深緑に誘う羽音は悲鳴か宴か《2》

「魔獣?」



 先に反応を示したのはヴィクターであった。

 果たしてここいる人間達は、これから魔獣の討伐にでも行こうというのだろうか。


 たしかに武器になりそうなくわや鎌を持っている人間はいるが、それでもしょせん農具は農具だ。魔獣相手に敵うはずもない。

 ましてやここにいるのは華奢な女性や老人ばかりで、腕の立ちそうな若い男はほとんどいないに等しい。これでは自分から死にに行くようなものである。

 そう考えを巡らせている間にも、ヴィクターの抱えた疑問は男の次の言葉で明らかとなった。



「あの森は資源も豊富で野生動物も多く、村では先祖代々狩猟を生業なりわいとして生活を送っていたのですが、いつから住み着いたのか人を襲う魔獣の群れが流れ着いてしまったみたいで。先日村の若い衆で探索隊を結成して様子を見に行ったのですが……」


「なるほど。帰ってこないというわけか」


「はい……魔法局に連絡して応援を呼んではいるものの、この辺りは交通の便が悪く、隣町に行くにも車が必要です。到着もいつになることやら……。もしかしたらその前にみんなが戻ってくるかもしれないと思って、こうして皆気になって集まっていた次第なんです」



 男がそう肩を落とす向こう側には、さっきまでヴィクターとクラリスが歩いてきたのと同じ広大な森が広がっている。いや、むしろ境目すら無く繋がっていると言えるだろう。

 地元の人間ならば遭難したという線は薄い。

 相手がどんな魔獣なのかは分からないが、数日間帰ってこないということは、まず襲われたとみて間違いはないはずだ。となれば、怪我をしているだけならまだしも、今頃魔獣の腹の中という可能性だってある。


 ――ここに来るまで魔獣の姿は見かけなかったが……それより、魔法局が来るというのは厄介だな。こんな場所までワタシヴァルプルギスの過去を知っているレベルの人間が足を伸ばすとは思えないが、避けるに越したことはないね。


 ヴィクターが集団から一度距離を取ろうと離れると、少し難しい顔をしながらクラリスも後ろを着いてきた。魔獣が出ると聞いた直後だ。無理もないだろう。



「クラリス、残念だが今日はここから離れて野宿にしよう。いつ魔獣が出るとも分からない場所で一夜を過ごすのはキミも本意じゃないだろう。寝床ならワタシが用意を――」


「ねぇヴィクター。アナタなら、例え魔獣相手に戦ったとしてもって言うの?」


「ん? ああ……まぁ、ワタシが負けるようなことはまず無いからね。魔獣なんて、どれだけ束で掛かってこようが相手にすらならないよ」


「ふぅん」



 見栄を張ったような言い方だが、ヴィクターの中ではこれが真実なのだから他に言いようがない。

 彼の返答を聞いたクラリスは顎に手を当ててなにかをうんと考え込んでいたようだったが、やがて結論が出たのだろう。彼女はパッと顔を上げて、視線をヴィクターに向けた。



「よし、ヴィクター。この件、私達でなんとかしましょ。困っている人達を見過ごしておいて、自分は悠々とくつろいではい、さようならなんてできないもの」


「なに? ……正気かねクラリス。そんなことをしてもワタシ達が得することはなにも――いや待て。さっきの聞き方はキミ、さてはこの前のことをまだ根に持っているね?」



 クラリスが突然こんなことを言い出したのをヴィクターは不思議に思っていたが、ようやく合点がいった。

 つい先日、彼女の口から危ないことには首を突っ込むなと釘を刺されたこと――そしてヴィクターが即それを破ったということは記憶に新しい。

 バレたその日は一日素っ気ない態度を取られてはいたものの、その後はクラリスもリゾートでのバカンスを楽しんでいたはずだ。

 もうゆるしてもらえたものだと思っていたが、まさかここで手札として使われることになろうとは。



「……オーケイ。分かったよ。キミの好きにしたまえ」


「ありがとう。強くて優しい、盗賊なんかもけちょんけちょんにできちゃうヴィクターなら、きっとそう言ってくれると思ったわ」


「茶化すのはよしてくれ……」



 素直に負けを認めて両手を上げると、クラリスはイタズラが成功したかのように目を細めて笑った。

 村の入口に集まっていた集団は、一人、また一人と帰路についていく。二人が会話をした壮年の男も、またその場を離れようとしていた一人だった。



「あの、すみません。さっきの話なんですけど……」


「さっきの? あぁ、魔獣が出たという話ですか」



 クラリスが呼び止めると、男は嫌な顔もせずに立ち止まって、彼女の声に耳を傾けた。



「はい。もし、迷惑でなければ私達に詳しく聞かせてくれませんか? これでも魔法使いで、腕には自信があるんです。もしかしたら役に立つことができるんじゃないかと思って……こっちのヴィクターが」



 そう言ってクラリスがヴィクターを見上げると、男も釣られて視線を上げた。

 紹介の仕方はとても点数をあげられたものではないが、こうも好意のある相手から頼れる人間だと思われているというのは気分がいい。


 ――まぁクラリスが喜んでくれるなら、ひと仕事するくらい別にいいけれど。


 ヴィクターが軽い会釈で挨拶をする。

 男も会釈を返して目の前の背の高い男ヴィクターに改めて目を向けた……が、その目にはわずかな警戒の色が浮かんでいる。

 こんな田舎の村にいるには到底不釣り合いな美丈夫だ。ましてや出会って間もないそれが、突然手を差し伸べようと言うのだから警戒するのも不思議なことではないだろう。



「それは願ってもいない申し出ではありますが……関係のない旅の方々を巻き込むのは、我々としても本意ではありません。数日待てば魔法局も捜査に入ることができるでしょうし、それまでは――」


「その魔法局が到着するまでの間に、森に入った人間達は飢え死にするか、魔獣に食われて本当の帰らぬ人になるか、そのどちらかの運命を辿ることになると、ワタシは思うがね。キミ達も、愛する我が子がいるならば五体満足で戻ってくる可能性は少しでも高い方がいいだろう」


「ちょっとヴィクター……!」



 思わずクラリスが小声で名前を呼んだ。

 ヴィクターの言うことはもっともであるが、今の言い方はあまりにも彼らの気持ちを踏み倒すような言い方に他ならない。相手とタイミングによっては逆上させてもおかしくはない言葉である。

 しかし男にとっては、ヴィクターの言葉はわずかにも響くものがあったらしい。



「それは……いえ、言い訳する余地もありません。今一番に優先すべきことは彼らの命ですからね。あなた方の提案に甘えるべきなのでしょう」


「分かってもらえたようでなによりだ。それで、詳しい話はどこで聞けばいいのかね。いくら急いだ方がいいとはいえ、まさかこんな日没間近に前情報もなく行けとも言うまい」


「それなら我が家に案内しましょう。民泊も兼ねているので、お部屋もちょうど二つ空きが……いえ、それとも同じお部屋の方がよろしかったでしょうか?」


「ばっ」



 男からのいらぬ気づかいに、ヴィクターから奇声が上がった。いつものことである。

 彼はそれまで流暢に話していたはずの口をいったん閉じると、ほんのりと顔を赤らめて視線を宙に漂わせた。

 答えは毎度同じなのに、わざわざなんと返答するかを考えているのだろう。



「……いい。二つでいい。二部屋用意してくれ。その方がゆっくり寝られるからね」



 彼はパタパタと手で顔を扇ぎながら、もっともらしいいつも通りの理由をつけて答えを捻り出した。



「分かりました。それでは我が家までご案内します。……あっ、申し遅れましたが、僕はニコラス・ロブソンといいます。村長のジェフリーは僕の兄ですので、お二人については後ほど話をしておきましょう」


「ありがとうございます、ニコラスさん。改めて、私はクラリス・アークライト。こっちはヴィクターです。急な滞在でご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」



 時刻は間もなく夕暮れ。鳥達が寝床に帰り、遠くでざわざわと木々が揺れる。

 その葉擦れの音に混ざって、東の方角――ヴィクターはなにかの羽音を耳にした。ノイズ。鳥が羽ばたく音ではない。これは……不快なの羽音だ。



「ヴィクター、どうしたの?」



 動かないヴィクターを不審に思ってか、先に歩きはじめていたクラリスが振り返った。

 彼は返事をすることもなく、じっと森を見つめている。

 クラリスからすれば、魔獣騒ぎを聞くまでは何の変哲もないただの森だと思っていた場所だ。その見方は今も変わっていなければ、視覚的にも、ここから覗く木々に表面上の変化はなにもない。



「ヴィクター?」


「ん? あぁ、なんでもない。今行くよ」



 もう一度呼ばれたことで、ヴィクターが我に返る。

 クラリスの隣にはニコラスもいる。どうやら律儀にも、家に着くまでの間は彼が村を案内してくれることになったようだ。それなら日が沈み切る前に終わらせてしまった方がいいだろう。


 もう風が木の葉を揺らすざわめきは聞こえない。夕空に薄らと月が浮かび、耳鳴りのようにあの羽音はヴィクターの頭に残ってこびりつく。

 彼はコートを翻すと、ポケットに手を入れて一歩、二歩。底知れぬ不気味さを抱えながらも、軽快な足取りでクラリスの後を追いかけた。

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