賞味期限の切れた魔法《2》

 ヴィクターが悩んでいたのは、ものの三十秒程だった。

 その間に、クラリスはカップの中の紅茶を半分程いただいた。今日はツンとしたミントの香りの奥に、微かに柑橘系の味がするフレーバーティーだ。



「Um……分かった。ワタシの知っていることは話そう。だが、ちゃんと話せば長くな――」


「あっ、ちょっと待って。できれば簡潔に、分かりやすくお願い。フィリップさんも言ってたよ。昔からヴィクターは、分かった上でまどろっこしい言い方をするって」


「あの鳥頭、本当に余計なことばかり言うな……」



 クラリスを相手に特大の舌打ちが出なかったことは奇跡だ。それほどまでに、フィリップがクラリスにいらぬ先入観を与えたことがヴィクターは気に入らなかった。

 これではまるで、自分の説明が下手なようではないか。


 少しでも心を落ち着けるために、ヴィクターがカップに口を付ける。

 フィリップはあのジャムを通常と同じ内臓機能で働くようにしたと言ってはいたが、腹の中ではビチャビチャと水が跳ね飛ぶ感覚がダイレクトに伝わってくる。

 そもそも体内にこんな感覚を感じる器官はあったのか。いったいこの紅茶はどこに落ちて、跳ねて、溜まっているのか。考えれば考えるほど分からない。



「……まぁ、他でもないクラリスの頼みだ。誰の入れ知恵だろうと、キミの言う通りにするよ」



 目の前にクラリスがいるというのに、これ以上は時間の無駄だ。

 フィリップや自分の体のことを考えるのはそれきりにして、ヴィクターは話を戻すことを選んだ。



「まず魔法使いと魔導士については、ほとんどが昨日話した通りだ。生まれつき体内に魔力を備えており、その魔力を消費することで魔法を使えるのが魔法使い。ワタシのようなイレギュラーを除いて、基本的に扱える魔法は一つから二つがせいぜいだ」


「自分が特別っていう自慢はやっぱりするのね」


「いいだろう別に。横槍はやめてくれたまえ」



 ヴィクターは咳払いを一度すると、無駄に長い足を組んでソファの背もたれに背中を預けた。



「本題はこっちだ。魔導士……そう。彼らは過去に、自らをそう呼称していた。使によって導かれた、選ばれし人間なのだとね」


「最高の魔法使い様? もしかして、その人がエイダちゃんの言っていた、私達の前に出会った魔法使い……」


「うん。仕組みは単純なんだ。ただの人間が、その魔法使いによって魔力を与えられただけ。耐性の無い人間が魔力を得るとどうなるか、キミはもう知っているだろう」


「……魔力によって命が蝕まれ、人間性が歪む」



 人間性が歪む、と聞いて、昨日のクラリスはいまいちピンと来ていなかったが、今なら分かる。あの広場でのエイダの様子を見れば、嫌でも分かるだろう。



「そうだ。……さて、復習はここまで。ここからは、キミに伝えていなかったについてを話そう」


「その先?」


「当たり前だろう。魔導士は本来持つべきでない魔力によって、命を蝕まれる存在。当然、その先にあるのは


「……」



 それはクラリスにも予想はついていた。だって、命を蝕むというくらいだ。

 だが、それだけではない。ヴィクターが言いたいことは、きっとまた、さらにについて。



「死んでしまった魔導士は……どうなっちゃうの?」



 クラリスがそう聞くと、ヴィクターはバツが悪そうに、分かりやすく眉をひそめた。

 彼は一気にカップの中の紅茶をあおり、ゆっくりと体内に広がる気持ちの悪さを実感してから口を開いた。

 先にこの不快さを経験しておけば、これよりも気分が悪くなることはないだろう。



「死んだ魔導士は魔力に内側から体を食い破られ、その姿は魔獣に変貌する。つまりは化け物になってしまうということだよ」


「ッ、じゃあエイダちゃんもいつか……」


「ああ。しかも残念ながら、エイダくんは子供だ。ワタシの見解では――今から急いで会いに行ったとしても、彼女の体力じゃあ、おそらくもう間に合わない」


「……」



 それは昼間に見たエイダの様子からの推測だ。

 ましてや、彼女が魔法を使いはじめたのはヴィクターとクラリスが町を訪れるよりも前。仮に一週間以上魔法を使い続けているともなれば、そろそろ体に限界が来ていてもおかしくはない。

 目を伏せたクラリスは、険しい表情でなにかを考えているようだった。ヴィクターの言葉の意味をゆっくり噛み締めて、頷く。


 ――そんな顔をしないでくれ。だから、言いたくなかったんだ。


 クラリスにこんな悲しい思いをさせたくなかったから、あえてこの話はしなかったのだ。

 それに、あの時、あの広場で、もしもエイダの説得に成功していたならば。ヴィクターとクラリスが町を去った後に彼女が魔獣になってしまおうとも、それを知る手段はクラリスには無かったはずだ。


 ――それかやっぱり、夜のうちに処理しておけばよかったね。


 きっとそれは、クラリスの意向にそぐわない形となってしまうが。



「……うん、うん。分かった。大丈夫、ちゃんと考えたよ。ヴィクター」


「え?」



 クラリスはヴィクターを見習ってカップの中身を一気に飲み干すと、スッと立ち上がった。

 ポカンと彼女を見上げるヴィクターは、稀に見る間抜け面だ。その間抜け面に向けて、クラリスはあえて笑いかけてやった。



「エイダちゃんのところに行こう。おそらくってことは、まだ間に合う可能性もあるってことなんだよね。少しでも可能性があるなら、賭けてみよう。もしも結果が最悪だったとしても……私は、受け入れるよ。だって今ここで動くことができるのは、私達二人しかいないんだから」


「……そうか。キミがそう望むのなら、もちろんワタシはキミに協力しよう。だが場所は? 当てずっぽうに探し回るわけにもいかないだろう」


「それなら大丈夫。ほら、これ」



 クラリスがヴィクターの目の前に、例の地図が描かれたカードを見せる。

 彼はカードを受け取ると、不思議そうに首を傾げた。



「……なんだねこれは。子供の落書きかなにかかい」


「地図だって。ヴィクターはそれどころじゃなかったかもしれないけど……エイダちゃんが帰る前に置いていったの」


「地図……あー……」



 ヴィクターは目を細めたり、寄ったり離れたりとなにやら微調整をしていたようだったが、やがて諦めたのか指先でこめかみをノックした。

 小さな花火の破裂音が鳴ると、キラキラとした光と火花が彼の目元に丸いレンズの眼鏡を形作った。



「なんだ。やっぱり子供の落書きじゃないか」


「よく見れば分かるでしょ。ここが広場で、この辺りが私達が今いるホテル。少し外れたところにあるここが、エイダちゃんのいるところ」


「Hmm……よく分かったよ。ここに向かえばいいということだね」



 あまり納得していない様子でヴィクターはカードをクラリスに返した。道案内は任せるということらしい。

 ヴィクターが椅子にかけていたステッキを手にして床を叩くと、ティーセットと眼鏡は再び花火を咲かせ、微かな煙と共に消え去った。



「出発しよう。今夜が正念場だ」


「うん。ありがとう、ヴィクター……行こう!」



 クラリスがカードを握りしめると、無意識に力が入っていたのだろう。圧力で端が折れて湾曲する。

 彼女の胸の中にある思いは、ひとつ。


 ――待ってて、エイダちゃん。必ず助けてみせるから。

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