第3話 ヴィクターは少々面倒な男だった
《数時間後――とあるリゾート地・海岸通り》
「お待たせ、クラリス」
海岸沿いにある氷菓のワゴン――のすぐ横にあるベンチ。スマホを膝に乗せてレモンシャーベットを食べていたクラリスの元へ、そう声を掛けてきたのはヴィクターだった。
強盗団を追い払い、長々とティータイムを楽しんだ彼らはようやく目的の町へと辿り着いていた。
思わぬ途中休憩を挟んだとはいえ、ここまでは長旅だ。ヴィクターが今夜泊まる場所を探してくる間、彼の厚意に甘えてクラリスはのんびりとおやつの時間を堪能しながら帰りを待っていたのだ。
「アナタだって疲れてるのに宿探しありがとう、ヴィクター。けっこうな時間が掛かってたみたいだけれど……どこまで行ってきたの?」
「Um……まぁ、いつまでも隠すわけにいかないし、我々も旅を始めて早いところ半年になる。後からバレて変に怒られるくらいなら、そろそろ言ってもいいか……ホテルの予約ついでに、これの聞き込みをしてきた」
「なにこれ。……指名手配書?」
シャーベットを食べ終えて、ヴィクターが予約をしてきたというホテルへと向かう途中。クラリスの問いかけに対し、ヴィクターはステッキを軽くひと振りして答えを示した。
掲示されていた近くの壁から離れ、クラリスの目の前にふわりとやってきたのは一枚の紙であった。
でかでかと印刷された見知らぬ男の顔写真の上には、目立つように太いフォントで『凶悪犯』ということが分かる罪状の数々が記されている。
「クレイグ・ラスキン……殺人、傷害、強盗……商人や旅行者ばかりを狙った犯行? なんか物騒ね。これがどうしたっていうの?」
「さっきの強盗団のボスさ。聞くところによると、コレは現在この町の中に潜伏しているらしくてね。被害状況や手口、犯行時間や人物像の確認に行ってきたところなんだ」
「……は?」
思わずクラリスが顔を上げた。
ヴィクターは彼女と目が合うと嬉しそうに微笑んだが、今はそういう話ではない。
「えっと……話が見えないんだけど。強盗団って、さっきアナタが退治したばっかりなのよね?」
「ああ」
「それがどうして、わざわざそのボスについて聞き込みをするにいたるわけ?」
「どうして? こんなにも町のいたる所に貼られているというのに、キミはこの手配書に書かれている懸賞金の金額をちゃんと見なかったのかね」
そう言ってヴィクターは手配書の数字部分をトントンと指でノックした。言われてみれば、他に目に入った手配書よりもゼロが一つ多いような気がする。
つまりは、そう。ここまで聞いた内容とこの金額が示す答えは、クラリスの想像通り。
「私の
「なにを寝ぼけたことを言っているのかね、クラリス。今ここで稼がなくてどうする! こんなに楽して稼げる仕事は他には無いだろうに」
そうサラッと言える胆力の持ち主は、世界中探したとしてもきっと彼くらいのものである。
「そもそも……キミは出費が多すぎるのだよ。見たまえ。これがここ数週間でキミが買い込んだ物の詳細だ」
「詳細だって……やだ、なんでいちいちノートにメモなんかしてるのよ! しかもこんな……買ったものの種類から購入場所から金額までこと細かく……」
「だって、普通の人間は家計簿というものをつけるのだろう? 早く慣れるに越したことはない。ワタシ達の将来のためにも、先に習慣づけておこうと思ってね」
この男はなにを言っているのだろうか。そうは思っても、クラリスは特に言及することはしなかった。
ヴィクターのこの様な言動は今に始まったことではない。
二十四時間、三百六十五日。暇さえあれば、彼はこうしてクラリスとの架空の将来についてを嬉々として語りはじめるのだ。
もちろんクラリスにしてみれば婚約はおろか、
すべては一方通行のバカデカい矢印を向けている、この男の妄想の域を出てはいないのである。
「いいかね。この明細は先日、キミが一目惚れしたと言って買った服飾品数点。この額ならば数日は食い繋げることができただろう。こっちは泊まったホテルで食べたバイキングだったね。外で食べればもう少し節約できたはずだ。そういえばこの前訪れたカフェで買ったスイーツも、いらない出費であったはずだが」
「あ、あれはアナタが突然ティーセットなんて出すものだから、騒いでしまったお詫びにと思って……」
「謝罪なら口でしたじゃないか。どうせ数日後には去る町だ。それ以上が必要かい?」
実際に頭を下げたのはクラリスであるのだが、直前まで正論を言われているだけに反論ができない。
ましてや、彼の言っていたクラリスの
降参だ。クラリスの話術では、ヴィクターに対抗しようにも返り討ちにあうだけである。
「分かったわよ。節制しろってことよね。これからは心を入れ替えるから、とりあえず今回はそんな怖い人には関わらず穏便に――」
「ん? 誰が節制しろと言った。クラリスの出費は必要経費なんだから、気にしなくていい。生活費は別で蓄えもしているし、むしろもっとワガママを言ってくれてもいいくらいだ」
「……はぁ。とにかく。今まで通りに自分から危ないことに首を突っ込むのはなるべく避けるって約束して。ヴィクターになにかあったら、それこそ大変だわ」
「……もしも約束を破ったら?」
「二度と口聞かない」
要するに、さっきの明細のアレコレは『今までワタシがクラリスに買い与えた物リスト』の自慢で、彼はただ自称家計簿を見せびらかしたかっただけ。そしてあの指名手配犯を捕らえるための正当な理由を作りたかっただけなのだ。
――金の心配はしなくていいって言うから、てっきりお金持ちの家出身なのかと思っていたけれど……まさかこうして稼いでいただなんて。もしかして強盗団を追い払うのにやけに乗り気だったのも、この懸賞金が関係して……?
養ってもらっている身なのでこれ以上彼のやり方に口出しはしないが、それでも心配なものは心配である。
先日、クラリスが少しでも旅の資金を稼げるようにと、大きな町に数週間滞在している間にカフェで働かせてもらっている時期があった。
しかしある時、他の従業員からラブレターを受け取ったことが原因で――あれから、彼女は金銭的貢献をすることを諦めた。むしろ、あの時はボヤ騒ぎ程度で収まったことが奇跡だったのだ。
――本当に、常識と倫理観と私への執着心
これではどれだけアタックされようが惚れるものも惚れられない、ということを彼は分かっているのだろうか。
「Hmm……ワタシだって長く生きている魔法使いだからね。別にぼう……戦うことには慣れているから、今更襲われたとてクラリスが心配する必要もないと思うのだが……。金ならワタシがいくらでも工面するし、キミが下手に働きに出て悪い虫を付けてくるのも嫌だし……」
ぶつぶつとヴィクターが独り言を呟きながら、杖先でコツリと地面を叩いて自称家計簿を消す。
すると、そうこう話している間に目的地についたのだろう。彼の足がピタリと止まった。
「無駄話をしている間にちょうど着いたか。今夜はここに泊まることにしてね」
「えっ? 泊まるって言ったって、ここ……何階まであるのよ」
「二十階以上はあるだろうね。なにせ、二十階に予約を取ったのだから」
二人が首が痛くなるほど上を見上げた建物は、いわば高級ホテルとランクされる、立派なエントランスロビーを正面に構えた建物だった。
たしかにここはリゾート地ではあるのだが。今さっきまであんなにも人の無駄遣いを指摘しておいて、まさかこんな場所を予約しているとは……さすがのクラリスでも夢にも思わない。
「えっ。待ってよヴィクター。泊まれる所なら他にいくらでもあるわよね? しかも二十階って……大丈夫なの?」
「そこは心配いらない。支配人殿には一番良い部屋と一番良いサービスを提供するようにと頼んでおいた。いつも安宿に泊まってるんだ。たまにはいいだろう」
「いやいや、アナタ言ってることとやってることが矛盾しすぎてない?」
そういう大丈夫を聞いたのではないのだが、返ってきた言葉はさらにクラリスを不安にさせるだけであった。
「あぁそうだ。ドレスコードを忘れていたね」
ヴィクターが再び杖先で地面を叩く。
すると熱を伴わない小さな花火がクラリスの足元に咲くと同時に、彼女の服がシンプルなネイビーブルーのドレスへと変わった。
文字通りのドレスコードだなんて。どうやら今の話は冗談ではなかったらしい。
――こ、こんなドレスいつの間に用意してたの……歩きにくいし。もうこれで行くしかない雰囲気じゃない!
丁寧にも、クラリスの肩には寒くないようにとカーディガンが羽織らされていた。
しかし少し長めなシルエットのドレスは、
ホテルの扉の前にはドアマンが立っていたが、幸い誰もクラリスの世紀の早着替えに気がつくことはなかった。
促されるままに一歩ロビーに足を踏み入れれば、早くもキョロキョロと落ち着かないクラリスをヴィクターが
「前を見たまえ、クラリス。エスコートはワタシに任せて、キミは堂々としていればそれでいい」
「堂々って……田舎出身で一般人の私が、こんな場所で堂々となんてできるわけないでしょ……わっ!」
「おっと。……たしかに、そのようだ。やっぱり足元に注意しながら歩いていたまえ」
ここで転んでは雰囲気が台無しだ。
早速ドレスの裾を踏みつけて転びそうになるクラリスを支えると、ヴィクターは呆れ気味にそう言ってロビーの中をエスコートしていくのだった。
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