幕間▷紳士の痕跡と魔法局

《数日後――とある独房》


「……で、本当の本当にアンタはその時のことはなんにも覚えてないと? えーっと……アーロン・イーリイさん?」



 手にしたバインダーに記載された名前を読み上げ、赤目の青年は黒い髪が跳ね上がった頭をポリポリとかいた。



「何回も言わせるな。たしかに俺はクレイグに雇われて、奴の儲け話に手を貸してはいたが……あの時のことだけは、さっぱりと思い出せない。いつものようにクレイグに呼び出されたはずだが、次に気がついた時にはもう自警団に囲まれていたんだ。正直、人に襲われたのか、魔獣に襲われたのかすらも分からない。……そんな疑うような顔をするな。今更俺が、お前達に嘘をついて何になる」


「はあ……別に疑ってはいませんけどね。アンタの言うクレイグっていう奴との証言とも一致してますし。アンタら二人が、事前に口裏揃えて記憶喪失ぶろうとしない限りはそうなんでしょ」

 


 青年の目の前で牢に入れられている小柄な男は、なんでもこの辺りをしばらく騒がせていたという強盗団の一味の魔法使いらしい。

 しかし本人には全くと言っていいほど抵抗する意思が無いのか、対魔法使い用に設計された檻に入れられることもなく、こうして青年の聴取にも大人しく協力している。


 ――なーんか、気持ち悪いんですよねぇ。資料によれば、獣に襲われた形跡あり……この辺り、リゾート開発も進んでいて野犬が出るなんて話聞いたことないんですけど。そもそも相手が犬じゃなくて魔獣だったとしても、五百歳超えてる魔法使いがそんな簡単にやられるもんなのか?



「あー、エルマー。僕はもうお手上げです。多分マジモンの記憶喪失ですよ、この人。なに聞いても無駄。こんな遠方で捕まった魔法使い、アンタが気になるって言うからわざわざ見に来たってのに……資料通りの証言じゃないですか。無駄足だったんじゃないです?」


「うん? そう?」



 赤目の青年が振り返ると、それまで後ろで二人の様子を見守っていたアプリコット色の髪の男――エルマーが一歩前へと出た。



「いやいや。ダリルちゃんはよく聞いてくれたよ。おかげで、彼が嘘を言っていないということがよぉく分かった」



 エルマーがダリルちゃんと呼んだ赤目の青年の隣にしゃがみ込む。

 黒いシャツに赤いネクタイというシンプルな装いのダリルとは対照的に、派手な花柄のシャツにサングラスをかけたエルマーの見た目は、お世辞にも魔法局と呼ばれる公的な組織に属している人間には見えない。

 だが、イーリイはその名前に聞き覚えがあった。



「エルマー? ……まさかお前があの、魔法局のエルマー・ウィークエンドなのか?」


「そう。ボクを知っているなら、別にボクのことは説明しなくてもいいよね」



 イーリイが大きく頷く。

 エルマーはその態度に満足したのか、人当たりのいい笑顔を浮かべて、掛けていたサングラスを胸元のポケットへとしまった。



「それじゃあ本題から入らせてもらうね。君の記憶喪失の件だけれど、ボクは魔法使いが絡んでいると思っている。その犯人について興味があって、遠路はるばる魔法局の本部から話を聞きに来たんだ」



 そう言うと、エルマーはトントンと自分の頭をノックした。



「記憶を弄る魔法っていうのは、その対象範囲を数秒にするのか数年にするのか……はたまた、対象を時間ではなくにするのか。この対象によって、おおかたどんなレベルの魔法使いが手を出したのかが絞りこめるんだ。……さて。君の記憶を消した魔法使いは、なぜそんなことをする必要があったんだろうね」


「……自分の存在を知られないため、ですか?」


「おっ。ダリルちゃん鋭いねぇ。彼の話を聞いた感じ、直前までの記憶は鮮明に覚えているみたいだ。普通に数分間の記憶を消しただけなら、上手くやっても多少なりのズレは起きるものなんだけど……これは、個人に関する記憶をそれは消されたんじゃないかと、ボクは考えている」



 断言するような言い方に、ダリルは思わず真剣な眼差しをエルマーの横顔に向けた。

 ゆったりとした話し方の裏に、何人なんぴとたりとも口を挟むことが許されない緊張感。場の空気が、ピンと張り詰める。

 そしてエルマーは自分の顔の前に拳をあげると、丁寧に一本ずつ指を立てはじめた。



「個人の記憶を後遺症も無く、さらに綺麗に消すことができる魔法使いとなると、それは極一部――大魔法使いと呼ばれるほどの魔力量と技術がある魔法使いに限られる。そう……例えば、ボク」


「……」



 一本。イーリイはなにも言わずに、エルマーを見ている。



「それから、創造主オズワルド・スウィートマン。……まぁ、アイツの行方はボクが一番知りたいくらいなんだけど。オズならわざわざこんな小細工はしないでしょ」


「……」



 二本。イーリイはなにも言わない。



「あとは……過去に世間を騒がせた大罪人、ヴィクター・ヴァルプルギス」


「……」



 三本。イーリイは、なにも言わなかった。



「ところでアーロン・イーリイ。君、ボクのことは知っていたみたいだけれど……ヴィクター・ヴァルプルギスという魔法使いのことは知ってるかな?」


「……いいや。まったく聞いた名前だが」


「ええ? 本当に?」



 イーリイが頷く。

 その言葉にやはり嘘偽りがないということは、エルマーの長年の経験上相手の目を見ればすぐに分かることだった。

 すると緊張の糸が解けたのだろう。エルマーは「そうかぁ」と表情を緩めると、床の埃も気にせずにその場にぺたりと尻もちをついた。


 ――いや、一人で勝手に納得しないでくださいよ。


 なにがそうなのだろうか。不思議に思ったダリルが、一人スッキリした顔をしているエルマーへと問いかけた。



「えっと……どういうことなんです? 当てが外れたってことですか?」


「いいや、その逆。この件に関わっているのはヴィクターで確定。五百年生きている魔法使いが、あんな大事件ヴァルプルギスの夜を起こしたアイツをまったく知らないはずがない。なんでアイツが口封じに殺さずに記憶を消すだけに留めたのかは分からないけど……下手すりゃ逃げ回っているカラスも関わってるかもしれないね――って、ダリルちゃんにはピンと来ないかぁ」


「ええ、そりゃあもう。だって僕、まだ魔法局に入って二年目ですよ」



 言ってしまえばまだまだド新人。

 ましてやエルマーの口ぶりでは、そのヴィクターなんとやらが事件を起こしたのは少なく見積っても百年以上は昔のことなのだろう。二十代そこらの若者が知る由もない。



「そんな大事に考えないでよ。昔、ボクと相棒が苦労して捕まえた凶悪犯がちょいと前に脱獄しちゃってねぇ。今回やっとその足取りが掴めたってだけ。いやぁ、よく今まで厄介事を起こさなかったもんだ」


「はぁ? クソ簡単に言いますけど、それってめちゃくちゃ大事じゃないですか」


「あっはは、まぁ世間一般的には開示されていない情報だからね。その辺の話は、サントルヴィル中央大都市に帰る途中でちゃんとしてあげるからさ。万が一にも居場所が分かって戦うことにでもなったら、この老人に代わってダリルちゃんがなんとか捕まえてくれよ」


「うわ最低。僕、絶対関わりたくないんですけど……」



 よほど困惑した顔で自分を見下ろすダリルが面白かったのか、エルマーがケラケラと笑い声をあげる。

 この場で今の話を面白いと感じているのは、話し手である彼くらいのものである。


 ――馬鹿にしやがって……最初はの下に配属されるって聞いて舞い上がってましたけど。もしかして僕、下につく人間を間違えたんじゃないか……?


 魔法局特例異変解決本部――通称『異変解決屋』所属二年目、ダリル・ハニーボール。彼はこの時ようやく、自身の配属された部署の運の無さに頭を悩ませることになるのだった。






プロローグ『ヴィクター・ヴァルプルギスはその昔、有名な魔法使いだった』――完

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