紳士と乙女と痴れ者達《2》

 店には、クラリスから丁重に詫びの言葉を並べた。なんなら、謝罪の意を込めて持ち帰り用の焼き菓子を数点購入したくらいである。断じて自分が食べたかったからではない。

 他人事のように「クラリスは食いしん坊だねぇ」などと言うヴィクターの顔が、彼女の手の届く範囲に無かったことは幸いだったと言えるだろう。もしも近くにあれば、公衆の面前で殴りかかっていたかもしれないからだ。



「それでヴィクター。あんなに長い時間私を待たせて、どこまで行ってきたの?」


「Um……まぁ、いつまでも隠すわけにいかないし、我々も旅を始めて早いところ半年になる……変に後からバレて怒られるくらいなら、そろそろ言ってもいいか。……ホテルの予約ついでに、これを確認してきた」


「なにこれ。……指名手配書?」



 ようやく店を出て、海岸通りからヴィクターが予約をしてきたというホテルへと向かう途中。クラリスの問いかけに対し、ヴィクターはステッキを軽くひと振りして答えを示した。

 掲示されていた近くの壁から離れ、クラリスの目の前にふわりとやってきたのは一枚の紙であった。

 でかでかと印刷された見知らぬ男の顔写真の上には、目立つように太いフォントで『凶悪犯』ということが分かる罪状の数々が記されている。



「クレイグ・ラスキン……殺人、傷害、強盗……商人や旅行者ばかりを狙った犯行? なんか物騒ね。これがどうしたっていうの?」


「聞くところによると、コレは現在、この町の中に潜伏しているらしくてね。被害状況や手口、犯行時間や人物像の確認に行ってきたところなんだ」


「……は?」



 思わずクラリスが顔を上げた。ヴィクターは彼女と目が合うと嬉しそうに微笑んだが、今はそういう話ではない。



「えっと……話が見えないんだけど。私達、この半年をかけてサントルヴィル中央大都市に辿り着くために旅をしている途中なのよね。その途中で、この町にはたまたま立ち寄っただけ。それは間違いない」


「ああ」


「それがどうして、アナタが指名手配犯について聞き込みするにいたるわけ?」


「どうして? こんなにも町のいたる所に貼られているというのに、キミはこの手配書に書かれている懸賞金の金額をちゃんと見なかったのかね」



 そう言ってヴィクターは手配書の数字部分をトントンと指でノックした。言われてみれば、他に目に入った手配書よりもゼロが一つ多いような気がする。

 つまりは、そう。ここまで聞いた内容とこの金額が示す答えは、クラリスの想像通り。



「私のであるアナタが、強い魔法使いだっていうのは知ってるけれど。まさかヴィクター……アナタ、一人でこの指名手配犯を捕まえようだなんて思っていないわよね?」


「なにを寝ぼけたことを言っているのかね、クラリス。今ここで稼がなくてどうする。こんなに楽して稼げる仕事は他には無いだろうに」



 そうサラッと言えるのは、世界中探したとておそらく彼くらいのものである。



「そもそも……キミは出費が多すぎるのだよ。見たまえ。これがここ数週間でキミが買い込んだ物の詳細だ」


「詳細だって……やだ、なんでいちいちノートにメモなんかしてるのよ! しかもこんな……買ったものの種類から購入場所から金額までこと細かく……」


「だって、普通の人間は家計簿というものをつけるのだろう? 早く慣れるに越したことはない。ワタシ達の将来のためにも、先に習慣づけておこうと思ってね」



 この男はなにを言っているのだろうか。そうは思っても、クラリスは特に言及することはしなかった。


 ヴィクターのこの様な言動は今に始まったことではない。

 二十四時間、三百六十五日。暇さえあれば、彼はこうしてクラリスとの架空の将来についてを嬉々として語りはじめるのだ。

 もちろんクラリスにしてみれば婚約はおろか、。すべては一方通行のバカデカい矢印を向けている、この男の妄想の域を出ないのである。



「いいかね。この明細は先日、キミが一目惚れしたと言って買った服飾品数点。この額ならば数日は食い繋げることができただろう。こっちは泊まったホテルで食べたバイキングだったね。外で食べればもう少し節約できたはずだ。そういえばさっきのカフェで買ったスイーツも、いらない出費であったはずだが」


「あ、あれは騒いでしまったお詫びにと思って……」


「謝罪なら口でしたじゃないか。どうせ数日後には去る町だ。それ以上が必要かい?」



 実際に頭を下げたのはクラリスの方であるのだが、直前まで正論を言われているだけに反論ができない。

 ましてや、彼の言っていたクラリスの服飾品アクセサリーや、それ以外にも散々買い込んでいる彼女の服やら菓子やら嗜好品やらを、先程のティーセットと同じようによく分からない仕組み魔法の引き出しで管理してくれているのもヴィクターなのだ。

 降参だ。クラリスの話術では、ヴィクターに対抗しようにも返り討ちにあうだけである。



「分かったわよ。節制しろってことよね。これからは心を入れ替えるから、とりあえず今回はそんな怖い人には関わらず穏便に――」


「ん? 誰が節制しろと言った。クラリスの出費は必要経費なんだから、気にしなくていい。生活費は別で蓄えもしているし、むしろもっとワガママを言ってくれてもいいくらいだ」


「……はぁ。とにかく。危ないことに首を突っ込むのはなるべく避けるって約束して。ヴィクターになにかあったら、それこそ大変だわ」


「……もしも約束を破ったら?」


「二度と口聞かない」



 要するに、さっきの明細のアレコレは『今までワタシがクラリスに買い与えた物リスト』の自慢で、彼はただ自称家計簿を見せびらかしたかっただけ。そしてあの賞金首を捕らえるための正当な理由を作りたかっただけなのだ。


 ――私には金の心配はしなくていいって言うから、てっきりお金持ちの家出身なのかと思っていたけれど。まさかこうやって稼いでいただなんて。もしかして……今までも?


 養ってもらっている身なのでこれ以上彼のやり方に口出しはしないが、それでも心配なものは心配である。


 先日、クラリスが少しでも旅の資金を稼げるようにと、大きな町に数週間滞在している間にカフェで働かせてもらっている時期があった。

 しかしある時、他の従業員からラブレターを受け取ったことが原因で――あれから、彼女は金銭的貢献をすることを諦めた。むしろ、あの時はボヤ騒ぎ程度で収まったことが奇跡だったのだ。


 ――本当に、常識と倫理観と私への執着心は良いんだけれど……


 これではどれだけアタックされようが惚れるものも惚れられない、ということを彼は分かっているのだろうか。



「Hmm……ワタシだって長く生きている魔法使いだからね。別にぼう……戦うことには慣れているから、今更襲われたとてクラリスが心配する必要もないと思うのだが……金ならワタシがいくらでも工面するし、キミが下手に働きに出て悪い虫を付けてくるのも嫌だし……」



 ぶつぶつとヴィクターが独り言を呟きながら、杖先でコツリと地面を叩いて自称家計簿を消す。

 すると、そうこう話している間に目的地についたのか、彼の足がピタリと止まった。



「無駄話をしている間にちょうど着いたか。今夜はここに泊まることにしてね」


「えっ? 泊まるって言ったって、ここ……何階まであるのよ」


「二十階以上はあるだろうね。なにせ、二十階に予約を取ったのだから」



 二人が首が痛くなるほど上を見上げた建物は、いわば高級ホテルとランクされる、立派なエントランスロビーを正面に構えた建物であった。

 今さっきまであんなにも人の無駄遣いを指摘しておいて、まさかこんな場所を予約しているとは。さすがのクラリスでも夢にも思わない。



「えっ。待ってよヴィクター。泊まれる所なら他にいくらでもあるわよね? しかも二十階って……大丈夫なの?」


「そこは心配いらない。支配人殿には一番良い部屋と一番良いサービスを提供するようにと頼んでおいた。いつも安宿に泊まってるんだ。たまにはいいだろう」


「いやいや、アナタ言ってることとやってることが矛盾しすぎてない?」



 そういう大丈夫を聞いたのではないのだが、返ってきた言葉はさらにクラリスを不安にさせるだけであった。



「あぁそうだ。ドレスコードを忘れていたね」



 ヴィクターがまたコツリと杖先で地面を叩く。すると熱を伴わない小さな花火が彼女の足元に咲くと同時に、クラリスの服がシンプルなネイビーブルーのドレスへと変わった。

 文字通りのドレスコードだなんて。どうやら今の話は冗談ではなかったらしい。


 ――こ、こんなドレスいつの間に用意してたの……歩きにくいし。もう行くしかない雰囲気じゃない!


 丁寧にも、クラリスの肩には寒くないようにとカーディガンが羽織らされていた。

 しかし少し長めなシルエットのドレスは、裾を踏みつけないように歩くだけでも精一杯。どうせ気を使うならば、この裾をあと数センチ短くしてほしかったというわがままが思わず喉まで出かかる。


 ホテルの扉の前にはドアマンが立っていたが、幸い誰もクラリスの世紀の早着替えに気がつくことはなかった。

 促されるままに一歩ロビーに足を踏み入れれば、早くもキョロキョロと落ち着かないクラリスをヴィクターがたしなめる。



「前を見たまえ、クラリス。エスコートはワタシに任せて、キミは堂々としていればそれでいい」


「堂々って……田舎出身で一般人の私が、こんな場所で堂々となんてできるわけないでしょ……わっ!」


「おっと。……たしかに、そのようだ。やっぱり足元に注意しながら歩いていたまえ」



 ここで転んでは雰囲気が台無しだ。

 早速ドレスの裾を踏みつけて転びそうになるクラリスを支えると、ヴィクターは呆れ気味にそう言ってエスコートを続けるのだった。

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