あなたの血肉はイチゴジャムサンド《6》

 ――ヴィクターの親友……?


 クラリスには、その普通の言葉がとても不思議な言葉に聞こえた。

 親友はおろか、友人がいるという話を彼の口から聞いたことは一度もない。そもそも他人の話をしているところを、ほとんど聞いたことがないのだ。

 とりあえずフィリップから差し出された手を取った彼女は、「よろしく……」とだけ返して男の様子を伺った。



「なんだ緊張なんてすんなって。別にオレはオマエをどうこうしようなんて思っちゃいねぇし、今回はヴィクターの監視の目が届いていない絶好の機会だからこそ、前々から興味のあったオマエに接触してみようと思ったってだけ。やることやったらすぐに帰るよ」


「帰るって……なんで? ヴィクターの親友なら、一緒にいてくれた方がヴィクターも喜ぶんじゃない?」



 クラリスがヴィクター側であれば、その方が嬉しい。それに、単純に友人を前にした彼の反応が気になるのだ。

 しかしそんなクラリスの期待とは裏腹に、フィリップは深い溜め息を吐き出したかと思うと、渋い表情で彼女の期待を一蹴した。



「あー、それは無理。アイツ、オレのことすげぇ嫌いだもん」


「えっ? フィリップさん……さっき、自分で自分のことをヴィクターの親友だって紹介したのよね。それに兄弟みたいなものだって。もしかして喧嘩したとか……そういうこと?」



 そうクラリスが聞くと、フィリップはますます渋い表情で眉間に皺を寄せた。



「喧嘩ねぇ……まぁそんなところだ。オレがオマエと話しているところなんて見られてもみろ。いつ頭を吹っ飛ばされて殺されてもおかしくない。ンンッ――ワタシのクラリスとのおしゃべりは楽しかったかね? 鳥頭。ああ、別に答えなくていいよ。キミの感想は求めていないからね。それにしても、起きて最初に見たのがキミの顔だなんて、最悪の目覚めだ……せいぜい、人生の最期にクラリスと言葉を交わせた幸せを噛み締めながら逝くといい――ってね」


「……ぷっ、あはは! フィリップさんって、声真似がすっごい上手なのね! ヴィクターが言ってるところ、簡単に想像がついちゃった」


「だろお? アイツの真似なんて披露する機会がなかったから、聞いてもらえる相手ができて良かったよ」



 フィリップはそう言って、初めて笑顔を見せた。

 少し物騒な言葉も聞こえた気がしたが、ヴィクターの普段の言動からすればそう違和感はない。むしろ彼がクラリス絡みで言いそうなことだと考えれば、完成度は高いといえる。


 ――ヴィクターのことも助けてくれたし、親友っていうのも本当なのかも。


 クラリスの心の天秤が、がほどけてな方へと傾く。

 たしかに現実には存在しないその天秤が動いた音を聞いて、フィリップはわずかに口角を上げた。

 彼はクラリスにを問いただすため、この瞬間を待っていた。その時が来たのだ。



「そんじゃあ今度はオレが質問する番だ。ああ、そんなに緊張しなくてもいい。今から聞くのは、掛け算をするよりも簡単な質問だからな」



 そう前置きをして、フィリップはチラリと眠るヴィクターの様子を確認した。

 起きる気配はない。今のところは聞き耳を立てているわけでも、狸寝入りをしているわけでもない。聞くなら、今しかない。

 フィリップは前のめりに身を乗り出すと、クラリスにだけ聞こえるように口元に手を添えた。



「……あのさ。ヴィクターとオマエって、どこまでいったの?」


「……はい?」


「いや、だから。どこまでいったのかって聞いてるんだよ。ハグなのか? キスなのか? それとも――」


「ちょ、ちょっと待って! フィリップさん、勘違いしてるみたいだけど、私とヴィクターは恋人関係とか、そういうのじゃないからね? どこからどう見たって釣り合ってないでしょ、私達」



 慌ててクラリスが首を横に振ると、フィリップは「マジで?」と言ってゆっくりソファへと戻っていった。

 ソファの背もたれに沈みこんだ彼は、期待が外れたのかポカンと口を開けてなにかを考えているようだったが、やがて間抜け面を上げてクラリスに問いかけた。



「えっ、じゃあなに。アイツがところ構わずクラリスって呼んでるのって、交際関係もなく事実無根で勝手にそう言ってるってだけ?」


「うーんと……まぁ、言ってしまえばそういうこと、になるかな……」



 そんなことまで知っているだなんて。クラリスとてヴィクターの好意は重々分かっているゆえに言い切るのは悪いが、ああ言う以外に説明のしようがない。

 彼女の回答を聞いたフィリップは、さらに落胆した様子で天を仰いだ。



「なんだよお。だから若い頃に経験は積んどけって言ってたのに……。色恋沙汰には興味ありませんみたいな顔して全部突っぱねてるから、先走った間違ったアプローチの仕方を覚えるんだよ……」


「あの、フィリップさん? 大丈夫?」


「あー大丈夫大丈夫。変なこと聞いて悪かったな。さすがにプライベートゾーンまで覗き見ることはしなかったから、親友の近況が気になってただけなんだ」


「そう……期待してたような答えができなくてごめんなさい」



 フィリップがひらひらと手を振って、気にしていないという意を示す。

 勝手に期待されて、勝手に落胆されただけなのだ。ここで謝るのも違う気はしたのだが、クラリスには他にかける言葉が見つからなかった。

 すると、そんな話の切れ目を見計らったのだろうか。コンコンと窓ガラスが叩かれる音に、クラリスとフィリップは外へと目を向けた。



「おっ。ちょうどいいタイミングで戻って来たみたいだな」



 フィリップが立ち上がり、窓を開ける。

 身軽なジャンプで窓枠を越えてきたのは、一羽のカラスであった。

 カラスはガァと濁った声でフィリップに挨拶をすると、大きな翼を広げてクラリスの前のテーブルへと降り立った。



「この子は?」


「オレの使い魔だ。ちょっとあるモノの収集を頼んでてな」



 そう言ってフィリップが、小型冷蔵庫の上に置かれていたグラスをテーブルに置いた。

 飲み口をトントンとノックすると、利口なカラスは細い足を上手に使って指示した場所へと歩いていく。

 そしてカラスはおもむろに嘴をグラスの中へと突っ込んだ。すると――



『エッ、エッ――ゲェッ! エェ、グエェッ!』


「な、なに、フィリップさん! この子凄い勢いでなにか吐き出してるんだけど!」



 カラスの喉からグラスの中へ注がれたのは、赤黒いナニカであった。

 なぜ今日は他人の吐瀉物ばかり見なければならないのか。クラリスが助けを求めるようにフィリップの顔を見ると、彼は意地の悪い顔でニィと笑った。



「これはな、ヴィクターの内臓ものだ」


「えっ? 内臓……?」



 クラリスは耳を疑った。

 グラスの中にあるモノは、明らかに臓器の形をしていない。だが、言われてみれば見覚えはある。

 それはついさっきまで彼女達がいた広場で、ヴィクターが吐き出した血の混じったゼリー状の物体――ジャムだ。


 あの時はそこまで頭が回っていなかったが、今になってようやく――エイダの魔法についてヴィクターが予測していた『人間を変質させる魔法』、そしてフィリップが『ヴィクターの内臓』と述べた目の前の物体。これらがクラリスの中で繋がった。



「もしかしてエイダちゃんの魔法っていうのは、ってこと……? 食べたものをジャムにしちゃうとか、そんな簡単な話じゃなくて……」


「なんだ。ヴィクターの奴、ちゃんと説明してなかったのか。どうせオマエに変な気ィ使ったんだろうけどさ……昔から都合が悪い話はうやむやにしようとする癖があるんだよ。だからたまに、こういう勘違いを起こさせることがあるんだ」



 そう話しながらもフィリップは手際よく、ナニカ改めヴィクターの内臓が溢れ出しそうになるグラスを新しいものに取り替える。

 到底カラス一羽の腹の中に収まらないような量の内容物を前に、初めはただ見ていたクラリスもだんだんと吐き気が込み上げてきた。

 これが本当に臓器の形を保っていたならば、この場でカラスと一緒になって吐き出してすらいただろう。


 ――あーあ、すっかり大人しくなっちまった。仕方ねぇな……今回だけは、親友のよしみとして……初回サービスでお節介を焼いてから帰るとするか。


 そう考えながらも、手は休めず。フィリップは手際よく新しいグラスをカラスの口元へと運んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る