第7話 幕間▷紳士の痕跡と魔法局
《数日後――とある独房》
「……で、本当の本当にアンタはその時起きたことはなんにも覚えてないと? えーっと……アーロン・イーリイさん?」
手にしたバインダーに記載された名前を読み上げ、赤目の青年は黒い髪が跳ね上がった頭をポリポリとかいた。
ここはある一帯の地域を対象とした魔法局の分局。とある魔法使いによって、投獄された人間の
「何回も言わせるな。たしかに俺はクレイグに雇われて、奴の儲け話に手を貸してはいたが……あの時のことだけは、さっぱりと
「はあ……別に疑ってはいませんけどね。アンタの言うクレイグっていう奴との証言とも一致してますし。アンタら二人が、事前に口裏揃えて記憶喪失ぶろうとしない限りはそうなんでしょ」
青年の前で牢に入れられている小柄な男は、なんでもこの辺りをしばらく騒がせていたという強盗団の一味らしい。手元の資料によれば、砂を操る長命な魔法使いという話だが……本人には全くと言っていいほど抵抗する意思が無い。
発見時に怪我を負っていたことから、数日間の検査や治療を経て今。彼はこうして青年の聴取にも大人しく協力しているのだ。
――なーんか、気持ち悪いんですよねぇ。資料によれば、獣に襲われた形跡あり……この辺り、リゾート開発も進んでいて野犬が出るなんて話は聞いたことないんですけど。そもそも相手が犬じゃなくて魔獣だったとしても、五百歳超えてる魔法使いがそんな簡単にやられるもんなのか?
いくら資料とイーリイの顔を見比べたとしても、新しい情報が分かるわけでもない。おそらく聞ける話もこれ以上無いのだろう。
こんな時は一服して心を落ち着けたい。青年は考えることを早々に諦めたのか、手にしていたボールペンをシャツの胸ポケットへと差し込んだ。
「あー、エルマー。僕はもうお手上げです。多分マジモンの記憶喪失ですよ、この人。なに聞いても無駄。こんな遠方で捕まった魔法使い、アンタが気になるって言うからわざわざ見に来たってのに……資料通りの証言じゃないですか。無駄足だったんじゃないです?」
「うん? そう?」
青年が振り返ると、それまで後ろで二人の様子を見守っていたアプリコット色の髪の男――エルマーが一歩前へと出た。
「いやいや。ダリルちゃんはよく聞いてくれたよ。おかげで、彼が嘘を言っていないということがよぉく分かった」
エルマーがダリルちゃんと呼んだ青年の隣にしゃがみ込む。
赤いシャツに黒いネクタイというシンプルな装いのダリルとは対照的に、派手な花柄のシャツにサングラスをかけたエルマーの見た目は、お世辞にも魔法局と呼ばれる公的な組織に属している人間には見えやしない。だが……イーリイはその名前に聞き覚えがあった。
「エルマー? ……まさかお前があの、魔法局のエルマー・ウィークエンドなのか?」
「そう。ボクを知っているなら、別にボクのことは説明しなくてもいいよね」
イーリイが大きく頷く。
エルマーはその態度に満足したのか、人当たりのいい笑顔を浮かべて、掛けていたサングラスを胸元のポケットへとしまった。
「それじゃあ本題から入らせてもらうね。君の記憶喪失の件だけれど、ボクは魔法使いが絡んでいると思ってる。その犯人に興味があって、遠路はるばる
そう言うと、エルマーはトントンと自分の頭をノックした。
「記憶を弄る魔法っていうのは、その対象範囲を数秒にするのか数年にするのか……はたまた、対象を時間ではなく
「……自分の存在を知られないため、ですか?」
「おっ。ダリルちゃん鋭いねぇ。彼の話を聞いた感じ、直前までの記憶は鮮明に覚えているみたいだ。都合の悪いことを隠すため、数分間の記憶を消しただけにしてはあまりにズレが無さすぎる。……これは、特定の個人に関する記憶をそれは
断言するような言い方に、ダリルは思わず真剣な眼差しをエルマーの横顔に向けた。
ゆったりとした話し方の裏に、
そしてエルマーは自分の顔の前に拳をあげると、丁寧に一本ずつ指を立てはじめた。
「個人の記憶を後遺症も無く、さらに綺麗に消すことができる魔法使いとなると、それは極一部――大魔法使いと呼ばれるほどの魔力量と技術がある魔法使いに限られる。そう……例えば、ボク」
「……」
一本。イーリイはなにも言わずに、エルマーを見ている。
「それから、創造主オズワルド・スウィートマン。……まぁ、アイツの行方はボクが一番知りたいくらいなんだけど。オズならわざわざこんな小細工はしないでしょ」
「……」
二本。イーリイはなにも言わない。
「あとは……過去に世間を騒がせた大罪人、ヴィクター・ヴァルプルギス」
「……」
三本。イーリイは、なにも言わなかった。
「ところでアーロン・イーリイ。君、ボクのことは知っていたみたいだけれど……ヴィクター・ヴァルプルギスという魔法使いのことは知ってるかな?」
「……いいや。まったく
「ええ? 本当に?」
イーリイが頷く。
その言葉にやはり嘘偽りがないということは、エルマーの経験上相手の目を見ればすぐに分かることだった。
すると緊張の糸が解けたのだろう。エルマーは「そうかぁ」と表情を緩めると、床の埃も気にせずにその場にぺたりと尻もちをついた。
――いや、一人で勝手に納得しないでくださいよ。
なにがそうなのだろうか。不思議に思ったダリルが、一人スッキリした顔をしているエルマーへと問いかけた。
「えっと……どういうことなんです? 当てが外れたってことですか?」
「いいや、その逆。この件に関わっているのはヴィクターで確定。五百年生きている魔法使いが、
「ええ、そりゃあもう。だって僕、まだ魔法局に入って二年目ですよ」
言ってしまえばまだまだド新人。
ましてやエルマーの口ぶりでは、そのヴィクターなんとやらが事件を起こしたのは少なく見積っても百年以上は昔のことなのだろう。二十代そこらの若者が知っているはずもない。
「そんな大事に考えないでよ。簡単に言えば、昔にボクと相棒が苦労して捕まえた凶悪犯がちょいと前に脱獄しちゃってねぇ。今回やっとその足取りが掴めたってだけ。いやぁ、よく今まで厄介事を起こさなかったもんだ」
「はぁ? クソ簡単に言いますけど、それってめちゃくちゃ大事じゃないですか」
「あっはは、そりゃあ事件のことは一般には公開されていない機密情報だからね。これからは彼の目撃情報を集めるのに時間を割かないと……話を聞いたからには、居場所が分かった時にはこの老人に代わってダリルちゃんが捕まえてくれよ」
「うわ最低。僕、絶対関わりたくないんですけど……」
よほど困惑した顔で自分を見下ろすダリルが面白かったのか、エルマーがケラケラと笑い声をあげる。
この場で今の話を面白いと感じているのは、話し手である彼くらいのものである。
――馬鹿にしやがって……最初は
魔法局特例異変解決本部――通称『異変解決屋』所属二年目、ダリル・ハニーボール。彼はこの時ようやく、自身の配属された部署の運の無さに頭を悩ませることになるのだった。
序章『ヴィクター・ヴァルプルギスはその昔、有名な魔法使いだった』――完
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