東奔西走ジオメトリック《9》

 自分の想いが届いた。たったのそれだけのことにも関わらず、クラリスの目頭はほんのりと熱くなっていた。



「皆さん……ありがとうございます! それじゃあ私が先頭を行くので、皆さんは後から着いてきてくだ――わっ!?」


「な、なんだこの揺れ……デカいぞ!」



 クラリスがぺこりとお辞儀をして、振り返ったその時。突然部屋全体――いや、この魔獣の巣全体が大きく揺れた。

 それは一度限りではなく、断続的に何回も。思わず壁に手をつけば、振動はダイレクトに彼女の体へと伝わった。


 ――地震にしてはなにか変。どちらかというと、建物全体が叩かれたみたいに揺さぶられていて、終わったと思ってもまた次が来る……


 するとクラリスの頭の中に嫌な予感が過ぎった。その原因となったのは、目の前に入った亀裂である。

 二度目の揺れで手元の壁に亀裂が入り、揺れが起きるごとにそれは大きくなっていたのだ。最初は数センチだったものが、次は数十センチに。そして亀裂は天井まで伸びていき――


 ――もしかして、崩れる!?


 もしもそうならば、このままでは全員生き埋めだ。

 せっかく村人達を助けることができるかもしれないのに、そんな悲惨な結末誰が望むだろうか。



「もう時間がありません! とにかく走りましょう!」



 クラリスの言葉に、その場にいた全員が頷いた。

 走り出せば、部屋の隅に固まっていた小動物達も彼女の言葉が届いたかのように後を着いてくる。

 揺れはどんどんと大きくなり、躓きそうになりながらも通路をひたすらに走っていく。食料庫があの部屋だったのだとすれば、わざわざ入口から離れた場所に作るとは考えにくい。出口はきっと近くにあるはずだ。



「……あれ? あの子、もしかして……」



 走り続けていた矢先、通路の中央。遠くになにかがいるのが見えた。

 茶色い身体に、細い四本の足。ついさっき見たばかりのシルエット。あれはきっと――先ほど逃げた、あの小鹿だ。

 小鹿はクラリス達の姿を見ると、通路の奥と駆けていく。しかししばらくすると立ち止まり、くるりと振り返っては彼女へじっと目を向け、また走り出す。


 ――もしかして、案内してくれてるの……?


 小鹿は、クラリスが進もうとしていたのとは別の横道へと入っていってしまった。

 もちろん無視して進むこともできるが、彼女は自分の感覚を信じて、小鹿に続いてそちらへと進路を変えることにした。

 小さな背中を追って、足を止めることなく走り続ける。後ろの村人達からは、クラリスよりも早い段階で荒い息が聞こえてきていた。それでも皆、止まらずにここまで来ている。



「――あった! 出口だ!」



 そう叫んだのは誰だったか。進み続けた道の終わりに、光が見えた。

 小鹿はクラリス達を一瞥すると、一足先に光の中へと消えていく。彼女達も続けて外へと飛び出せば――そう時間は経っていないはずなのに、懐かしく感じられる太陽の光。湿った土の匂い。そよそよと草木を揺らす風。

 真昼間の青空が清々しい。緑に囲まれた鮮やかな森が、その姿を現した。



「やったぁ! 僕達、外に出られたんだ!」


「これでまた妻と子供に会える!」



 外に出たことに安心したのか、村人達は突っ張る腹を邪魔そうにしながらも互いに肩を抱き、口々に歓喜の言葉を述べた。

 その時である。彼らの背後で轟音と共に、たった今抜けてきたばかりの出口が砂煙を吐き出して崩壊した。

 あと一歩遅ければ全員生き埋めとなっていたことだろう。


 ――間に合った……みんな無事に出られてよかった。あとは村で待つニコラスさん達の元まで、ちゃんと送り届けないと。安心するにはまだ早いよね。


 クラリスが付近をぐるりと見渡す。

 周りに見張りの蜂人間の姿はない。もしも逃げ出したことがまだ魔獣にバレていないのであれば、このまま村へと逃げ切れば彼女達の勝利だ。



「本当にありがとう、クラリスちゃん。君がいなかったら僕達はどうなっていたことか……」


「いえ! そんな、私はたいしたことはなにも……それよりもベンさん、早くここを離れましょう。魔獣が戻ってくる可能性もありますし、この巣が崩れてきたら、それこそ大変なことに――」



 彼女がそう言った瞬間――派手な爆発音が鳴ると同時に、魔獣の巣である巨木のてっぺんから煙があがった。

 飛び散る瓦礫は宙を舞い、軽いものは風に乗って外へ、重たいものは自重によって地面へとガラガラ音と土煙をまといながら落下していく。


 ――この爆発、もしかしてヴィクター!?


 それ以外に誰がいるというのか。爆発――つまり戦闘が起きている以上、やはりクラリスが下層へ落ちていった後、彼の身には危険が起きていたのである。

 間もなく巨木に繋がった複数の幾何学模様きかがくもようの小部屋には、内部と同じような亀裂が走りはじめた。

 やがて亀裂は部屋の重さに耐えることができなくなり、クラリスの見ている前でひとつ、またひとつと崩壊を始めていく。



「崩れてきた……! ベンさん、急いで皆さんを連れて、ここを離れてください!」


「分かった。でも、それならクラリスちゃんも一緒に行こう」


「いえ……私はやっぱりまだ、戻れません。今も戦っている大事な相棒を、ここに一人置いていくなんて、そんなことできませんから」


「君の気持ちは分かるけど……ここに命の恩人である君を残して先に逃げるだなんて、僕達だってそんなことできないよ」



 その時である。先程とは比にならない一際大きな爆発の振動が、空間を突き上げ地面を揺らした。

 思わず足がもつれて転びそうになるクラリスをベンが支える。しかし彼の目は既に、彼女ではなく頭上へ。今しがたの爆発で新たな土煙をあげる巨木の上部へと向けられていた。


 釣られてクラリスも視線を動かす。

 アレは――落ちてくる。逆光で詳細は分からないが、新たな爆発が起きた箇所からは、巨大で、ある程度の長さがあって、それはたくさんの棘が生えた不思議な物体が、真っ逆さまに降ってきていたのだ。



「なんだアレ?」


「また壁が降ってきたのか」



 村人達はそう言ってじっとその物体を眺めていたが、クラリスには素人なりにもその正体が分かった。

 アレは壁でも枝でも崩れた部屋でもない。実際に見たわけではないが、あの物体はおそらく――



「違う……皆さん、逃げてください! アレがきっと……私がさっき言っていた、卵の中にいた魔獣です!」



 そう。それは彼らの常識を遥かに超えた、異形の生物だった。

 黄色い身体はタマゴの黄身を潰した芥子色からしいろで、直径はだいたい二十メートル程度。

 棘だと思っていた突起物は、身体の両端から無数に生える人間の赤ん坊のやわこい腕のようだった。

 より恐ろしさを引き立てているのは、その頭部の造りだ。それは横に向けた人間の頭部に強靭な蜂の顎を接着剤でくっつけたかのようで、目玉は左右に二つずつ。

 縦に並んだ歯並びは医者も驚くほどに綺麗な一列で、むき出しの歯茎を仕舞うための唇はそこには存在しない。


 きっとアレは――『女王蜂』なのだ。

 どこが蜂なのか? どちらかといえば、あの見た目はムカデだ。だって足なのか腕なのかはたくさんあるし、身体も後ろに長い。

 しかし、あの蜂人間達が大事にしていた卵から生まれてしまったものがアレであるのならば、クラリス達は見た目がなんであれ、それをとして認めざるを得なかった。



「ひぃ!?」


「ば、ば、化け物が降ってきたぞォ!」


「あんなものが村の近くにいただなんて――みんな、とにかくあっちへ!」



 悲鳴が伝染する中響いたベンの言葉を聞いてか、恐怖に固まっていた村人達がようやく我に返り、彼らは一同に重い体を震わせ走り出した。

 クラリスも安全な場所へ身を隠すべく動こうとしたが、その間際に彼女の目は、落下する女王蜂の上で動く人影を目撃した。



「――クラリス!」


「えっ?」



 聞いただけで分かる、喜びに満ちた声。あの声は間違いない。ヴィクターだ。

 彼は女王蜂の身体から華麗に跳躍すると、コートの裾をはためかせ、ふわり。物の見事にクラリスの前へと着地を成功させた。



「ヴィクター! アナタも無事だったのね。本当によかった……」


「HAHA! あんな魔獣の相手くらい、ワタシには容易いものだと言っただろう。それよりクラリス、探し人は見つかったのかね」



 そう尋ねる彼の後ろでは、ドスンと重い音を立てて女王蜂が地面へ激突した。まだ息があるのか、無数に生えた手指はもぞもぞと動いている。

 ひっくり返ってしまった魔獣は、起こしてくれる召使いを呼ぶかのようにギィギィと不快な鳴き声を上げ続けていた。



「う、うん。あそこに。みんな変なものを食べて体型が変わっちゃったみたいなんだけれど、それ以外は具合の悪い人もいないし大丈夫」


「本当かい? 嗚呼、まさかキミ一人で全てを難なくこなしてしまうだなんて……素晴らしいの一言に尽きるよ。それじゃあ、彼らには早くここを離れるように伝えたまえ。巻き込まれた時の責任まで負う義理はワタシには無いからね。キミも一緒に行くといい」


「そんな……ヴィクターをこんな危険な場所に一人で置いていくなんてできないよ。あの大きいのだって、ただでさえ危なそうなのに。蜂人間達まで集まってきたら……」



 そうクラリスが言うと、ヴィクターはパチリと一回瞬きをした。



「ああそうか、キミは知らなかったね。その心配ならば問題ない。あの厄介な蜂人間達は既に――」


『GyyyyyyyAaaaaaaaa!』



 水を差す金切り声。

 彼が振り返ると、召使いを呼ぶことの適わなかった女王蜂は結局自力で起き上がり、自分の思い通りにならなかったことに怒りを露わにするかのように地団駄を踏んでは、空に向けて汚い雄叫びをあげた。

 その様子を見たヴィクターは、なにが面白いのか小馬鹿にしたように鼻で笑った。



「見ての通り呼んだところで誰も来ない。なにを隠そうついさっき、あの魔獣女王蜂が自分で綺麗サッパリ食べてしまったのだからね」

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