そのお菓子には不思議な中毒性があった《3》

 人の波が引いた後のワゴンには、あの店主の少女だけが残されていた。あれだけの人に揉まれた後だ。疲れた表情で後片付けを始めている。

 地面に無惨にも投げ捨てられた包装袋やラッピングのリボンは、お世辞にも許せるものとは言い難い。

 あの一つ一つにも、きっと少女の想いが込められているというのに――などと思うのは、クラリスが感傷的すぎるだけだろうか。



「……おや。レディがワタシに気づいたようだ」


「本当、ヴィクターは遠くにいても目立つのよね。……あれ? あの子が持ってるの、もしかしてアナタが言ってたクッキーじゃない?」



 遠くからヴィクターを発見した少女が、ワゴンの後ろに屈んで木箱を漁りはじめる。そして取り出したものを手に、彼女は二人の元へと駆け寄ってきた。

 クラリスの言った通り、ヴィクターには少女の手にしたものに見覚えがある。昨日、試食として食べたあのイチゴジャムサンドクッキーだ。



「昨日のお兄さん! よかった、今日は会えないかと思ったんです! 隣のお姉さんは……」


「私はクラリス。アナタのお話しはこっちのヴィクターから聞いているわ。お名前はなんていうの?」


「エイダです! 実は今日、お兄さんが来ると思ってクッキーを別で用意してて……昨日は試食の小さいのしかあげられなかったので、よかったらこれ。お代はいりませんから」



 そう言って、エイダと名乗った少女がヴィクターへ袋を差し出した。

 袋の口を結んでいる赤いリボンは、もちろん未だワゴンの周りに散らばっているソレらと同じである。

 だが直感的に――クラリスは嫌な予感がした。あの客達の様子を見た後である。疑わないという方が無理があるだろう。



「ええと……エイダちゃん。気持ちは嬉しいんだけど、私達これからお昼ご飯にするところだったの。それにタダでは貰えないわ。だったらさっきみたいに、アナタのクッキーを求めている人達にあげた方が――」


「いや、いいよ。ちょうどソレが食べたいと思っていたんだ。いただこう」


「えっ。ヴィクター?」



 驚きのあまり、クラリスは思わず名前を呼んでしまった。

 彼女の断りを他所に、ヴィクターはあっさりと袋を受け取ってしまった。あれほどまでに酷評していた、彼いわく期待外れのイチゴジャムサンドクッキーをである。

 だが、どうにも驚いたのはクラリスだけでなかったらしく、彼女に呼ばれたヴィクターもハッとした表情で手元から顔を上げた。



「……失礼。クラリスの言う通り、我々は今からランチタイムでね。やっぱりこれは帰ってから食べさせてもらうとするよ」



 そう言って彼がステッキを使って床を叩けば、手にしていた袋は小さな花火の破裂音と共に姿を消した。

 なんとなく、このままあの袋を手元に置いていてはいけないと思った。クラリスの買い込んだ他の菓子同様、魔法によって一時的にこの場から無くしただけだが、しないよりはマシだろう。

 するとそんな不思議な現象を目の前に、エイダの目がキラキラと輝いた。



「お兄さん、魔法使いさんだったんだ!」


「ああ。今時珍しいものでもないとは思うが……この辺りには少ないのかな。魔法使いを見るのは初めてかね」


「ううん。ついこの前、優しい魔法使いさんに会ったばかりなんです。すごいんですよ! 私の昔からの願いを叶えてくれた、素敵な魔法使いさんで!」



 エイダの言葉を聞いたヴィクターの眉が、ピクリと反応する。



「さっきのクッキーの作り方を教えてくれたのが、その魔法使いさんなんです。自分で作ったお菓子で、たくさんの人を幸せにしたいんだって言ったら、喜んで作り方を教えてくれました」


「それは世話焼きな魔法使いもいたものだ。そんなもの、本でも見れば誰だって――」



 とヴィクターが言いかけたところで、テーブル越しのクラリスがと彼を睨んできた。


 ――子供相手に、無粋なことを言うのはよしてよね。ヴィクター。


 そんな彼女の心中が伝わったのか、ヴィクターは再びコーヒーカップに口を付けるなり、会話の主導権をクラリスへと渡して口を閉じた。

 ここで「さすがクラリスは怒った顔も可愛いね」などとは、口が裂けても言えやしない。



「それじゃあ、エイダちゃんは残りの期間もまたクッキーを売りに来るのよね? おうちに帰ってまた準備をするのかな」


「はい! 明日は今日よりもっともっとたくさん用意できるはずなので……今度はぜひ、お姉さんも買いに来てくださいね!」



 今日よりも、ということは単純計算……先程彼女のクッキーに群がっていた人々よりも、さらに多くの人々が求めにやって来るということだろう。


 ――あの尋常じゃないお客さんの様子を見た後だと、やっぱり心配だよね。しっかりした子だけど、親御さんはそばにいないで一人でやってるみたいだし……ヴィクターがこんな調子でも、味方がいれば心強いはず。



「うん。それじゃあもしもエイダちゃんが、お客さんに怖いことを言われたり、なにかされそうになったら、迷わず私とヴィクターを頼るんだよ? 私達、まだしばらくはこの町にはいる予定だから」


「怖いこと? ……分かりました。なんか……えへへ。家族が増えたみたいで嬉しいです」



 エイダははじめ不思議そうにクラリスの言葉を聞いていたが、やがて自分なりに腑に落ちたのか、照れた様子でそう笑った。

 二人に別れを告げてワゴンへ戻った彼女は、付近に落ちたを拾ってから、昨日と同じく重そうなワゴンを精一杯に引きずって帰っていった。

 その背中を見送ること数十秒。先に口を開いたのはクラリスであった。



「ヴィクター……どう思う?」


「……ワタシの経験からして、言えることはたしかにあるね。だがクラリス、まずはランチを頼みたまえ。ワタシはこれコーヒーを頼んでいるからいいものの、今のキミはただ座っているだけの飲食店でなにも頼まない迷惑な客にすぎない。話し合いはそれからだ」



 普段は自分がその迷惑な客になっていることを、この男は理解しているのだろうか。ましてや混雑する昼食時にコーヒー一杯でデカい顔をしているということにも。

 それでも言われたことは事実であるため、クラリスは大人しくメニューを開いてランチセットを頼むことにした。


 注文したものは十分と経たずにテーブルの上へと並べられた。たっぷりのクリームと、季節のフルーツが添えられたふわふわのパンケーキ。

 高さはパッと見ただけでも隣に置かれた水の入ったコップ分はある。



「いただきます。……うん、美味しい! これ、ここの看板メニューで雑誌にもよく取り上げられてるのを見ていたの。来られて良かったぁ。ヴィクターも食べる?」


「……いらない」



 これがランチ? 彼女はこれすらを別腹と言うのだろうか。

 朝から続く胸焼けのせいか、はたまた先に胃が受け付けないと悟ったからだろうか。せっかくのクラリスに食べさせてもらえるチャンスだったことにも関わらず、ヴィクターは信じられないといった目で彼女の差し出す甘さの権化ごてごてのパンケーキを拒絶した。

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