紳士と乙女と痴れ者達《4》

 大罪人、と言い切られれば、普通の人間ならさぞや怒るか困惑するかの反応は見せることだろう。

 だが、ヴィクターはそのことに関しては特に肯定することもなければ、真っ向から否定することもしなかった。



「ほう。そのことを知っているなんて、本当に長生きしている魔法使いみたいだね。たしか現在、あの事件は教育上天災による影響だと語り継がれていると聞いているが……ははっ。いかにも、魔法局が失態を隠すためにでっち上げた理由らしい」


「その魔法局からどうやって脱獄したという。あの事件の後、ヴィクター・ヴァルプルギスは特別牢に投獄されたと聞いていたが」


「脱獄……さあ。覚えのない話だね」



 鼻で笑ってそう答えるヴィクターに、イーリイが不審げに眉をひそめる。

 彼からしてみれば、目の前に立つヴィクターは、その昔どこに行っても『魔法局』――つまりは凶悪な魔法使いを取り締まる、世界の重要機関によってお尋ね者としての目撃情報を募られていた魔法使い。

 ましてや、当時に生きていた者なら知らない者はいない、と言い切れるほどの悪事を重ねていた人物である。見間違えるはずもない。

 しかしその当の本人が、事実に対して覚えがないと言うのだ。



「……覚えがない? 馬鹿を言うな。しらばっくれるにしても、もっとマシな理由は思いつかなかったのか」


「ワタシは大真面目さ。ヴィクター・ヴァルプルギスは既にこの世に存在しない。ここにいるのはヴァルプルギスという忌み名を捨てた……まぁ、正式にはそのうちアークライトの姓を名乗る予定だが。ただのヴィクター、その人に他ならない。つまりワタシは彼とは別人。赤の他人というわけだから、イーリイくんの言うしらばっくれる態度には該当しない、というわけさ」


「そんな暴論、通用するわけが……! ああいや、もういい。狂人とは話すだけ時間の無駄だ。とにかく俺は降りるからな、クレイグ。コイツを相手にするなんて契約外にも程がある!」



 そう言い捨てて去ろうとするイーリイの腕を、クレイグが慌てて掴んだ。

 いっそ哀れなほどに話に置いていかれている無知な男は、軽くパニック状態であった。

 訳も分からないままに次々と仲間が逃げ出してしまっているのだ。そして頼みの綱であったイーリイすらも。無理もない。



「俺を見捨てるってのかイーリイ先生! いつもみたいに魔法でどうにかしてくれるんじゃなかったのかよ!」


「状況が変わった。お前も命が惜しいなら、コイツとは関わり合う前にとっとと逃げることだな」


「そんな――」



 クレイグが言葉を発しはじめた、まさにその瞬間。

 奇怪な破裂音が鳴ると同時に、前触れもなく――そして受け身も取れないままに彼は前のめりに砂の上へと倒れた。

 彼の頭があった位置には、ヴィクターがステッキの装飾部分――自身の瞳の色にも似た、それは美しく愛らしい苺水晶ストロベリークォーツを向けていた。その視線は倒れた物言わぬ男を見下ろしている。



「心配しなくていい。ただ気絶しているだけだ。彼は生かしておかないといけないからね。多少前後の記憶に障害は残るかもしれないが……まぁ、かまわないだろう。知らない方がいいこともある」



 そう言うと彼は、ゆっくりと視線をイーリイへ向けた。



「しかしイーリイくん。キミは話が別だ。ワタシの過去を知っている魔法使いは、排除しなければならない。そう……できるだけ波風を立てず、穏便にね」


「ッ、……そこまでして魔法局へ情報が洩れるのを恐れているのか! 遅かれ早かれ、いつか必ずバレることだぞ!」


「魔法局? ふん。アレが再びワタシを捕らえようと躍起になろうが関係ない。ワタシもあっち魔法局には用があるからね。今はまだ見つかるわけにはいかないが……いずれサントルヴィル中央大都市に着いたあかつきには、借りを返しに行こうと思っていたんだ」



 忌々しげにヴィクターがそう言うと、苺水晶ストロベリークォーツは内部で怪しげな光を孕みはじめた。

 わずかに漏れ出す魔力の断片だけでもよく分かる。この男に――イーリイは、魔法で勝つことはできない。


 ヴィクターの矛先が既に自分へと向けられていることに気がついたイーリイは、すぐに行動に出た。そう、前線からの逃走である。

 彼が腕を振り上げると、イーリイとヴィクターの間には砂の壁が立ち上がった。

 突然現れたそれにヴィクターが目を丸くすると同時に、足元に違和感を覚える。――蟻地獄。砂がどんどん彼の足を飲み込みはじめているのだ。



「ふぅん。砂を操る魔法使いか。動けないのは厄介だな」



 口ではそう言いつつも、余裕を崩さないヴィクターは軽快に指を鳴らす。

 するとその刹那――彼からの命令を今か今かと待ち続けていた、色の無い達が動き出した。


 月下に照らされた先に、影がある。砂浜にひとつ、ふたつ、無数の影が存在している。獣達の荒い息遣いがヴィクターの横を通り過ぎ、砂の壁を越えて、背中を向けて走る獲物の元へ。

 敵意を隠さぬ唸り声。獲物に追いついた群れの一匹が、イーリイの足へと噛み付いた。

 堪らず転倒してしまったイーリイは、次から次へとやって来るその透明なナニカ達に踏まれ、噛まれて爪を立てられる。


 地中深く、すっかり砂が入って重くなった靴をヴィクターが引っ張り上げた頃には、イーリイはもう野犬の群れにでも襲われたかのように悲惨な有様となっていた。



「この……ッ! 卑怯者め。使い魔を隠していたか!」


「隠してなんていないさ。この子達は常人には視認できない偵察や護衛をこなせる優秀な忠犬達でね。ワタシが呼べば、こうして一箇所に集めて命令を下すことができるんだ。実にお利口だろう?」



 靴をひっくり返せば、砂が溢れる。



「イーリイくん。このまま勘違いされたままは気分が悪いから、ひとつだけ訂正しておこう。キミは誤解しているようだが、ワタシが過去を無かったこととしようとするのに、魔法局なんて関係ない。ワタシはただ、自分の過去が露見することでクラリスに……愛する女性に嫌われたくない。それだけなんだ」


「なに? まさかそんなくだらない理由で、お前は人の命を奪おうとして――むぐッ」



 まるで誰かに口を塞がれてしまったかのように、イーリイが言葉に詰まる。

 靴を履き直したヴィクターが近づくにつれて、その顔はどんどんと赤くなっているようだった。

 


「キミにこの感情が分かるはずもない。なんとでも言えばいいさ。さて……キミの処遇についてだが。クラリスの言いつけを守って、今回は殺さないことにしてあげよう。ほら、退きたまえペロ。キミがそこに乗っていては彼が窒息してしまうだろう。あっちでお兄ちゃん達と遊んできなさい」



 ヴィクターがイーリイの顔の上に乗っている透明な獣をつまみ上げる。

 ペロと呼ばれた使い魔は一際甲高い「きゃん!」という鳴き声を上げて砂浜に降り立つと、小さな足跡をヴィクターの周りへと残しながら柔らかな砂の上を駆け回りはじめた。

 その様子を見てヴィクターは呆れ混じりの息を吐いたものの、すぐに気を取り直してステッキをイーリイの頭へと押し付けた。

 目の前に凶器を差し出された男から悲鳴が漏れたのは、言うまでもない。



「まったく。よわい五百の魔法使いというから、少しは期待したというのに。ただ臆病でたまたま長生きしていただけの雑魚だったなんて」


「や、やめてくれ……殺さないでくれ……」


「だから殺さないと言っているだろう。どうしてそう話を聞かないのかね」


「だって、『禍犬まがいぬ』は傍若無人ぼうじゃくぶじんで乱暴者で嘘つきで、平気で人の頭を潰したりして喜ぶような奴だって!」


「……はぁ。いったい何百年前の黒歴史の話をしているんだ。そんなことではしゃぐほどワタシも若くないよ。さっきのアレはだから、人減らしのために脅そうと協力させただけで……別に好きでやったわけじゃないからね」



 そうヴィクターが言う背後で、例の頭を弾き飛ばされた死体――否、現在は大量のへと変貌していたソレがもぞもぞと動きだした。

 魔力で造られた分身ダミー――イーリイがそう理解した矢先、塊の中から飛び出してきたのは、一羽のカラスであった。

 カラスは艶やかな黒い瞳でなにかを探しているかと思えば、ヴィクターを視界に入れた途端に、子供の身長程もある両翼を扇いではこう怒鳴りをあげた。



『ギャハハハハ! なンだヴィクター、もう一人っちまってるのカ!?』


「……」


『無視すンなっテ! 殺るなラ殺るッテ言ってくれヨ。見逃しちまっタじゃねェカ。どうダ? せっかくオレも一芝居してやったンダ。どうセなラ、これカラ街中でもっと派手にやっチまおうぜべぁッ!?』



 軽快に聞き難いノイズ音を喚き散らしていたカラスが、再び無様に倒れる。

 ペロと呼ばれていた使い魔らしき鳴き声がたのしげにキャンキャンと吠え散らかしていることから察するに、あの群れの誰かが食らいついたらしい。

 羽根の塊に逆戻りしたソレに向けてヴィクターは舌打ちをしては、無意識なのだろう。苛立ち混じりにイーリイに押し付けているステッキで彼の頭を小刻みに小突いた。



「タイミングよく出てくるんじゃないよ、鳥頭。話がややこしくなる」



 そうヴィクターが言っている傍から、彼らの頭上をどこからかやって来た無数のカラスがギャアギャア鳴き声を上げながら旋回する。

 無惨にやられた仲間の敵討ちかと思えば、そうではない。ただソレらは、愉快そうに笑い声を発しながらヴィクターの次の行動を観察しているだけなのだ。


 しかしそんな鳥達とは反対に、すっかり無視することを決めたヴィクターは気を取り直してステッキに微量の魔力を流し込む。

 その変化にはイーリイも気がついたようで、彼は声にならない悲鳴を上げてはヴィクターの一挙一動に目を凝らしていた。



「途中邪魔が入ったが、ワタシがキミの命を奪わないというのは本当だ。あー……だからほら。イーリイくん。そんなに怯えるな。手元が狂うだろう」


「お、俺にいったいなにを……」


「怖いことはしないよ。排除するとは言ったが、別にキミ自身が死ぬわけじゃあない。ワタシに関しての記憶が曖昧になるだけだからね。なぁに。一瞬、頭が割れるくらいに痛むだけさ」



 ヴィクターがわずかに口角を上げた、次の瞬間。クレイグが倒れた時よりも派手な破裂音と赤い光がイーリイを襲った。

 実際、ヴィクターの言ったように頭は痛かったのか、そもそも本当に彼はイーリイを殺さなかったのか、そんなことはもうイーリイにとってはどうでもいい。

 なぜなら、それらの記憶は既に無かったことにされてしまったのだから。



「クラリスに感謝したまえ、イーリイくん。犬の餌にされなかっただけ、キミは幸運な人間だよ」

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