深緑に誘う羽音は悲鳴か宴か《3》

《数時間後――ロブソン家・ダイニング》


 その日の晩飯は、ヴィクターに言わせてみればろくなものではなかった。



「せっかくお客様がいらっしゃったんだから、本当はジビエ料理とかをご馳走したかったんだけれどねぇ。今はこんな状況でしょう? 裏山で採れた山菜と、畑で収穫したお野菜しかないけれど、好きなだけ食べてちょうだいな」



 そう言ってニコラスの妻――ロブソン夫人がテーブルに並べたのは、緑が色鮮やかな天ぷらや炊き込みご飯、そして具材がトロトロになるまでよく煮込まれた味噌汁などであった。


 たしか紅葉のよく見える旅館に泊まった時に、出てきた部屋食がこんな感じだった記憶がある。

 それはクラリスにとっては楽しかった旅の思い出のひとつであったが、ヴィクターにとっては味気なかった食事の思い出そのもの。正直食べる気がしない。

 彼は手にしたフォークを右往左往させては、まず初めになにに手をつけるべきかと迷っていた。



「そんな、十分すぎるくらいです! むしろ突然お邪魔してしまったのに、こんなに豪華なおもてなしをしていただけるなんて……ねっ、ヴィクター?」


「Um……ワタシは野菜より、肉料理の方が食べたかっいでででッ!」



 思わずヴィクターが大声を上げたのは、隣に座るクラリスが思い切り足を踏んづけてきたからだ。人の無礼に対しての容赦がない。


 ――ワタシはただ、自分の意見を述べただけなのだがッ!


 正直者な彼の口は直接塞がずとも、暴力によって無理やりねじ伏せられられてしまった。かかとで指先を踏まれれば、誰だってあんな声も上げるだろう。

 するとそんな彼らのやり取りを見て、ロブソン夫人がくすりと笑った。



「全然いいのよ。私達も最近この食事には飽きてきちゃって、同じことを思ってるんだから。魔獣が出るまではねぇ……本当に事件ひとつ無い、平和な場所だったんだけれど」


「魔獣が出たのって、いつ頃からだったんですか?」


「そうねぇ……」



 ロブソン夫人が壁に掛かったカレンダーに目を向ける。



「三週間くらい前……かしら。いつものように森に狩りに出た人が、その日は大怪我をして帰ってきて。みんな最初は熊でも出たんじゃないかって噂してたんだけれど、詳しく話を聞いたらその人……魔獣に襲われたって言うのよ。慌ててその日のうちに森の入口を封鎖して、誰も立ち入らないようにしたのよねぇ」


「魔獣に襲われた人……ロブソンさん、その人に話を聞くことってできませんか? 襲われた時の状況とか、どんな魔獣で何匹いたのか……とか」


「ごめんなさい。今は治療のために隣町にいるの。でも襲われたのがどんな魔獣だったのかは言ってたはずよ。たしか――」


「巨大なの魔獣だったと、彼は言っていました」



 クラリスとロブソン夫人の会話にそう割り込んできたのは、帰宅したニコラスであった。

 彼は外から帰ってきて早々に席につくと、テーブルの上に並んだ料理を見てわずかにがっかりした様子だったが、早々に表情を取り繕った。この食事に飽きてきたというロブソン夫人の話は本当なのだろう。


 食卓に人が集まり、ニコラスから料理をすすめられたことで、ようやくクラリスとヴィクターは食事を始めた。

 もちろんクラリスは全員が揃うのを待っていただけなのだが、ヴィクターは単純に食べる気が起きなかっただけである。今もこうして、山菜の天ぷらを齧る時のひと口があまりにも小さい。



村長ジェフリーには先程話をつけてきました。最初は僕と同じく関係のないお二人を巻き込むのに渋っていましたが、彼も村の人間のことは全員大事な家族だと思っていますから。あなた方が危ないと思ったら、迷わず帰ってくることを条件に了承してくれましたよ」


「ハッ、それならば問題ない。帰ってくるどころか、魔獣の相手なんてワタシからしてみれば容易いものだ。それこそこの……味気のない山菜料理のフルコースを食べ切るよりも」


「こら、ヴィクター」



 クラリスに小声でたしなめられ、ヴィクターはまたもそもそと食事を再開した。

 ロブソン夫人の用意した山菜料理は彼の言うように薄味味気のない味であったが、どれも不味いわけではなく、むしろクラリスとしては薄い味付けが独特の香りや味を引き立たせていて美味しいとさえ思えるものだった。

 これはただの好き嫌い。物は言いようである。



「それでロブソンさん……あっ、えっとニコラスさん。さっき言っていた、森に住み着いたのは巨大な蜂の魔獣だっていう話は間違いないんですよね?」



 自分の前に座る夫妻がどちらもロブソンだったことを思い出し、クラリスがニコラスの方に改めて尋ねる。

 ニコラスは頷くと、一度箸を置いてシャツの胸ポケットから数枚の写真を取り出した。



「これは……ブレてるけれど、魔獣の……写真?」


「はい。逃げる直前に撮ったみたいです。この後すぐに襲われてしまったのか、現像した中で手がかりになりそうなものはこれだけでした。襲われた村人が命からがら村に戻ってきた時、最初に発見したのは私達夫婦だったのですが……たしかにその時、襲ってきたのはの魔獣だったと。そう言っていたんです」


「なるほど。うーん……どの写真にも黄色い生き物っぽいものは写っているけど……ヴィクター、なにか分かったりする?」



 そう言って、クラリスは隣で味噌汁のこんにゃくを口にしたばかりのヴィクターに写真を見せた。

 慣れ親しんだこんにゃくの食感は好みらしい。

 ヴィクターは写真を眺めながらしばらくむにむにと口を動かしていたが、やがて飲み込むと自分の見解を述べはじめた。



「ワタシも別に魔獣博士ではないからね。素人意見とはなるが、写真を見るにこの魔獣は動きの速い種類みたいだ。ほら、この写真。周りの景色はブレていないのに、魔獣だけがブレてボヤけているだろう」


「たしかに……景色だけはくっきりしてるわね」



 ヴィクターが全員に見えるように、写真を目の前に掲げる。

 彼の言ったように、どの写真も木々の枝葉にいたるまで鮮明に写っているように見えるが、肝心の対象はぼんやりとしたシルエットと色が分かるのみ。

 もしも本当に動くのが速い魔獣なのであれば、怪我を負った状態で逃げ切るのはさぞや大変だったことだろう。



「クラリス、このままキミに聞こう。なんの事前情報も無しにキミがこの写真を見せられた時、ここに写っているものがなにかと聞かれたら、キミはなんだと答える」


「えっ? そ、そうね……黄色くて森にいるなら……熊、とか?」


「は、なに。……熊? 熊が黄色いわけないだろう。新種の魔獣かね、それは」



 心底呆れた様子でヴィクターがクラリスを見下ろした。

 黄色い熊がありならば、ネズミだろうがウサギだろうがなんでもありになってしまう。

 彼は写真をテーブルの空いたスペースに置くと、トンと指先を乗せた。



「……まぁいい。ワタシが言いたいのは、コレの正体は蜂の魔獣なのではなく、蜂っ別の魔獣なんじゃないかということだ」


「蜂っぽい……?」


「だってキミ、この写真を見て熊だと言っただろう。それはなぜか。ここに写っている生物は蜂を彷彿とさせる縞模様なんて無いし、飛んでいない――つまりは地に足をついている状態だと認識したからだ。よく見たまえ。いくらブレているとはいえ、浮いている感じには見えないとワタシは思うが」



 言われてみれば、この写真に写った魔獣の姿は蜂――否、熊――否、人間? そう、まるでそれは走り出した時の人間の姿に近いように見える。

 そう理解した瞬間、クラリスの背筋がぞわりとあわ立った。


 一度そう見えたらそうとしか思えない。まさか自分達に近い姿のナニカが人を襲っているという事実が、ここまで嫌悪感を抱くものだったなんて。

 どうやらロブソン夫妻も彼女と同じ考えにたどり着いたらしい。カチャン、と誰かが箸を置く音が聞こえた。



「Hmm……ニコラスくん。ひとつ聞きたいのだが、襲われた人間はどんな怪我を負っていたのか覚えているかね。切り傷か、刺し傷か。はたまた毒にでも侵されていたのか」


「あ、ああ。たしか……刺し傷だったはずです。大きな針にでも刺されたような傷が、お腹にひとつ。毒みたいなものが検出されたという話は聞いてませんが……」


「それで十分だ。推測するに、この魔獣は人型で、手には槍状の得物でも持っているのだろう。仮に蜂だとすればお尻に針があると思うのが一般的だが、さすがにこの姿形でそれは使い勝手が悪すぎる。襲われた村人が蜂の魔獣だと言ったのはまぁ……総合的に見れば蜂っぽいからだろうね。それか頭が蜂そのものなのかもしれないが――」



 そこまで言ったところで、はたとヴィクターの口が止まった。

 誰も、なにも言わない。皆箸を置いてしまって、すっかり食欲が失せてしまったのか、うつむき、皿の上に残った天ぷらに手をつける素振りすらない。

 ごちそうさまには、まだ早すぎる。



「……このはなにかね。ワタシは悪くないからね。食事時にも関わらず、クラリスが意見を聞いてきたから述べただけで、キミ達の食事の責任をとるつもりはないから。……残りは全部食べろと言うのは無しだよ」



 この残った山菜フルコースを押し付けられるなんて、たまったものじゃない。

 ヴィクターはさっと自分の皿を手元に寄せると、そう予防線を張ってから一人で食事を再開した。

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