせた化け物ではあるのだが。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る