英雄を称える家畜讃歌《5》

 全身を使ったその一打は、実に気持ちの良いものだった。

 たとえひ弱なヴィクターでも問題ない。女王蜂がステッキに触れるその刹那。ヴィクターの放った魔力は魔獣の顔右半分を削り取り、打ち返してしまうだけの爆発力を引き起こしたからだ。



『Agyyy!?』



 膨大な圧力によって跳ね飛ばされた女王蜂が、空中で弧を描く。


 ――足りない。


 ヴィクターの心算では、女王蜂の身体はさっきの一打で巨木の根元まで打ち返されるはずだった。

 だが、あの無駄に二十メートルもある身体の長さが原因か、はたまた威力が足りなかったのが原因か。飛距離が圧倒的に足りないのだ。



「ふん、最後の最後までしぶといデカブツだね。キミの母親があの中蜂人間達の中にいたのかは知らないが……丈夫に産んでもらったことに感謝したまえよ」



 むしろ腹には穴を開けられ、顔を半分失ったとて生きている魔獣の今の状態を思えば、感謝するよりも呪うという方が気持ちとしては正しいだろう。

 ヴィクターが前方へとステッキを向けた。魔力が高まるにつれて、先端にはめ込まれた苺水晶ストロベリークォーツの輪郭がぼやけていく。

 表面には白い電流が弾け、触れれば火傷をしてしまいそうなほどに熱くなる。そして今にも暴発しかねないエネルギーは結晶となり――



「さあ……ダメ押しだ!」



 高出力のエネルギーによる光線を、女王蜂へ向けて解き放った。

 射程圏内にクラリスの姿は無く、彼女の避難は完了済みだ。もう巣が崩れることも気にしなくていい。

 放たれた光線は女王蜂の全身を覆い尽くし――押し出された反動でくの字に折れ曲がった魔獣の身体は、今度こそ巨木に向けて一直線に吹き飛んだ。



『GyyyyyyyAaaaaaaaa――Gyub!』



 女王蜂の全身が巨木の根元へと叩きつけられる。

 そんな魔獣にぶつかられたかの違法建築物が、無事なはずがあるだろうか。振動が直に伝わった幾何学模様きかがくもようの小部屋達はぐらぐらとバランスを崩し、パイプが次々に悲鳴をあげる。

 そして女王蜂の頭上に位置するあの小部屋からも一本、また一本とパイプが外れ――



『――a』



 落下。派手な落下音と衝突音を響かせながら、小部屋は魔獣の全身を押し潰した。

 わずかに瓦礫の外へとはみ出た後ろ足はもうピクリとも動かない。

 しんと静まり返った空間は、今度こそこの戦いが終わったのだということを、ここにいる全員へと知らしめた。



「……ふぅ。まったく、本当に骨の折れる仕事だったね」


「ヴィクター!」


「ん? あぁ、クラリス。よかった。どこも怪我はしていないかね」



 腕に抱えた小鹿と共に、小走りにこちらへやってくるクラリス。元気そうなその姿を見て、ヴィクターは安心した表情でそう問いかけた。



「アナタが助けてくれたから、私は平気。ベンさん達にもお礼をしないとね。……ヴィクター?」


「……ああいや、その……さっきは本当に、すまなかった。ワタシがちゃんと仕留めてさえいれば、キミに怖い思いをさせなくて済んだというのに……」


「そんなこと気にしてたの? たしかにあの時は怖かったけれど……でも、結果的にみんな無事だったんだし、いいじゃない。私も、村のみんなもね。アナタがいなかったら、今頃あの魔獣に全員食べられちゃってたかもしれないのよ? もっといつもみたいに胸を張って、偉そうにしてたらどうなの」


「それは……うん。キミの言う通りだね」



 口ではそう言いながらも、ヴィクターの顔は曇ったままだ。

 クラリスを危険にさらしてしまった上に、一歩間違えば失いかねなかったあの瞬間のことをよほど悔いているのだろう。


 ――駄目だな。クラリスもこう言っているんだし、気持ちを切り替えないと。


 考えすぎるのは悪い癖だ。いつまでもくよくよしていては、格好がつかないのも分かっている。

 ヴィクターは気持ちを切り替えるべく、ゆっくりと深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。さすがは木々に囲まれた自然の中心。リラックス効果でもあるのか、清々しい空気を肺いっぱいに吸い込んで吐き出す間に、ヴィクターの気分はだいぶ楽になっていた。



「……よし。それじゃあ村へ戻ろうか、クラリス」


「そうね。早く村のみんなにも無事を知らせてあげたいし、この子にも元気になってほしいからね」


「そうだね。……ふふっ、ふわふわだ」



 クラリスが優しい手つきで小鹿の背中をさする。体力を消耗しているのか、小鹿は彼女の腕の中ですっかり寝付いてしまっていた。

 彼女にならってヴィクターも、ステッキをしまって小鹿の小さな額を撫でる。指先が毛の中にすっぽりと沈んで、柔らかい。


 すると静かな寝息を立てていた小鹿の耳がぴる、と動いた。

 はじめは嫌だったのかと思って指を引っ込めたヴィクターであったが、すぐにそれは間違いだったと気がついた。――地響きがする。それも遠くからではない。震源地は彼のすぐからだ。



「わっ!? なんなんだキミ達――やめろ! なにをするのかね!」


「なにって、胴上げに決まってるだろ! 俺達を救ってくれた英雄に、最大の感謝を示すんだよ!」


「いい! そんなことしなくていいから、早くここから降ろしたまえ!」



 それは、ヴィクターの周りに集まった村人達であった。

 彼らはベンやマイルズを筆頭にしてヴィクターを取り囲んだかと思えば、慣れた手つきで彼の足をすくい上げて、ぴょいと空へと投げ飛ばしてしまったのだ。

 ヴィクターの口からは小さな悲鳴が漏れたのもつかの間。人生で初めて体験する景色と感覚に、彼はぎゅっと胸の前でコートの前立てを握り、全身を強ばらせることしかできやしない。



「ばんざーい! ばんざーい!」


「助けてくれてありがとう! 君の魔法、本当にかっこよかったよ!」


「ほらほら縮こまってないで背筋は伸ばして伸ばして! 落っことしてもしらねぇぞ!」


「なんだぁ兄ちゃん、デカいくせにずいぶんと軽いな! 村に戻ったら腹いっぱい食えるよう、ウチの嫁に頼んでおくから覚悟しておけよ!」



 それはもはや脅しだ。

 この体育会系なノリ自体もそうだが、あちらこちらから大音量で飛ばされる野次やら感謝の言葉の波に飲まれて、ヴィクターの頭はもうパニック寸前であった。



「く、クラリス! これやだ、助けて……!」


「みんなアナタにお礼がしたいのよ。ありがたく受け入れなさい」


「そんな……」



 予想もしなかった裏切りに、サッとヴィクターの顔が絶望に染まった。

 ピィピィ喚いて怯えた子犬のようになってしまった姿は、つい先ほどまで魔獣と戦っていた勇ましい人間と同一人物だとは到底思えやしない。

 すると面白がってその様子を眺めていたクラリスにも矛先は向けられた。彼女のことを思い出したベンが、胴上げの輪から一人抜け出し近づいてきたのだ。



「そうだ。次はクラリスちゃんもどうかな。僕達、胴上げは村の就任式とか結婚式でよくやるから、結構慣れてるよ?」


「ありがとうございます、ベンさん。でも私はこの子を見てないといけないので。お気持ちだけ受け取りますね」


「そうかぁ……残念だけど、それなら仕方ないね」



 クラリスがわざとらしく腕の中で眠る小鹿を見せると、ベンは残念そうに頷いてまた輪の中に戻っていった。そして――



「よし、みんな! あと追加で十回だ!」


「おおーッ!」



 矛先は再びヴィクターへと戻された。

 ベンの掛け声と共に、大歓声が群衆の中で上がる。その声にされたヴィクターの顔色がますます悪くなってしまったのは言うまでもない。



「正気かね!? キミ達の腕ももう限界だろう! 落とす前に早く降ろせと、ずっと言っているのが聞こえないのか!」



 聞こえてはいるはずだ。しかし止まる様子はまったくない。

 ヴィクターの叫びも虚しく、村人達の感謝の胴上げはその後も飽きずに続けられたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る