嗚呼、なんて素晴らしき誉れ日和《1》

《数時間後》


 クラリス達が森を抜ける頃には、すっかり日は傾いてしまっていた。

 当初の予定では日の昇っているうちに村まで帰り着くはずだったのだが、歩くのも大変そうな村人達を休憩を挟みながら連れて帰るのが……いや、なにより例の胴上げと感謝の言葉の雨あられで、げっそりと疲れ果ててしまったヴィクターを連れて帰るのが大変だった。


 会話の中でクラリスも気がついてはいたが、村人達のコミュニケーション能力は驚くほどに高く、毒が無い。

 この土地の知らない話や日常の些細な出来事などを代わる代わる、それこそ時間を忘れていくらでも聞くことができてしまったくらいである。


 しかしヴィクターはそうでもないらしい。

 クラリスが自分以外の男と親しげに話しているのが気に入らないのはもちろん、かといって手を出すわけにもいかなければ下手に会話に混ざって不必要に絡まれたくもないのか、無言。ただ彼女の後ろで彼はムスッと口をへの字に曲げているだけであった。



「もう……ヴィクター。後ろでそう黙っていられると、気をつかって歩きにくいわ。なにをそんなに怒ってるわけ?」


「怒ってなんかいないさ。拗ねてるだけ」


「それ自分で言うの? もう少しで村に着くんだから、直してくれると助かるんだけど――わっ、こらヴィクター!」


「……ふん」



 クラリスのお願いも、今のヴィクターには無意味である。

 それならキミがワタシの相手をしてくれればいいのにとでも言わんばかりに、彼はぐいぐいとクラリスとベンの間に割り込んでいく。



「アナタって人は本当に……無理やり入ってきたら狭いでしょ。すみませんベンさん」



 ヴィクターが重なってしまっては、隣を歩いていたベンの姿も腹以外に見えやしない。

 ひょっこりと前に身を乗り出して、クラリスが謝罪する。

 しかしベンは笑顔で首を横に振ると、彼の中でずっと疑問に感じていたあることについて二人に尋ねた。



「いいんだよ。全然気にしてないからさ。それより二人共、すごく仲がいいみたいだけれど……たしか、一緒に旅をしてるんだよね。お付き合いとかはしてるの?」


「なっ! キ、キミね。そういうことを不躾に聞くのはどうなのかね。男女が一緒にいるのを見てそうやすやすと決めつけるのは……ああいや、別にワタシはそう見られても構わないし、むしろ嬉しいのだけれど――いや待てよ。まさかキミ、あの短時間でもうクラリスに気がある、とか……そういうわけじゃあ……」



 早口にまくし立てるヴィクターの様子は赤くなったり青なったりと忙しない。

 そんな彼の反応だけで、ベンは聞かずとも聞きたかった疑問の答えを推測することができてしまった。



「気を悪くさせちゃったならごめん。ただ気になっただけなんだ。僕にはもう奥さんも子供もいるから、心配しなくても大丈夫だよ」


「そうかね……ま、まぁキミの着眼点は悪くないと思うよ。ワタシとクラリスはご覧のとおりなのだからね! 関係が気になってしまうのは仕方のないことさ」



 ほっと安堵したヴィクターの肩上には、ポコポコと小さな花火が咲き誇った。

 彼がドキドキしたり幸福感を感じたりした時に上がる、一種の感情表現のようなものである。よほどクラリスと仲良しだと言われたことが嬉しかったのだろう。


 その花火を初めて見るベンは不思議でたまらないといった様子で驚いていたが、挟まったヴィクターの向こうでクラリスが笑いを堪えているのを見るに、これが日常茶飯事なのだということはすぐに分かった。どうやらヴィクターの機嫌もすっかり直ってしまったようである。

 三人の前方に動きがあったのは、ちょうどそのタイミングであった。



「――あっ! あそこを見てくれ! 村のみんなが俺達のことを出迎えに来てくれてるよ!」



 先頭を歩いていたマイルズがそう言って振り返ると、一行の中で次々と喜びの声が上がった。

 湧き上がるのは待っていた村人達も同じである。歩みを続け、近づくにつれてその歓声はどんどんと大きくなっていく。


 思えば今の時間は、昨日クラリス達が村に訪れた時刻に近い。きっと今日も同じように、皆でベンやマイルズ達の帰りを待っていたのだろう。

 男達はそれまで歩き疲れていたにも関わらず、家族の姿を見ては一人、また一人とクラリス達の横を走り抜けていった。

 もちろんベンも、その中のまた一人である。



「ベン! 無事だったか!」


「叔父さん! 父さんもこんな所まで……待っててくれたんだね」



 村で待つ人々の中にはロブソン夫妻の姿もあった。

 父さんと呼ばれたのはニコラスが押す車椅子に乗った身なりのいい男性で、目鼻立ちはどこか彼やベンにも似ている。

 それがニコラスが昨日言っていた村長のジェフリーであるというのは、誰が言うまでもなく分かることであった。



「おお、ベン。お前が無事で本当に良かった……ん? その腹……お前、そんなに出ていたっけか」


「あはは……これにはちょっと色々事情があって……あっ、そうだ。父さんに紹介するね。こちらがヴィクターくんとクラリスちゃん。僕達を助けてくれた命の恩人だよ」



 そう言ってベンが道を開ける。

 クラリスが慌ててぺこりとお辞儀をすると、ジェフリーは自分で車椅子を二人の前まで動かして、深々と礼をした。



「これはこれは……話はニコラスから聞いておりました。まさか本当に村を救ってくださるとは。自分は村長のジェフリー・ロブソンと申します。村を代表して、お礼を言わせてください」


「いえ! 私は全然なにも……ほとんどヴィクターがなんとかしてくれたみたいなもので……ヴィクター?」



 クラリスがヴィクターを見上げる。しかし彼はなにも言わない。


 ――あれ、どうしたんだろう。もしかして私、なにか変な態度を取ったりしちゃった……?


 偉い人の前に出ることなどそうそう無い。今の発言になにか無礼があったのならば早く謝らないといけないが、その理由が分からなければ謝罪なんてできやしない。

 そう思っている間にも、不安になり続けるクラリスの心境を感じ取ったヴィクターが視線で前方を見るように誘導する。――驚いた。微笑みを浮かべる人や、涙ぐむ人。ベンやマイルズを含む村人達が皆一同にして、彼女達のことを見ていたのだ。

 彼らを代表して口を開いたのはベンだった。



「クラリスちゃん……そんなことないよ。君が僕達を説得して、連れ出してくれたから、こうしてみんな家族に再会することができたんだ。あの時君が見つけてくれなかったら、きっと崩壊に巻き込まれて死んでいたはずだよ。ここにいる全員、君のおかげで生きているんだ。本当に感謝してる」


「ベンさん……皆さん……」



 すると、ヴィクターがクラリスの肩に手を置いた。



「分かったかね。今日のMVPはキミなのだよ、クラリス。キミがいなければワタシは彼らを助けようとすら思わなかったし、キミが一人でも行動を起こしたからこそ、彼らの命は助かった。胸を張ってふんぞり返る権利はキミにだってあるんだ。謙虚なキミも素晴らしいが、今くらいは堂々としていたらどうかね」


「私が……」



 ヴィクターが頷く。

 人の命を救うだとか、怖い魔獣に立ち向かうだとか。今までそんな大層なことを成し遂げた経験なんて、クラリスには無かった。

 だが今日、この時。ヴィクターという魔法使いの力を借りながらも、彼女は生まれて初めての偉業を成し遂げることに成功したのだ。


 このまま口を開いたら一緒に涙まで出てしまいそうで、クラリスはもう一度だけ深くお辞儀をすることで、彼らの気持ちを真っ直ぐな心で受け取ることにした。

 間もなくして、誰かが全員へと聞こえるように大きく一度手を叩いた。ジェフリーである。



「――よし。たった数日間の別れだったとはいえ、各々積もる話もあるだろう。今日は帰ってゆっくり休むといい。ベン達は明日隣町の病院へ連れていってもらうから、起きたらまた自分の所まで来なさい」



 彼は車椅子に座ったまま村人達の顔を見回すと、彼らが帰路につきはじめたことを見届けてから話を始めた。



「お二人さえよければ、この後ウチで夕飯でもいかがですかな。妻達が隣町まで買い出しに行っているんです。あなた達を信じて……今日は皆が帰ってきたら、いいものを腹いっぱい食わせてやろうと張り切っていましてね」


「……それはもしかして、山菜だけの質素な食事には……」


「ハッハッハ! 安心してください。肉も魚も用意すると言っていましたから。あなたがその抱えている鹿も、すぐに村の獣医に診てもらうとしましょう。詳しい検査が必要ならば、明日ベンに街まで連れていかせますよ」


「聞いたかねクラリス! 今夜は肉だって!」



 よほど山菜フルコースを回避したことが嬉しかったのか、ヴィクターは子供のように目を輝かせて飛び跳ねた。

 クラリスとしては昨日の料理も十分美味しかったが、とはいえまだまだ食べ盛り。彼と同じく物足りなかったのも事実なのだ。



「うん。……ジェフリーさん、この子のことも気にかけてくださってありがとうございます。それじゃあお言葉に甘えて――ぜひご一緒させてください!」



 クラリスのその返事を聞いて、ジェフリーは満足そうに首を縦に振った。

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