東奔西走ジオメトリック《6》

「わぁ……すごく広い。これが本当にあの大きな木の中にあるっていうの……?」



 この場所に足を踏み入れ、最初にそう感嘆の声を漏らしたのはクラリスであった。

 蜂人間達の目を盗み、時には通路横道を利用しながら歩くこと約十五分。彼女達が思っていたよりも、この幾何学的きかがくてきな小部屋同士が繋がるパイプは複雑な迷路のごとく入り組んでいた。

 そんな中やっとの思いで辿り着いたのが、この大きな空間である。



「見張りはいないみたいだね。クラリス、少し見てみようか」


「そうね。んー……ここだけ明るいからか、ちょっと目がチカチカする」



 そこはまさに、名のある劇団のために建てられた、大掛かりな大ホール建設現場のような場所だった。

 壁や地面は今までと変わらずザリザリと粗い質感だが、クラリスの言った通り壁を伝った上部――だいたい距離にして十メートル近い場所には、等間隔にいくつもの穴が空いていて、射し込んだ太陽の光が室内を照らしている。

 内装はほとんどそれだけ。それだけなのだが、一つだけこの空間には異質なあるものが存在していた。それは――



「あれは、卵……か?」



 ヴィクターが部屋の奥に目を向け、呟く。

 異質なあるものとは、白く、大きく、楕円形の形状をした謎の物体のことであった。

 大きさは空間の四分の一を埋め尽くす程度。虫のものというよりは、鳥の卵に近い外見をしている。

 太陽の光に当てられたソレは光を反射していて、気のせいだろうか。彼の目にはわずかに動いたようにも見えた。



「卵? あの大きいのが? えっ……ちょっと待って、それだけは無理。私、柔らかめな虫は冗談抜きにダメなの! あの大きさのが出てきたら気絶しちゃう」


「少し動いていたみたいだけれど。もうすぐ生まれるんじゃないかな」


「変な冗談はやめて!」



 注意喚起のためにも、本当のことを言っただけなのだが……と、ヴィクターは不本意そうに明後日の方向を見て、左下から感じる恨めしい視線に知らぬ顔をする。

 どうやらこの空間の正体は子供部屋のようだ。

 日当たりのいい場所に、大きな卵がひとつ。だが、その大きさはどう見たとしても、あの蜂人間達すらを優に越えてしまうほどに巨大でおぞましい。


 ――話では、魔獣の被害が出はじめたのは三週間前……おおかた、元の巣ではこの卵の大きさは囲いきれなくなってしまい、新居に選んだのがこの巨木だったのだろう。となれば、わざわざ野生動物だけでなく人間を襲ってまで食料を集める目的も……この卵の中身か。


 すっかりヴィクターの中では、いなくなった人々は蜂人間達のであると決め込まれていた。

 もちろん口に出せばクラリスの反感を買ってしまうので言わないが。



「……とにかく、この空間がアレらにとって重要な場所であるのは間違いない。障害物も無いし、いつまてもじっとしていたら見つかってしまいそうだ。クラリス、早いところ他を探そう」


「とはいっても、ここから繋がってる通路ってたくさんあるけれど……見当なんてついてないわよね?」


「もちろん。だからしらみ潰しに回る」


「やっぱりそれしかないか……」



 効率は悪いが、それしかないのはクラリスも重々承知の上だ。

 彼女は先に近くの通路の様子を見に行ったヴィクターの後を追って、自身も周囲を警戒しながら一歩前へと踏みでる――踏みでた――踏み込んだ。そのはずだった。



「えっ?」



 突如訪れた浮遊感に、クラリスが驚きの声を上げる。足元が崩れたのだ。

 崩れたとはいっても、なにも床がバラバラになって外に放り出されたわけでも、舞台上の奈落のような仕組みがあったわけでもない。

 しいて言うなら落とし穴。下層に向けて設置されたパイプの表面に固まっていた土が、クラリスが歩いた拍子に崩れてぽっかり穴を開けたのだ。


 ――うそ、なんでこのタイミングで……まさか蜂人間達は飛べるから、今まで床がこんなことになってるって気づかなかったってこと!?


 そうであれば欠陥住宅、点検不届きも甚だしい。



「わああ! ヴィクター!」



 叫びも虚しく足場をなくしたクラリスは、今度こそ行き先も分からぬ遥かな底へと滑り落ちていった。

 彼女にとっての幸運は、このパイプがスロープのように緩やかなカーブとなっていたことだろう。垂直でない分、直接的な死が彼女の全身を地面に叩きつける心配はない。

 しかしそれに代わる不運は――残念にもヴィクターがこの事態に気がついたのが、クラリスが完全に消えてしまった後だったことだ。



「ん? クラリス? ……あれ」



 呼ばれた気がして振り返ったヴィクターは、すぐにそこにいるはずのクラリスがいないことに気がついた。彼女が他の通路を見に行った気配はない。

 少し戻ってみれば、ついさっきまで無かったはずの大きな穴が地面に開いていた。

 その大きさは人間一人くらいを簡単に飲み込めるほどで、この穴がクラリスをここではないどこかへ送り出してしまったのは、一部始終を見ていないヴィクターでも容易に想像することが可能だった。



「まさかこの穴が突然現れて、それにまんまと落ちていったとでもいうのかね。そんな馬鹿な……とにかく彼女を一人にするわけにもいかないし、一本道なら今飛び込めば追いつけるか……」



 仮にもここは敵地のど真ん中だ。

 もしもクラリスが蜂人間達に見つかるようなことがあってしまえば、その後の命の保証があるとは到底言えない。

 ヴィクターもクラリスを追うべく穴の淵へと足先を乗せた。その時――



『Gyyyyyyyyy!』


「うわっ、うるさ! 急に叫ぶだなんて何事かね!」



 なんの前触れもなく響いた金切り声に、思わずヴィクターは両耳を塞いだ。

 音の発信源は、あの巨大な卵だ。卵の中にいるナニカが、皿をフォークで引っ掻いたかのような、キリキリと甲高く不快な鳴き声を喚き散らしているのだ。

 その声は赤ん坊が泣いて父母を呼ぶかのごとく、絶え間なく発せられ――遠くから、複数の羽音が近づいてきた。



「チッ、余計なことをしてくれたね……」



 金切り声が途切れると同時に、通路の先からゾロゾロと蜂人間達が姿を現した。

 魔獣達ははじめこそ、卵の方を見ては中にいるのだろう『』の機嫌を損ねた原因を探ろうとしていた。しかし一体がヴィクターを視界に入れると、すぐに全員がならうように彼の方を振り返る。

 まるでその視線は、女王の機嫌を損ねた悪者はお前かと問いただすかのようであった。



「ワタシはなにも悪くない。そのデカいのが勝手に喚いただけさ」


『Brrrrr……』



 そうは言っても、言葉も通じない魔獣達は完全にヴィクターを敵として認識している。

 それもそうか。そもそも彼らヴィクター達は不法侵入な上に、彼にいたっては既に蜂人間達の仲間を屠っているのだ。どう考えてもこれからハグができるような間柄にはなることはできない。

 退路を確認する。もしやこの違法建造物内にいる蜂人間が全員集まってきているのか? 残念なことに、ここに来るまでに通ってきた通路にも蜂人間が湧いていた。きっと横穴で一度やり過ごしたあの個体だろう。


 ――天井付近に空いた穴から脱出することは……できるけれど、飛行にいたってはアレらの方が上手うわてだろう。あまり空中戦には持っていきたくないな。


 ならばクラリスの落ちていったこの穴を使うのは? いや、いけない。一時的に逃げることができたとしても、ここで集まった蜂人間達を散らしてしまえば、クラリスに合流する前に魔獣が彼女に出会ってしまう可能性が高くなってしまう。



「かなり厄介なことになったが……まぁ、これも好機と捉えよう。おかげでコソコソする必要はなくなったし、この間にクラリスが全員救出してくれれば万々歳だ」



 蜂人間達が槍を構える。

 ヴィクターがステッキを左手に、わざと挑発するかのごとく前方の卵へ向けて突き出すと――蜂人間達は羽を広げ、彼に向けて一斉に襲いかかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る