あなたの血肉はイチゴジャムサンド《7》

 ようやく現場が静まったのは、五分以上が経過した頃だった。



「んー、これで全部かな。おつかれさん、戻っていいぞ」



 フィリップがカラスの額を指先で撫でる。

 口の周りをベトベトに汚したカラスは、しゃがれた声で『ガァ』とひと鳴きすると、開け放したままの窓をくぐって外へと出ていった。

 テーブルの上に並べられた八個のグラスは、さながら瓶詰めされたジャムが整列しているようである。

 そのうちの一つをフィリップは持ち上げると、おもむろに立ち上がった。



「フィリップさん、それ……どうするの?」


「どうするって、全部ヴィクターに飲ませるんだよ。幸運にもまだジャムになったのは一部だけみたいだし、魔法が解けた時に勝手にそれらしく戻るだろうからな」


「飲ませる……!? でも、それってその、臓器……なんだよね……」


な。今はほぼジャムみたいなモンだから、血が混ざっててもそこまで不快感はないだろ。はぁ、コイツが魔法の効きやすい体質で良かったぜ。この状態でもオレの魔法でコントロールすれば、こんなんジャムでも無理矢理臓器として機能させることができる。普通の人間なら、このまま浸食が進んで――それこそ内臓が全部ジャムになった時には死んでるはずだからな」



 そう言ってフィリップがケラケラと笑い声をあげる。

 だが、内容はまったくもって笑える話ではない。彼の話がそのままの意味ならば、あの広場で倒れていた人々の中にも亡くなってしまった人間がいるのではないだろうか。

 それならば、きっとヴィクターがクッキーを口にするより前にも、被害者は出ているはずなのだ。


 ――それじゃあ、エイダちゃんはたくさんの人が亡くなっているのを分かった上で、あのクッキーを作り続けているってこと? 魔法が人間性を歪めるっていうのは、本当に善悪の区別もつかなくなってしまうってことなの……?


 考えれば考えるほど、クラリスの頭の中はこんがらがっていき、分からなくなっていく。

 エイダからの悪意は確かに感じられなかった。だが、やっていることは悪魔の所業そのものである。

 きっとそれは、人間の世界でも魔法使いの世界でも、許されることではない。



「なんだ、クラリス・アークライト。顔が青いぞ。気分が悪いなら部屋から出て休んでるか? コイツも今はこんな状態だし、しばらくはオレがついてるからさ」


「……」



 今日初めて会った人物にヴィクターを任せるのは気が引けるが、今のクラリスの精神状態では自分の心を保つのが精一杯だった。

 ましてやここに留まっていたとしても、フィリップに気を使わせるだけでヴィクターの状況が改善するわけでもない。なにより自分のためにも……彼女には一度心の整理をつける時間が必要だった。



「うん……それじゃあ少しだけお言葉に甘えて、隣の部屋に戻っていよう……かな。この短時間で色々ありすぎて、ちょっと今は頭の中を整理したい……かも」


「はいよ。隣な。終わったら呼びに行くよ」



 フィリップの気の抜けた返事を聞いて、クラリスは少し覚束無い足取りのまま部屋を後にした。

 手にしたグラスをサイドテーブルに置くと、フィリップはベッドの端に腰を掛けて、眠り続けるヴィクターの様子に目を向けた。

 コートは脱がせたとはいえ、着込んでいて分かりにくいが腹の辺りが窪んでいる。きっと手で押せば背中まで触れてしまうだろう。



「……やっぱ、空から見てるだけじゃ分かんねぇもんだな。オマエは奥手すぎるし、説明はヘッタクソ。答えをハッキリ示さないで、半端に考えさせてたせいで……アイツ、すげぇショック受けてただろ。ましてやあんな他人様の魔力の塊みたいなモン馬鹿みたいに食うなんて、危機感が無さすぎだ。オレがいなかったらどうなってたか」


「……」


「オイ。いつまで狸寝入りしてんだよ。アイツは騙せても、オレは騙されないからな」


「……ぴぃちくぱぁちくやかましいね……説教なら他所でやってくれ。ゆっくり寝かせてくれたらどうなんだ」



 弱々しく掠れた声が聞こえたかと思えば、眠っていたはずのヴィクターの瞼がゆっくりと開いた。



「なに言ってんだよ、聞き耳立ててたくせに。いつから起きてたわけ」


「キミの使い魔が汚い声で嘔吐しはじめたところからだよ。キミはキミでクラリスと親しげに話をしているし、おかげで最悪の目覚めになった……クラリスと言葉を交わすことを容認してやっただけでも、少しは感謝したまえよ」


「おお、なら良かった……じゃなくて、久しぶりにこっち人の姿で話ができるって機会なのに、なんだその態度。あれで親しげと判定されるなんて、困ったもんだよホント……ほら、起きてたなら話は聞いてただろ。これ、集めてきてやったから腹に入れな」



 そう言って、フィリップがサイドテーブルに置いていたジャムヴィクターの内臓の入ったグラスを差し出す。

 上半身だけ起こしてそれを受け取ったヴィクターは、明らかな不快感を滲ませた表情でグラスの中を覗くと、チロりと舌先だけを中身に触れさせた。



「……美味しくない。三流の味がする」


「文句言わないでさっさと飲め。この状態でも臓器の機能をするよう魔法を掛けといたから、じきに普段と変わらずに動けるようになる。勘違いするなよ? 完治したわけじゃないんだから無理はするな。まったく……オマエが出すだけ出したせいで、あっちにまだまだあるんだぞ。それともご丁寧にパンに一枚一枚塗って食べやすくしてやれってか?」


「結構。自己責任なことくらい分かっているよ……うぅ、腹の中が変な感じがする……」



 そうぼやきながらも、ヴィクターがチビチビとグラスに口をつける。

 フィリップは彼が問題なく飲み込めているのを確認すると、残りのグラスを次々と持ってきてはサイドテーブルへと並べた。

 その光景を見て、わずかな間ヴィクターの動きが止まったのは言うまでもない。


 全てを消費することができたのは、壁掛け時計の長い針がほぼ一周した頃だった。



「……飲んだよ」



 虚ろな目で最後の一口を無理矢理喉に流し込むと、ヴィクターはグラスを置いてフィリップに報告した。

 姿かたちが違うとはいえ、自身の体内にあったものを再度飲み込むというのには抵抗感があったが、なによりも適量を超えた人工甘味料の大量接種がキツかった。

 口の中がまだ甘ったるい。さながら新手の拷問のようである。



「おつかれさん、ヴィクター。体調はどうだ?」


「おかげさまで大分回復したよ。助けてくれたのがクラリスではなく、キミだというのは嬉しくないサプライズだったが……まぁ、荒療治だがこの方法ならば異次元の胃袋を持つキミの使い魔が集めてくるのが適任だろう。一応感謝はしておくよ」


「一応って……そういう時は、ありがとうだけ言えばいいんだよ」


「ふん、イヤだね」



 ぷいとヴィクターがそっぽを向く。

 暇つぶしにソファからテレビを見ていたフィリップが、長い溜め息を吐き出して立ち上がった。

 彼はベッドに近づいてヴィクターの頭に両手を置くと、まるでペットを撫で回すかのようにワシャワシャと髪をかき混ぜた。



「こら、フィリップ! せっかくセットした髪に触るな!」


「どうせ魔法でセットしてんならいいだろ。というか元々寝てる間に崩れてるっての」


「言葉が悪かったね! 嫌がらせをやめろと言ってるんだ!」



 ヴィクターが左右にブンブンと首を振ると、意外にもフィリップはあっさり手を離した。



「そんだけ元気なら、良くなったのも本当みたいだな」


「チッ……キミはいつもいつも、雑すぎるのだよ。ここですぐに息の根を止めてやらなかったのは最大限の温情だと思いたまえ」


「あーはいはい。寛大なヴィクター様のおかげで今日も生きながらえましたよ」



 わざとらしくフィリップが両手を上げる。これだけ口も回るなら、少しの間寝かせておけばじきに調子も戻るだろう。

 だが、彼は次にヴィクターの口から放たれた言葉に目をパチクリと瞬きさせた。



「……それで。ここまで丁寧に面倒を見てくれたんだ。見返りにキミは何を求めるのかね。ただの善意でワタシを助けたわけでもないだろう」


「……はぁ? なに、ヴィクター。オマエはオレが謝礼目当てで助けてやったとでも思ってるわけ? 仮にも親友だろ?」


「仮ですらないよ。腐れ縁の間違いだろう……。キミが損得勘定無しに動くとは思えないからね。まぁ、どうせい言いたいことは分かっているが」



 そうヴィクターが言うと、フィリップの目が今度は怪しく細められた。



「ふぅん。モノじゃなくて言いたいとは、分かってるじゃねぇか。それじゃあ単刀直入に言わせてもらうが……ヴィクター、オレと組まないか?」


「断る」


「あ? なに、オマエさ……断るにしても、せめて少しは考えるフリでもしてから断れば? 前はほら、事故って失敗しちゃったけどよ……オレとオマエが組むっていったら、今度こそ世界を丸ごと乗っ取ることができるかもしれないんだぜ? 昔言ってたじゃん。サントルヴィル中央大都市のド真ん中にでっけぇクレーターあけて紅茶のプール作ってさ、浴びるほど飲むんだって! あそこは今じゃ世界一の大都市だ。穴のあけがいも、あの頃の何千倍もあるんだぜ!」


「何百年も過去の発言をほじくりかえすんじゃないよ……はぁ。考える暇も無いね。今のワタシにはクラリスがいればそれで十分なんだ。誘うにしても、もう少し魅力的なプレゼンでも練ってから出直してくることだね」



 ごろんとヴィクターが横になる。無情にも壁の方を向いてしまった。

 どうやら彼の中ではフィリップとの会話治療の見返りはもう終わってしまったらしい。曲がりなりにも感謝しているのならば、リップサービスくらいあってもいいのではないだろうか。



「いいよ、どうせオマエが拒否することくらい分かってたから。……だけどこれだけは覚えておけよ。あの女に執着するのは構わないが、オマエの過去は無かったことにはならないし、遅かれ早かれボロは出るんだよ。苦しい思いをしたくないんだったら、早いうちに関係を切ってこっちに戻ってくることだな。……これは嫌味じゃなくて、本当にオマエのことを思って言ってるだけだから」



 フィリップは言うだけ言うと、テレビを消して静かに部屋を後にした。

 返事はもちろん聞こえない。返ってくるとも思っていなかったが、この短時間でヴィクターが既に眠っているとも彼は思っていなかった。



「ふん……大きなお世話だよ」



 聞き手のいなくなった部屋の隅で、ヴィクターが呟く。

 壁の薄い安宿だ。きっとフィリップがクラリスに状況でも伝えに行ったのだろう。静寂に耳鳴りが響く中で、隣の部屋の扉をノックする音が聞こえる。



「キミに言われなくたって……ワタシが一番よく分かっているさ。でもいいだろう。長い人生の中で、少しの間くらい夢を見ても……」



 まぶたが重い。いくら体調が良くなったとしても、体はまだダメージを受けたままのようで、そろそろ考え事をすることも億劫になってきた。

 もやもやとしたわだかまりを抱えたまま、ヴィクターは久方ぶりに深い眠りの中へと落ちていくのだった。

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