英雄を称える家畜讃歌《4》
ヴィクターは考える。
はて、自分が女王蜂の腹を内側から爆破した時、はたして魔獣はあちらとこちら、どちら側を向いていただろうか。――答えは簡単。
なにせ奴は愛するクラリスとの会話に水を差すかのように、こちらへと突進してきたのだ。少なくとも、あんな
「まずい……クラリスッ!」
「えっ?」
その答えに行き着いた時、ヴィクターは出せる限りの大声で彼女の名を呼んだ。
いつになく緊迫した声で自分が呼ばれていることに気づいたクラリスは、小鹿を両腕に抱き抱えたまま振り返る。瞬間――彼女の全身は凍りついた。
――まって。この魔獣、どうして……
覆い被さるのは、視界いっぱいを覆い尽くす不気味な長い影。下手に動けば、きっとその瞬間に――食べられる。
『Aaaa……Gy、Aaa……』
それを見たクラリスは言葉が出なかった。
閉じることを忘れた口から流れ続ける、粘り気のある涎。焦点の合わぬ白目をむいた四つの瞳。魔法が解けて、臓器が零れた腹穴。
それがほとんど息をしていない、半ば屍状態となっていることはクラリスでもひと目で分かった。
――それなのに、なんで。なんで動いてるの……?
理由など分からない。
頭をもがれた虫がしばらく地べたをジタバタもがくように、ただの誤作動、筋肉の反応なだけなのかもしれない。……いや、違う。この魔獣はまだわずかにでも生きている。ならば死の間際に感じた生命の危機感に、本能的に行動に移そうとしているのだろう。
食事という、もっとも原始的で分かりやすい行為によって、少しでも長くこの世に生を繋ぐために。
「ヴィクター!」
「分かってる。今トドメを刺すから伏せ――」
ステッキを取り出し、ヴィクターが女王蜂の後頭部に照準を合わせる。しかし、魔法を放つ寸前で彼の動きはピタリと止まった。
撃てない。動くことのできないクラリスと女王蜂の頭上――巨木に繋がった、あの
度重なる戦闘の影響で木と部屋を繋ぐパイプが外れかかっていて、今にも落ちかねない。
もしもここでヴィクターが魔法を使えば、どんなに低火力だろうと巨木ごと巻き込むことになる。女王蜂にトドメを刺せたとしても、次の瞬間にクラリスはぺっちゃんこ。なにもしなくても食べられておじゃんだ。
――考えてる時間はない。ワタシが間に無理やり割り込んででも、止めないといけない……いけないのに。
そうは思っても、ヴィクターが今から走ったとて間に合う可能性の方が低いだろう。しかし――
「ああくそ、手段を選んでいる場合じゃないな!」
あれこれ考えても仕方がない。まずは魔獣の撃破。崩れてきた時のことを考えるのはそれからだ。
緊張で上下にブレるステッキに言うことを聞かせて、ヴィクターが照準を絞りなおす。できるだけ範囲は最小限に、しかし威力は落とすことなく。
そして一か八かに賭けた彼が魔法を放とうとした、まさにその時だった。
『……Aaam?』
コツンと音がして、女王蜂の頭になにかがぶつかった。――石だ。
石の飛んできた方向に女王蜂が振り返ると、すかさず二つ目、三つ目、そして次々にとまた石が投げ込まれる。
「クラリスちゃんから離れろ!」
「そ、そうだ! 離れないと、も、もっと投げつけるぞ!」
「俺達のことを家畜扱いしやがって、これでもくらえ!」
「死にかけの魔獣なんて怖くないんだからな!」
石を投げていたのは、ベン率いる村人達であった。
彼らは自ら前に出て、足元にある石や、それが無くなると木の枝を投げつけることで、女王蜂の気をクラリスから自分達へと向かせようとしていたのだ。
そうしているうちに、投げた石のうちのひとつが運悪く女王蜂の目玉へとヒットする。彼らの中から間抜けに「あっ」と声が上がるのも必然であった。
『a……aa……Gyyyyaaaaaam!』
「気をつけろ! アイツこっちに走ってくるつもりで――おいマイルズ、どうしたんだ!?」
「ひぅ……ベン……」
情けない悲鳴をあげて、マイルズと呼ばれた村人が尻もちをついた。あの耳をつんざくほどの叫び声と共に、女王蜂がベン達の元へと走り出した矢先のことである。
マイルズは逃げようにも足に力が入らないのか、迫り来る女王蜂とベンとを交互に見ては口元を震わせる。
「ああベン、もうダメだ。先に行ってくれ……腰が抜けて立てなくなっちゃったんだよ……」
「バカ言うな! せっかくクラリスちゃんが助けてくれた命なんだぞ。そんな
「で、でも……」
女王蜂は瀕死の重症を負っているだけあってスピードは速くはないが、それでも腰の抜けて動けなくなった獲物一人を狩りとるだけの力は残っている。
いち早く気がついたベンが駆け寄ろうとするものの、なにせ二人揃ってこの体型だ。
動けない人間相手に、果たしていつものように引っ張りあげることができるだろうか。果たして、走ることができるだろうか。果たして――
放ったばかりの自分の言葉に反する考えがベンの脳裏を過ぎり、足が恐怖ですくむ。
しかし――そんな彼の恐怖の感情は、すぐにでも消え去ることになった。神は――否、その魔法使いは、絶望の淵に立たされた彼らを見放さなかったのである。
「――ただの人間にしてはよくやった。まさか石を投げるだなんて、そんな簡単な方法で解決することができたなんてね。キミ達がクラリスからアレを引き剥がしてくれたおかげで……遠慮をする必要がなくなった」
通りざまにそう言って、ベンの左肩を叩いたのはヴィクターであった。
彼は座り込んだままのマイルズの前に立ちはだかると、迫り来る女王蜂を正面から見据えて、高らかにこう言い放った。
「クラリス今だ! 全速力でその場を離れたまえ!」
「ぜ、全速力?」
「ああ。――かっ飛ばすよ!」
「かっ飛ばすって、アナタまさか……!」
ヴィクターの目線が巨木の上部に向けられる。
そこでクラリスは、ようやく自身の頭上でなにが起こっているのかに気がついた。そして同時に、ヴィクターがなにをしたいのかを理解する。
彼女は小鹿を両腕で抱き抱えたままなんとか立ち上がると、重みに負けそうになりながらも精一杯に足を動かして走り出す。
そしてそれとほぼ同時、女王蜂は立ち塞がるヴィクターの存在に気がつき、停止。咆哮――持てる最後の力を使って、彼へと飛びかかった。
「キミ、名前はベンくんといったかね」
「えっ? あ、ああ。そうだが……」
目は魔獣に向けられたまま、左手は魔力を流し込んだステッキを握ったまま。ヴィクターの放った質問にベンは言われるがままにそう答えた。
「改めて、キミ達には礼を言おう。キミの仲間は自らを家畜だと称したが……ワタシから見れば、あの行為はそれは勇気ある戦士の姿だった。これはキミ達が行った選択の結果だ。自らが行った選択に、誇りを持ちたまえ」
そう言って、ヴィクターはステッキを
それまでの前に突き出すような構えではない。まるでバットを構えたアスリートのような。しかしアスリートにしてはぐちゃぐちゃなフォームのままに、彼は真っ直ぐに自分へと飛びかかってくる女王蜂の顔面を――
「ぶっ飛べッ!」
見事なフルスイングで打ち返したのだった。
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