英雄を称える家畜讃歌《3》

《現在》


 起き上がった女王蜂の四つの瞳は、しっかりとヴィクターの姿を捉えていた。

 既に魔獣には、獲物どころか明確な敵として認識されているのだろう。ヴィクターに向けられた視線には、他のなによりも優先された怒りの感情が含まれているようにも思えた。



「Hmm……ワタシに怒るのはお門違いなのではないかね。ワタシはただ、自分が食べられないようにと正当防衛の義務を果たしただけで、キミの仲間を食べたのはキミ自身だ。……ああいや、ワタシも少し殺しはしたか」



 ヴィクターがさりげなく、魔獣から隠すように後ろ手にクラリスを下がらせる。



「……とにかく。クラリスのおかげで我々の目的はほとんど達成されたも同然だ。提案しよう。もうワタシがキミと戦う理由は無くなった。ここはお互い水に流して、お開きにでもしないかね。ここを離れて、どこでも好きな所へ消えたまえ」


『Guuu……Gyyyyyyyyy!』


「しまった。そもそも言葉が通じないんだった」



 長い咆哮の後、女王蜂はヴィクターに向けて巨大な顎と、その奥で左右に糸を引く縦に開いた口腔を惜しみもなく見せつけて突進を仕掛けてきた。

 これでは言葉で説得しようが脅そうが馬耳東風ばじとうふう。顔がギリギリ人間の造形をしているのだから、人語くらい理解してくれてもいいというのに。


 ――引かれたくはないからね。クラリスの前で、あまり先程みたいに手荒な蹂躙はしたくないのだが。


 そちらがその気ならば、こちらにも考えがある。



「クラリス、離れてて。こうなってしまった以上、せっかくの機会だし見せてあげるよ。ワタシヴィクターという魔法使いのやり方っていうのをね」


「えっ? 待ってヴィクター。アナタまさか、今からここで暴れる気!? さっきの爆発でこの木がいつ崩れてきてもおかしくないのよ!」


「もちろん、なるべく気をつけるつもりさ! 文句は人の話を聞かないあのブサイクにでも言いたまえ!」



 そう言ってすぐ、ヴィクターが走り出した。

 脇目も振らずに飛びかかってくる女王蜂の顎下へと滑り込んだ彼は、魔獣の喉元へとステッキを押し付け、そのまま挨拶がわりのゼロ距離爆発をお見舞いする。

 たまらず天を仰いで悲鳴を上げる女王蜂。

 その背中にヴィクターは飛び乗ると、軽快に指を弾いてなにかを取り出した。それは細い筒状の物体と、その先に付いた、これ見よがしに怪しい紐。



「たまには物理的な爆破も、風情があっていいよね」



 彼はそう言って、躊躇いもなく空高くその物体――ダイナマイトをポイと投げ捨てた。

 宙で弧を描き、大きく広げた女王蜂の口に吸い込まれるダイナマイト。ヴィクターが再び指を弾くと、魔獣の口内で導火線には火がついた。

 ごくり。魔獣が嚥下えんげしたのを確認して、ヴィクターは左手のステッキに魔力を流し込む。じゅう、きゅう、はち――予定では爆発まで間もなくだ。



「マナーだからね。食事中は口を閉じたまえよ」



 すると彼のステッキから溢れ出た魔力が、女王蜂の背中を伝って魔獣のすぐ頭上に巨大な杭を形作った。

 ヴィクターが人差し指を曲げると、杭は木槌で叩かれたかのごとく勢いをもって落下。見事女王蜂の後頭部を貫いた杭は、暴れる魔獣の頭を地面へと叩きつけ、口が開かぬようにと縫いつけてしまったのだ。



『――ッ! Mmmm――!』


「あっはは。仕込み中なんだから、そう焦らないでくれよ。はーあ、クラリスが気に入ってくれるといいんだけれどな」



 ご、よん、さん――じたばたもがく女王蜂の腹の中で、今か今かと爆発を待ち望むダイナマイト。ヴィクターも同じだ。魔法を使っての爆発は手軽でスッキリするが、現物なまものを使った爆発はこのワクワク感がたまらない。


 に、いち。そして――待ちに待った、ぜろ。ヴィクターの足元、女王蜂の背中の固い装甲の下にある、柔らかい腹の表面が膨れる。

 きた、きた、きた。待ち望んでいた、到底抱えきれない圧力から健気にも耐えていた皮膚が、一気に裂けるその瞬間が。今、まさに。



「BOOM!」



 ヴィクターの掛け声と共に、ついに膨らんだ風船ガムとなった女王蜂の腹は弾け飛び――赤や橙に黄色。詰め込まれていたたくさんのが、辺り一面に解き放たれた。



「えっ……? すごい。とっても綺麗な光……」



 思わずクラリスが呟く。目を奪われたのは、隠れていたベン達村人も同じである。

 それはまるで、夜空に散りばめられた星々や、水辺を舞う小さな蛍達が踊り狂う幻想的な光景を目にしているかのようだった。


 本来、女王蜂の腹の中に詰まっていたのは、それは目を背けたくもなる臓物や先ほど食べたばかりの蜂人間達である。それがこうも幻想的なビジュアルに変貌したのは、ひとえにヴィクターの魔法のおかげだ。

 仕組みは単純。それは彼が潜入の際、見張りの蜂人間の体内の水分を水で溶いた絵の具に変えてしまったように、汚いものを綺麗なに変えただけ。

 この女王蜂や蜂人間のように、魔力への抵抗力が低い相手にしか通用しない魔法だが、今回は条件が合致して役に立った。



「どう? クラリス。キミの目の前だし……なるべく見苦しくないように、楽しくしてみたんだけれど」


「うん。すごく綺麗でびっくりしちゃった。……楽しいかは置いといて」



 クラリスがそう言って、ヴィクターの足元の女王蜂に目を向ける。

 あのキラキラさえ無くなれば、残るのは腹に穴が空いた巨大な魔獣の死骸だけだ。現実と言うべきか、正直こちらは楽しくない。

 それでもヴィクターなりに、クラリスが――ただの一般人である彼女が卒倒してしまわないよう、気を使った戦い方をしたのだということはよく伝わっていた。



「とにかく、無事に一件落着……ってことなのよね? 色々あってまだ現実味が無いけれど……ヴィクター。アナタさえ良ければ、村に戻る前にまずはみんなの様子を診てもらえないかな」


「分かったよ。といっても、ワタシは医者じゃないからね。簡易的なチェックぐらいにはなるけれど」


「ありがとう、それだけでも助かるわ。……あれ?」



 女王蜂から飛び降りたヴィクターにクラリスがにこりと笑いかける。すると、そんな彼女の視界の端で小さななにかが動いたのが見えた。

 それは、巨木の根元に座る、茶色い生物。



「もしかして、私達を案内してくれた、あの小鹿……?」



 それはクラリス達が脱出の際、前を先導してくれたあの小鹿であった。

 巣の崩落に巻き込まれたのか、またはヴィクターと女王蜂の戦闘に巻き込まれたのか、どうやら足を怪我しているらしい。


 ――大変。あの子も一度村に連れて帰って、手当しないと。


 そう思うといてもたってもいられず、クラリスは小鹿の元に向けて走り出した。



「クラリス?」


「逃げる時に、あの小鹿が私達を助けてくれたの! 怪我をしているみたい。私はあの子を連れてくるから、ヴィクターは先にみんなのことをお願い!」


「む……そうかい。キミが言うならそうするよ」



 横を通り抜けていくクラリスの言葉に、不本意そうにヴィクターは返事をして、とぼとぼ村人達の元へと歩いていった。なにが悲しくて、クラリスもいないのに見知らぬ男共の世話などしなくてはならないのだ。

 しかしそんな彼の思いとは裏腹に、村人達はヴィクターがやって来たのが分かるやいなや、大歓声と共に大きな拍手で彼のことを出迎えた。



「兄ちゃんすごいじゃないか! あんなデカい魔獣をやっつけちゃうだなんて!」


「さっきの綺麗なあれ、魔法だろう? すごいなぁ、僕初めて見たよ!」


「ああ……まぁワタシくらいになれば、あれくらい楽勝なものさ。気が向いたらまた見せてあげてもいいけれど」



 はじめは引き気味に警戒していたヴィクターも、褒められたことは満更でもないのか「ふふん」と得意げに鼻を鳴らした。


 ――感謝されるのも存外悪くないね。どれ、少し診てやるとするか。


 チョロいものである。彼はその場に村人達を座らせると、一人ずつ検査を始めた。

 クラリスの言っていた通り命に関わる外傷は無さそうだが、たしかに全員、通常でありえないほどに腹だけが膨れ上がってしまっている。


 ――短期間による、栄養の過剰摂取と言ったところか……。この辺りにそんな効果のある果実なんかは無さそうだし、魔獣の体内で分泌された物質の可能性もあるな。どちらにせよ、詳しい原因はそれこそ医者にでも任せればいいか。


 そう思い至ったヴィクターは、それまで診ていた村人を座らせて、次の村人を立たせる。ベンの番である。

 どうせ診断結果は同じだろうが、クラリスの顔を立てなければならない以上、形だけでも全員行った方がいいだろうとの考えだ。



「……ん? なぁ兄ちゃん、アレ……」



 すると、立った拍子にベンがヴィクターに向けて声をかけてきた。



「なにかね。今は診察中だ。少しの間くらい大人しくしていたまえ」


「いや、それはそうなんだけどさ。あの魔獣……さっきからあっちなんて向いていたっけか」


「――なに?」



 ベンの言葉を聞いて一瞬、ヴィクターの思考が止まった。

 嫌な予感が背筋を駆け抜け、堪らず振り返る。

 女王蜂の死骸は――その目は、巨木の根元。まさに傷を負った小鹿の元へとしゃがみ込んだクラリスの方へと向けられていたのだ。

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