あなたの血肉はイチゴジャムサンド《2》
残念ながら、昨日の場所にエイダの姿は無かった。
それどころか二人が寛いでいたあのカフェも、今日は人足が少ないのかランチタイムにも関わらず閑古鳥が鳴いている。
「うーん……エイダちゃん、ここにはいないみたい。もしかしたらまた場所を変えたのかも」
「それなら一昨日いた場所に行ってみるとしよう。あっちは通り沿いだからね。そこにいなくとも、歩いていたら運良く見つけられるかもしれない」
ヴィクターの提案に、クラリスは頷いた。
エイダはどこに行ったのだろうか。最初は妙なワゴンがあると思う程度だったが、この状況ではとっくに町全体が巻き込まれていると考えてもおかしくないはずだ。
もしも次のアテが外れれば、捜索範囲を広げなくてはならない。
異常を聞きつけた町の権力者や自警団が既に動いているかもしれないが、この様子では期待するだけ無駄だろう。
なにせ、あのクッキーがどこまで出回っているのかなんて、クラリスには知る由もないのだから。
「ねぇヴィクター。エイダちゃんがみんなを魔力中毒にしてまでクッキーを売るのって、なんでだと思う? あの子の話を聞いた感じ、お金目的ではなさそうだし……みんなを幸せにしたいっていう純粋な想いは本当だと思うの」
通りに戻り、エイダとそのワゴンを探す途中。ふと思い立った様子でクラリスがそうヴィクターに問いかけた。
「Hmm……そうだね。きっと、キミの意見がレディにとっての
「過程と結果?」
クラリスが不思議そうにヴィクターを見上げる。
彼は少しの間黙り、自分の意見をクラリスに話していいものかと思案しているようだった。
数秒の間の後、開いた彼の口から飛び出たのは、意外な質問であった。
「……クラリスは、あのクッキーは何からできていると思う」
「えっ? それは、薄力粉とかバターとか……いや、でもアレはエイダちゃんの魔法でできているとしたら、ヴィクターが昨日言っていた魔力そのもの……?」
「うん……まぁ、とりあえずそれでいい。じゃあ、そんなエイダくんの魔法
「いくつだなんて……百とか、二百とか? でも一つの袋に十個くらい入ってるとしたらその十倍以上だから――」
「答えは
自分が振ったにも関わらず、クラリスが考えている途中でヴィクターはそう答えた。
「ゼロ? なんで? だって実際にエイダちゃんは、自分の魔法で作ったクッキーを売り歩いているのよね。それがゼロになると、今までの私達の推測は全部間違っていたってことにならない?」
「……クラリス。キミは大変愛らしく、聡明であるが……まだ魔法使いの世界についての理解は浅いらしい。一度質問を変えよう。――エイダくんの使う魔法は、どんな魔法だと思う」
「それは、ずっと言っていたようにクッキーを生み出す――」
「
少し馬鹿にしたような言い方だが、クラリスが口を挟むことができないほどに、彼は真面目に言葉を紡いでいる。あのヴィクターが、である。
たしかに彼は昨日、確証がない
――この一晩の間に、確証を得るなにかがヴィクターの中にあった……ってこと?
自然と背筋が伸びる感覚に、クラリスは無意識にヴィクターの次の言葉を待っていた。
「いいかい。エイダくんは魔法でクッキーを作り出す。それは間違いない。もちろん悪意など無い、純粋な想いからやっている行為だろうね。だがその製造工程は、ただその場に出来たてのクッキーを生み出すだけのものではない。通常の菓子作り同様、材料が必要なんだ」
「つまり……エイダちゃんの目的は、その材料……」
「そう。ワタシの考えでは……エイダくんの魔法というものは、彼女の作ったクッキーを口にした人間に対して、効果を発揮する魔法なのではないだろうか。ましてやそれが、摂取量と時間に応じて人間そのものを変質させる効果があるとすれば……
ここまで丁寧に前振りをされたのだ。ヴィクターの言いたいことは、クラリスにはもう分かる。
「クラリスは、あのクッキーは何からできていると思う」
「……」
彼女は答えなかった。その考えを口にすることがおぞましかったのだ。
ヴィクターもそれ以上を言うことはなく、しばらく気まずい沈黙が二人の間に流れる。
――もしも、あのジャムが人の体の中で作られていて……エイダちゃんがそんな人達からどうにかジャムを回収して、新しいクッキーを作っているのなら……
果たしてそんなことが起こり得るのだろうか。他人の体の中で作られた未知の物体を、そのまた他人が口にする。そんな非人道的な、料理とも呼べない行為を年端もいかない子供が行っているだなんて。
魔力に呑まれるとは、そんなにも恐ろしいことなのだろうか。
どれもこれも、エイダに直接聞いたわけでもなければ、まだクラリス想像の域を出てはいない。
――ううん。考えすぎてもしょうがない。まずは私にできることをやろう。絶対にエイダちゃんを説得して、早くみんなの魔法を解いてもらわないと。答え合わせはそれからだ。
彼女が自分の頬を二回叩いて気合いを入れ直した。そんな時である。
「わぷっ! ……ちょっと、ヴィクター。急に立ち止まるなって言ってたのはアナタじゃない。いったいどうしたの?」
「クラリス。アレを見たまえ」
急に止まったヴィクターに衝突し、クラリスが抗議の声を上げる。
いくら自分も上の空だったとはいえ、この身長差ではヴィクターの背中はほぼ壁だ。弾みで尻もちをつかなかっただけ、まだ良かった方だろう。
だが、クラリスはヴィクターが立ち止まった理由をすぐに理解することになる。
――なに、あれ。
今回の催しを聞いて、わざわざ遠くから訪れていた観光客も数多くいただろう。
だがそんな彼らも、この光景を見たらきっと残念がるに違いない。なにせ――
「……えっ? まさかエイダちゃんがいるのって、あの人達の中……?」
「そのまさかに違いないだろうね」
この町で盛り上がっている唯一のワゴンは、広場を埋め尽くす程の人間達に囲まれていた。
その数は昨日、一昨日の比ではない。まるでライブや街頭演説を見に集まった観衆のようである。
客はやはり興奮しきっているのか、怒号を上げるどころか殴りあっている姿や、倒れている姿も確認できる。さすがに死人が出ているとは思いたくないが、怪我をしている人間くらいはいるだろう。
「……さて、クラリス。ワタシの考えが正しければ、この件はかなり厄介だ。もしかすれば、キミの心に傷を負わせてしまうことになるかもしれない。それでも、キミはエイダくんを助けたいと……彼女の一時の幸せを奪いたいと。そう思うのかね」
ヴィクターが真剣な声音で問いかける。
これがエイダの語っていた『彼女が作ったクッキーで、たくさんの人を幸せにしたい』という夢が叶った末の光景。本当にこんなことを彼女は望んでいたのだろうか。
「……うん。怖いけど、ヴィクターがいるから大丈夫。あの中でエイダちゃんはもっと怖い思いをしているかもしれないし……全員助けたい。さっきの話を聞いて、今更引き返せるものですか。それに頼まなくたって、私が危ない時はヴィクターが守ってくれるんでしょ?」
「HAHA! 当たり前だろう。人間だろうが魔法使いだろうが、クラリスには指一本すら触れさせないに決まっている。キミを守るのは、世界で一番の腕を持つ魔法使いであるということを心に刻んでおきたまえ」
ヴィクターがステッキを取り出し、臨戦態勢に入る。
クラリスは一度大きく深呼吸をすると、意を決して怒号飛び交う広場の中心へ向かうための一歩を踏み出した。
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