あなたの血肉はイチゴジャムサンド《8》
控えめなノックの音を聞いて、クラリスは目を覚ました。
頭を整理しようと一人部屋に戻ったまではいいが、どうやらそのまま眠ってしまっていたらしい。
フィリップが呼びに来たのだろうか。未だ半分夢うつつな状態で彼女はベッドを降りると、とドアを開けた。
「よお。終わったぞ」
「うん……ありがとう。ヴィクターは大丈夫なの?」
「今はまた寝てるだろうけど、さっき話した感じなら問題ないだろ。治ったわけじゃないから無理はできないが、夜まで寝かせれば動けるようにはなると思うよ。あーあ、おかげさまでネチネチ小言を言われる羽目になったぜ」
フィリップはそう言って腕を組むと、狭い廊下の壁にもたれかかった。
「で、オマエは? 疲れた顔してたけど、気分はどうなんだ」
「うーん、色々考えようと思ってたんだけど、いつの間にか寝ちゃってたみたいで。あまり気持ちの整理はできなかったかも」
「ふぅん。まぁいいんじゃねぇの。寝れば多少スッキリするしさ」
「たしかに……胸の辺りはちょっと軽くなった気がする」
言われてみれば、感じていた吐き気や気分の悪さは大分薄まっている。
エイダのことを考えるとまだまだ気は重いが、先程に比べればまだ落ち着いて思考することができる。
「フィリップさんって、面倒見がいいのね。ヴィクターだけじゃなくて、初対面の私のことも考えてくれるなんて」
「ああ? 別にそんなんじゃねぇよ。アイツには倒れられたら困るし、オマエはまぁ……仮にもアイツのお気に入りだからな」
あまり正面から褒められることには慣れていないのか、フィリップは居心地が悪そうにクラリスから目を逸らした。
すると彼はなにかを思い出したのか、ボロボロに解れたコートのポケットからカードを一枚取り出すと、それをクラリスへと差し出した。
「広場でオマエらを回収する時に、一緒に拾ったモンだ。あのガキから押し付けられたやつだろ。オレはいらないから返すわ」
フィリップから差し出されたのは、エイダが去る前にヴィクターに向けて渡したあのカードであった。
あの時はよく見る暇も無かったが、カードの片面に全て手描きで描かれたそれは、地図のようだった。
「ひとついい事を教えてやるよ。そのカードは全員が貰えるわけじゃない。症状が末期まで進行してきたヤツにだけ配っている、いわば招待状だ」
「招待状……?」
「そう。餌を与えて、体の中にジャムを蓄えてきた食べ頃の客を、最終工程に導くためのな」
そこまで言うと、フィリップは壁から背を離した。
「ヴィクターを完治させるなら、早いうちに差出人のガキに会いに行くことだな。だが、オマエみたいに平和ボケしてるあまちゃんの考え方じゃあ、いざという時にアイツの足を引っ張るだけだ。どうしてもついて行くってんなら、あのガキ……
「まどうし……うん、分かった。ちゃんと話し合ってみる。何度も言うようだけれど、本当にありがとう。フィリップさんがいなかったら、私じゃヴィクターを助けられなかった」
「礼はもういいよ。一銭にもなりやしねぇし、今回は初回特別サービスだ。……別の場所で会ったオレが、
「ここ? それはどういう――」
クラリスが疑問を投げかけようとした、その刹那。フィリップの周りを、どこからともなく無数の黒い羽根を巻き込み突風が吹き荒れた。
思わず目を瞑ってしまったクラリスが次に瞼を開いた時、目の前にいたのはフィリップではなく、広場やヴィクターの宿泊部屋で見たあの大きなカラスであった。
『じゃあナ、クラリス・アークライト! くれぐれモ死なネェように気をつケルこった!』
「わっ!」
またノイズ混じりの汚い声で言葉を残すと、フィリップ――否、先程までフィリップの姿に化けていた彼の使い魔は、クラリスの横スレスレを通り過ぎて、彼女の宿泊部屋の窓から外へと飛んでいってしまった。
残されたクラリスはとりあえずドアを閉じると、使い魔が出ていった窓から外に顔を出す。
付近にカラスの姿は無い。どうやら飛び去ってしまった後のようである。
「……魔法使いって、みんなあんな感じで個性的な人達……なのかな」
ぽすん、とベッドの端に腰掛け、クラリスが呟く。
フィリップの話では、ヴィクターは彼と少し話した後にまた眠りについたらしい。様子を見に行くとしても、少し時間を置いてからの方がいいだろう。
「そうだ、エイダちゃんのカード……」
先程渡されたカードの存在を思い出し、クラリスは改めてカードに描かれた地図を確認した。
カードの枠いっぱいいっぱいに線が描かれている。さながら迷路のようである。
――
地図は北の方角すら分からなかったが、まだ新しい記憶を頼りに右に左にカードを回してみれば、なんとなく目指すべき方角の検討だけはついた。
――うん。あとは歩きながらでもたどり着ける気がする。
クラリスはベッドに倒れ込むと、枕元にカードを置いて天井へと目を向けた。
「魔導士……か。また知らないことが増えちゃったな」
あのままフィリップに聞いてもよかったが、彼の言い方では話はヴィクターから聞けということだった。
それもそうだろう。ヴィクターは肝心なところをぼかして喋っていたのだ。彼の口から説明してもらう義務がある。
――そもそも、魔法使いのことだって、ヴィクターに出会うまでは名前だけでよく知らなかったかも。いるのは知ってたけど、おとぎ話に出てくる三角帽子くらいのイメージだったし。
常に一緒にいる男のことを考えれば、そんなイメージなど容易く崩れ去ってしまう。むしろ、今時三角帽子の魔法使いなどいるのだろうか。いや、そもそも現実にいたことなどあるのだろうか。
「よし」
クラリスは勢いよく起き上がると、ベッド脇で充電したままだったスマホを手に取った。こういう時に役に立つのが、文明の利器である。
――夜になるまで、ちょっと調べてみよう。魔法使いのこととか、魔導士のこととか。私が知識をつけておけば、いくらヴィクターが説明するのが苦手でも少しは理解しやすくなるだろうし。次にまた事件が起きても、邪魔にならなくて済むかもしれない。
その努力を知れば、きっと彼はクラリスを褒めたたえてくれるだろう。
だんだんと西日が差し、うっすらと月が茜空に顔を出す。辺りが完全に暗くなるまで、クラリスは夢中で画面へとかじりついていた。
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