賞味期限の切れた魔法《1》
《数時間後》
ドアは、閉まっている。あたり前のことなのだが、中の様子が分からないというのはこうも不安を感じさせるものだっただろうか。
――ヴィクター……大丈夫かな。
数時間ぶりに会うだけだというのに、なぜか緊張する。
元はと言えば、彼がエイダから貰ったクッキーを勝手に食べて――ましてや、昨日なんて袋の中身を丸ごと食べてしまったことが始まりなのだが、まさかこんな事態に発展するとは。
クラリスは深呼吸をひとつすると、控えめにドアをノックした。
「ヴィクター? 入るね」
制止の声は無い。
クラリスがそっとドアを開けると、
ノックの音で目が覚めたのだろう。ベッドから起き上がっていたヴィクターはまだ眠そうな目をしていたが、クラリスの姿を見るとすぐ、その肩上にポコポコと小さな花火を上げて彼女を出迎えた。珍しくぽやぽやしている。
「やぁ、クラリス。まさか起き抜けにキミの顔を見ることができるなんて……今のワタシは世界で一番の幸せ者だね」
「……ふふ。はいはい。もうそんなに口が回るなんて、元気になって本当に良かったわ」
「いつまでもキミを待たせるわけにはいかないからね」
ヴィクターはふにゃりと破顔すると、いそいそと身支度を始めようと手元にステッキを呼び出した。
が、急に大きく目を見開いたかと思うと、「あっ!」と一声。突然の大声に驚くクラリスをよそに、彼の姿は一瞬のうちに毛布の中へと逆戻りしてしまった。
「ど、どうしたの、ヴィクター? やっぱり、どこかまだ調子が悪いんじゃあ……」
「……ちがう。ねぐせ」
「寝癖?」
「まだ直してなかった」
チラリと毛布から顔を出したヴィクターの頭には、たしかにひと房、外に跳ね上がった髪の束があった。
それどころか全体的に見ても、身なりを気にする彼にしてはきっちり整っていないようにも見える。
「別に私は気にしないけど……ほら、そこに潜ってたら直せるものも直せないんじゃない?」
「だめ。クラリスの前に出る時は完璧でないといけないんだ」
そう言って、ヴィクターが
間もなく、クラリスの耳に聞こえてきたのは聞き慣れた破裂音であった。ヴィクターの魔法で花火が弾けたのだろう。
実際、こういった
「……見苦しい姿を見せたね。ほら、いつまでも立っていないで座りたまえ。今温かい紅茶を淹れよう」
もう髪は跳ねていない。ヴィクターは何事も無かったようにベッドから降りると、ステッキを軽くひと振りしてティーセットを呼び出した。
ティーセットが彼の周りを踊るようにくるくる回り、やがて言われた通りにソファへ座ったクラリスの前へとやって来る。
音を立てずにテーブルに着地したカップへと、紅茶は注がれた。
「キミには心配をかけたね。まぁ、なんだ。今回はワタシも軽率な行動をとってしまったのは悪いと思っているよ。自分で毒だと言ったものを、ああも躊躇いなく摂取してしまったんだからね」
「それはそうだけど……分かってるならなんで食べちゃったわけ? 中毒症状が出るって分かってて口に入れてたでしょ」
「……昔はいけたんだ。あれくらいの魔力でできたものなら、朝食にバターを塗ったパンを食べるのと同じようにね。だから、
「こ、好奇心……」
クラリスに対面するソファに腰掛けたヴィクターは、落胆した様子でそう答えた。ましてやその理由が好奇心とは。心配を通り越して呆れてしまう程である。
彼は普段は頭の良さそうに振る舞うし、実際に頭は良いのだろうが……こういうところに警戒心の欠如や慢心が見られる。
昔からの知り合いであるフィリップがあんなにも世話焼きになったのにも、なんとなく納得ができた。
「分かった。もうそれはそれで水に流して、これからについて考えましょ」
「これから?」
ヴィクターが顔を上げる。
彼が余計な勘違いに頭を働かせはじめる前に、クラリスは話を進めることにした。
「そう。さっきフィリップさんから聞いたの。エイダちゃんが魔導士って呼ばれる人になってしまったってことと、ヴィクターや町の人を助けるためには早くエイダちゃんに魔法を解いてもらわないといけないってこと」
「……あー、うん」
その微妙な反応は、何に対してだろうか。
――そういえば、フィリップさんに会ったこと、ヴィクターに先に言わなくてよかったかな。一応フィリップさんは二人で話したって言ってたから大丈夫だと思うけど……
もしもこの反応が彼と会ったことに対してであれば、それは気の毒な話である。
「私ね、ヴィクターが眠っている間に魔導士のこと、少し調べてみようとしたんだ。でも……全然出てこなかった。検索して出てきたのもゲーム用語くらい」
「それもそうだろう。彼らの存在は一般には秘匿されているからね……なるほど。だからワタシの口から説明をしてほしい、と」
「うん。教えてほしいの。だって二人で目的を共にしているのに、私だけ知らないままなんて、不公平でしょ?」
「……それは絶対、かね」
「絶対。だって、少しでもヴィクターの邪魔はしないようにしたいから」
クラリスがハッキリとそう言うと、ヴィクターは意外そうに目を丸くさせた。
――役に立ちたい、ではなく邪魔はしないようにしたい、か。邪魔などと思ったことは一度も無いのだが……
だが、自分のためを思って努力をしてくれたことは素直に嬉しい。
平静を装うヴィクターの背後にポコンと小さな花火が一つ上がったのを、クラリスは見逃さなかった。
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