そのお菓子には不思議な中毒性があった《4》

 正直、クラリス的にはヴィクターがを断ったことは意外であった。

 彼は好んで甘いものを食べることはなくても、嫌いなわけではない。普段ならば、恥ずかしさに首まで赤くしてでも「食べる」と答えそうなところである。



「そう。じゃあ私が全部食べちゃうけど……それならさっきの話、そろそろ続けても大丈夫よね?」


「ああ。エイダくんのことだろう。彼女の発言や客の様子、そしてそんな客達が我を失ってまで求めるクッキー……。まずはこのクッキーについてだが」



 ヴィクターがステッキで地面を叩くと、彼の手の上に例のイチゴジャムサンドクッキーが入った袋が現れた。

 が、なにを思ったのかヴィクターは袋のリボンを解いた上に、中身を一つつまみ上げると――それをためらいもなく自身の口へと放り込んでしまった。クラリスが唖然として口を開けてしまうのも無理はない。



「ヴィクター!? ちょっとなにしてるの。そのクッキーはもしかしたら……」


「安心したまえクラリス。昨日も一つ食べたが、このクッキー自体には毒やら薬やら、なにも変な物は入っていない」



 そう言いながら、次々とヴィクターは袋の中身を口に入れていく。

 わずか数秒でペロリと平らげてしまった彼は、少し名残惜しそうに袋の中を覗いてから、指を鳴らして袋をどこかへと消し去った。



「うん。味はやっぱり三流だ」


「三流だって……そんなに食べて本当に大丈夫なの、それ」


「Um……正直、こんなに食べるつもりはなかったのだが。少なからずワタシにもが出ているのかもしれない」


「ちゅ、中毒症状?」


「そう。このクッキーには中毒を引き起こす魔法が掛けられている……とでも言えば分かりやすいかね」



 ぎょっとして、クラリスの食べる手が一瞬止まった。

 ヴィクターは口直しにコーヒーを一口飲むと、空になったカップをテーブルの上に置いた。



「言うならば、だ。通常、魔法使いはそれなりの魔力に対する耐性を有しているから、自身の魔力で身体しんたいに異常をきたすことはない。異常があるようでは生きていけないからね。……だが、魔力を持たないただの人間はどうだろうか」



 ヴィクターが椅子の背もたれに大きく寄りかかる。急に体重をかけられ、鉄でできた椅子はギィと悲鳴に近い鳴き声を上げた。



「ただの人間にとって、魔力はそれは魅力的で依存性のあるだ。ワタシもそれなりに長く生きているし……あの客達のように、外的要因で魔力を摂取した人間は何度も見たことがあるが、良い最期を迎えた人間は見たことがない。アレはただ命を蝕み、人間性を歪める毒を体内に入れているだけだよ。呑まれれば呑まれるほど後戻りができなくなって、最後には身を滅ぼす。おおかた、彼らも自分達が何に依存しているのかすら分かっていないのだろう」


「なるほど……むぐ。……依存……人間性を歪める毒、か……」



 それまで聞き手として、パンケーキを口に運びながら彼のひとり演説を聞いてたクラリスであったが、もくもくと手と口を動かしていたからか今のが最後のひと口となってしまった。

 クリームは思ったよりもサッパリとしていて、パンケーキも通常の二枚分くらいの厚さがあったにもかかわらず、胃はまったく重たくはない。

 重いのは、今話している会話の内容。それだけである。



「……ヴィクターの話をエイダちゃんに重ねると、ワゴンに集まっていた人達はさっきのクッキーを食べて魔力中毒になったから、あんな状態なってしまった……ってことなのよね。つまり、エイダちゃんの作ったクッキーには魔力が込められている可能性がある……」


「正しく言うのであれば、普通に作ったものに後から魔法を掛けたのではなく、エイダくんという使魔法で生み出したクッキーがアレなのだろう。込められているどころか、魔力そのものでできていると――ああいや、まてよ。あるいは……」


「あるいは?」


「……今は確証がないからやめておこう。憶測の域を出ないからね。ワタシは確証がない話をするのは好きじゃあないんだ」



 そう言うとヴィクターは通りがかった店員を呼び止め、コーヒーのおかわりを注文した。

 ついでとばかりに慌ててクラリスも同じものを注文する。人のを見ていたら、自分も食後のコーヒーが欲しくなったのだ。



「話は次のステップだ。ひとつ、気がかりなことがあるとすれば。レディが言っていた、我々の前に会ったという魔法使い……」


「ああ、あのクッキーの作り方を教えてくれたっていう魔法使いね? エイダちゃんが魔法でクッキーを作ってるってことは、その人が魔法の使い方を教えてくれたってことかしら?」


「……それがこの話のキモなんだ。ワタシで簡単に例えるとしよう」



 ヴィクターがステッキを使って再度テーブルの縁を叩く。

 すると、七色の花火の爆発と共に卓上に現れたのは、カップ、ティーポット、クラリスが買いだめたお菓子の数々、そして――



『きゃん!』


「わぁ、ペロちゃん! こんにちは。今日ももふもふだねぇ」


『くん……きゃん! わん!』



 ヴィクターの膝の上に乗っていたのは、クリーム色の毛玉の塊にも似た、短足の子犬であった。

 クラリスに撫でられたペロは甘えた声で鼻を鳴らすと、満足したのか軽快にヴィクターの膝から飛び降りて、テラス内を散歩しはじめた。

 果たして、このカフェにペット同伴可能の張り紙はしてあっただろうか。

 それこそ注意されてもおかしくはないのだが、どうにもヴィクターの召喚するこの使い魔達は、ヴィクターとクラリス以外からは見えてはいないらしい。


 ――褒められることをしたわけでもないのに、出てくるだけでクラリスから無条件に可愛がってもらえるとは……主を差し置いていいご身分だね。


 他人のテーブルの下で食べこぼしを拾い食いしはじめたペロを、ヴィクターは恨めしそうな表情で見つめていた。自分で呼んでおきながら、犬相手に器の小さな男である。



「……こほん。あー、今見ての通り、ワタシはいとも簡単に複数の魔法を使って見せた。キミの購入したスイーツの出し入れに、使い魔の召喚。それから……」



 ヴィクターが目配せをすると、それまで静かにしていたカップとポットがひとりでに動きだし、クラリスの目の前で暖かな紅茶を注ぎはじめた。彼女にとっては既に見慣れた光景である。



「飲むかい?」


「今コーヒー頼んだばっかりでしょ。それで、これがどうしたっていうのよ」



 クラリスの指摘を受け、ヴィクターは「それもそうか」と呟いて、パチン。

 指を弾くと、目の前に並んでいたティーセットや菓子、そして次の食べこぼしにありつこうとしていたペロが跡形もなく姿を消した。ああ、この短時間で身勝手に呼ばれて身勝手に消される、可哀想なペロ。



「このように複数の魔法が使える魔法使いというのは、そう多くはなくてね。基本的に性格、体質、魔力量によって、生まれつき使える魔法は変わるんだ。例えば空を飛ぶ魔法しか使えない魔法使いがいるのと、他者の心を読む魔法しか使えない魔法使いがいるようにね。一般人では得意な魔法が一つか、天才でもせいぜい二つ……まぁ、ワタシなんかは数えるだけ無駄なほど扱うことができるが」


「……まさか、自慢?」


「違う。話は最後まで聞きたまえ。つまり言いたいのは、エイダくんが仮に先天的な魔法使いだったとして、後から新しい魔法を習得するのはほぼ不可能だということなんだよ。なら彼女はどうして謎の魔法使いから新たな魔法を教わることができたのか……それは、彼女がただの人間だったからだ」



 そのタイミングで、注文していたコーヒーが二人の前に置かれた。クラリスは砂糖二つにミルク。ヴィクターはブラックのままである。



「普通の人間が魔法を使うことができるようになる条件は一つだけ。それは……他者から、魔法使いになるための力を与えられることだ」


「与えるって、そんなことが可能なの?」


使ということだよ。……さて、クラリス。聡明なキミならば、ただの人間が魔力を手にした時、どうなるのかはもう分かっているだろう」


「えっ? 急に言われても……たしか、ただの人間が魔力を手に入れるのは毒で、魔力に呑まれた人間は最後には身を滅ばすことになる……きっとクッキーを食べた人だけじゃなくて、魔法使いにされた人も同じよね。ということは、エイダちゃんも……」



 ヴィクターが頷いた。

 これだけ立て続けに話してさすがに疲れたのか、彼は緩慢な動作でコーヒーを一口飲むと、クラリスと――これからエイダに起こるであろう残念な現実を思って表情に影を落とした。



「……もしもキミがエイダくんの身を案じ、この件について首を突っ込みたいと言うのならば、ワタシは喜んで手を貸そう。だが、覚えておきたまえ。魔法使いの世界はキミが思っているほど綺麗じゃあない。魔法がキミ達の素敵な隣人であるのなんて、しょせん、おとぎ話の中だけにすぎないのだからね」

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