あなたの血肉はイチゴジャムサンド《4》

 文字通り、人を掻き分け、道を作りながら進んでいく。

 クラリスの言いつけを守って、ヴィクターが人に無駄なちょっかいをかけることはなかった。

 時折、肩がぶつかったり、突然言いがかりをつけられて絡まれそうになることはあったが、それも彼がひと睨みすればそそくさと去っていく。


 ――もう。最初からそれで済むのなら、そうすれば良かったのに。


 ヴィクターはたしかに頭も口も回るが、相手を思いやった最適な会話の選択肢をすることは得意ではない。

 それに魔法の腕は自身が世界一と豪語するだけあって、並大抵のことはソツなくこなすものの――彼の性格なのか育ちに起因するのかは分からないが、口調や見た目に反して粗暴な使い方がよく目立つ。


 それらをどうにか注意して、サポートして。ようやく最低限の一般レベルにまで引き上げた常識とコミュニケーションを説くのがクラリスの役回りなのだ。

 だって他に好き好んでやる人間はいないだろう。こんなデカくて偉そうな、顔だけの男相手に。



「……いた! エイダちゃんだ!」



 二人がようやくエイダ本人の姿を捉えることができたのは、ワゴンの直前まで来てのことだった。

 もちろんエイダの身長がワゴンより低いため、群衆の中からは確認できなかったのもあるが――そもそもの彼女の顔つきが、昨日までと違っていた。

 別に顔の造形が変わっていたり、目鼻の位置が変わっているわけではない。だが目の前のエイダの顔は、昨日よりも疲れきっており、たった一日でやつれてしまっていたのだ。



「……あっ。お兄さん、お姉さん! 来てくれたんですね」



 それでもエイダは、二人を見ると嬉しそうに微笑んだ。

 ワゴンの上の袋は残り少ない。エイダが「少し待っててくださいね」と言っている間にも、群がる客達は彼女のクッキーを購入しに――いや、違う。既にそこに金銭のやり取りは発生していなかった。

 手を伸ばす客相手に無料で、エイダはいっぱいにクッキーの詰め込まれた袋を渡していたのだ。

 クラリスはなんと声をかければいいか迷ったが、それでもヴィクターに説得を任されたからには責任を果たさなければならない。



「今日はすごいお客さんだね……。みんなエイダちゃんのクッキーを買いに来てるの?」


「そうなんです! 昨日のお客さん達に、家族やお友達にも配ってあげてくださいねってお願いしたら、こんなにいっぱい……えへへ。明日はもっともっと忙しくなりそうだなぁ」



 最後の一袋が、客の手に渡った。

 うっとりとした表情でエイダはそう答えたが、それが素直に喜べる状況でないことはクラリスも分かっている。

 やはりあのクッキーは、町全体へと出回ってしまっているのだ。



「エイダちゃん……みんなに笑顔になってもらいたいっていう、アナタの気持ちはよく分かってる。でも、たまには休んだ方がいいんじゃないかな? 今日のエイダちゃん、すごく疲れた顔をしてて……私心配になっちゃったの」


「……たしかに毎日夜遅くまで、クッキーを作っていたのであまり寝てない、かもしれません。朝起きても体が重くて……でも……」


「でもじゃないでしょ。エイダちゃんが倒れちゃったら、私は悲しいし、それこそみんなを笑顔になんてできなくなっちゃう。だから今日は帰ったら、美味しいご飯を食べて、いっぱい寝て休もう? 私達がおうちまで送っていくから。ね?」



 クラリスが言ったことは本心であった。

 ヴィクターの話では、エイダがこのまま魔法を使い続けることは彼女自身の命を脅かす行為となる。

 ましてや、今後も小さな子供一人でこんな場所に置いておくことなどできない。彼女の両親にもよく話して、こんなことは止めさせないといけないのだ。

 その心配する気持ちは、どうやらエイダにも伝わっていたらしい。彼女は少しの間足元を見て迷っていたが、やがて顔を上げるとにこりと微笑んだ。



「平気です!」


「……え?」


「たしかに疲れてはいますけど、こんなにたくさんのお客さんが私のクッキーを求めに来てくれていて……今が一番幸せなんです。だから、休むなんてもったいないことはしません。町の外からもお客さんが来ているうちに、もっともっといっぱいの人達に私のクッキーを食べてもらわないと!」



 前言を撤回しなければならない。彼女に、クラリスの気持ちは伝わっていなかった。いや、伝わっていたのかもしれないが、それは心まで届いてはいなかったのだ。

 思い立ってすぐ、エイダは行動に移った。地面に広げていた箱や道具を一式ワゴンに積み込むと、手早く後片付けを済ませていく。

 きっと、帰ってすぐにでもクッキー作りの準備を始めるつもりなのだろう。



「待ってエイダちゃん! アナタがこのまま魔法を使い続けたら、町もアナタも大変なことに――わっ!? ヴィクター? こんな時に突然どうしたの……って、大丈夫!?」



 急なことだった。エイダの元へ向かおうとしたクラリスの背中に、なにかが寄りかかってきたのは。

 正体は嗅ぎ慣れた香水と、混ざったジャムの香りのおかげですぐに分かった。

 ヴィクターだ。突然よろけてクラリスの肩に手を置いた彼は、「大丈夫、大丈夫」としきりに小声で繰り返しつつも、立っていられないのかステッキ伝いにずるずるとその場にしゃがみこんでしまった。



「どう見たって大丈夫じゃないでしょ! 具合が悪かったら言ってって言ったのに!」


「うん、うん……ごめん。でも……言ったら今日の予定も変更しないといけなくなるし、キミが、心配すると思って……ほら。昨日もワタシのせいで途中で切り上げようとしてたから……」



 それはカフェでのことを言っているのだろうか。

 ヴィクターは気づいていないと思っていたが、クラリスの考えていたことは全部彼にはお見通しだったのだ。

 彼はまだなにか言おうとしていたが、一度咳き込みはじめるとなかなか止まらないらしい。クラリスに背中をさすられながらも、苦しそうに肩で息をしていた。



「お兄さん……!」



 片付けをしていたエイダも、ヴィクターの異変に気がついたのか小走りで二人の元へと戻ってきた。

 そして――彼女の行動にクラリスは目を疑った。



「はい。お兄さんにはまだ渡してませんでしたよね、このカード。もっとクッキーが欲しい人達には、夜になったらここに書いてある場所まで来てもらうようにお願いしてるんです。えへへ……お兄さん達が来てくれるのも、楽しみにしてますね」



 エイダはなにかが書かれた赤いカードをヴィクターの前に置くと、どこか満足そうにしてワゴンを引いて去ってしまった。こんな状態の人間を前にして、気にかける言葉一つなく、である。

 広場にいた人間達も同様である。一人、また一人と広場を去っていき、取り残された二人を気に止める者は誰もいない。

 彼らの関心の対象は、今やエイダのクッキー――それ以外に向いてはいないのだ。



「エイダちゃん、どうして……」


「……げほっ……言っただろう。ただの人間にとって……魔力は、人間性を歪める毒、だと――」



 そこまで口にしたところで、ヴィクターがステッキを落とした。

 彼は両手で口元を押さえると、再び激しく咳き込みはじめる。だが、今度は様子がおかしい。やけにずっとえずいている上に、体が震えているのが背中越しにも伝わってくる。


 ――もしかして、これもエイダちゃんの魔法の症状? 広場にも倒れてる人がいたけど、どうしよう。早く病院に連れていかないと――


 その時だった。

 突然、ヴィクターの背中が大きく跳ねたかと思えば、口を押えていた指の隙間から赤い液体が溢れ出てきたのだ。もちろん、クラリスが押さえようとしたところで止まるはずもない。



「ヴィクター!? まって、これ止まらない……!」



 クラリスの頭はパニック寸前だった。

 ヴィクターの口から出ているのは、明らかに血だ。それは分かる。しかしそれに混ざって、別の赤いゼリー状のものが吐き出されている。

 それがなんなのであるかは、この際答え合わせする必要はないだろう。


 ――食べたものを吐いてる感じじゃない。でも、次から次に溢れてくる……もしかして、もうヴィクターの体の中であのジャムが作られてる? なんで? さっきまでは元気そうに……ううん、そもそも体調が悪いって言ってたのは昨日からだった。ここまでずっと我慢してたんだ。私が早く気づいていれば……


 ずっと一緒にいたのに、彼が普通の状態でないことが分かっていたのに、こうなるまで無理していたことに気が付かなかったなんて。

 吐くだけ吐き出して、少し楽になったのだろう。ヴィクターは息も絶え絶えながらに顔を上げて――そして、彼女の顔を見て驚き、わずかに微笑んだ。



「……はは。酷い顔だよ、クラリス。心配をかけてすまない……少し、気分が悪くなっただけだ。別に死んだわけでもないんだし……ほら、キミは早くエイダくんを追いかけて――」


「今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょ! ……ああもう! こういう時に限ってスマホを部屋に忘れてきちゃった。今助けを呼んでくるから、ヴィクターは動かないでここで待ってて」



 クラリスは無意識に右目から零れていた涙を袖で拭うと、ようやく落ち着いたヴィクターの背中から、さすっていた手を離して立ち上がった。



「うん……ごめん」



 今のヴィクターはもう、それだけを言うのが精一杯だった。


 ――いけないな。こんなに迷惑をかけているのに……キミがワタシを心配して、涙を見せてくれたことが嬉しいだなんて。……ねぇクラリス。これではますますキミのことが好きになってしまうよ……


 クラリスに聞こえていないとは分かっていながらも、噛み締めるように、ヴィクターが心の内で呟く。

 しかしその体がふらりと横に揺れ動き、地面に倒れ伏すまでには時間は掛からなかった。

 視界の端から、徐々にノイズが走っていく。

 意識が途切れる寸前、クラリスが自分を振り返ったような気がしたが――確認する間もなく、彼の意識は完全に途切れた。

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