#4:岐路

 事件は、一家心中事件として処理された。

 つまり、銃規制が緩和されアメリカに次ぐ銃大国になったこの国では日常的な事件の一断片として始末が下された。

 そのことにわたしも異を唱えるつもりはない。事件性があるわけでもないし。なにより母が拳銃を使い心中したのはわたしがこの目で見ているわけで、疑う余地はどこにもない。

 父のリストラ。長男の長年にわたる引きこもり。そして長女の就職失敗。

 追い込まれる理由ならそれこそお釣りが返ってくるほどあった我が家だ。心中に至った母の心理状態も別段、疑いを差し挟むところではなかった。

 そんなわけだから警察が行った捜査も、型通りのものだった。面倒だったのは凶器に使われた銃が母の持っていたものであることを裏付けるため、死体の中から銃弾を取り出して線条痕の照合が必要だったことくらい。つまり司法解剖だ。

 その分葬式は延期されたが、喪主を務めた兄の秀秋からすればむしろありがたかっただろう。葬式の手配なんて初めてのことだから、余裕が生まれて。

 そういえば。

 ひとつだけ。

 引っかかることがあった。

 といっても、わたしが引っかかったわけじゃないが。

「問題は」

 引っかかったのは、捜査に当たった刑事のひとりで浅井と名乗った若い男だった。いかにも仕事熱心で活気に満ち溢れていそうな気配を漂わせていたこの刑事が、ひとつ疑問を抱いた。

「なぜあなたのお母さんが持っていた銃に十八発もの弾丸が装填されていたか、ということです」

「………………はあ」

 それが何か問題なのだろうか。

「ご存知の通り、日本の銃刀法では民間に販売されている拳銃の装弾数は十一発以下に抑えるよう規定されているんです」

 ご存知じゃなかった。

「つまりこの銃は違法なものだということです。心中をしようという人が、わざわざ捕まる危険を冒して違法な銃を調達するというのはおかしい話です」

 どうでもよかった。

「浅井よお」

 どうでもいいと思っていたのはわたしだけではなく、警察全体もそうだった。熱心にわたしに問いただす浅井刑事を止めたのは、コンビを組んでいるらしい初老の刑事だった。

「それを遺族のお嬢さんに聞いても仕方ないだろ。それに装弾数の改造は個人の銃砲店が秘かに請け負う場合が多い。装弾数改造して銃刀法違反の拳銃をこさえるなんざ珍しくもねえよ」

「しかし…………」

 浅井刑事は食い下がったが、捜査は組織だって行うものだ。個人の疑問は黙殺される。わたしは銃に詳しくないが、警察が大したことないと判断したのならそれがたぶん正しいのだろう。

 それに。

 わたしの思考はずっと、別のところをぐるぐると回り続けていた。

 装弾数が十八発。

 警察の話では、銃の中に残っていたのは三発だけだったという。

 母が自殺するのに一発。

 一階で父を殺すのに三発。

 二階で夏生を殺すのに三発。

 あとの八発は?

 わたしに向かって、放たれたのだ。

 その不均衡が、心を掴んで離さない。

 母は。

 リストラされた後、まったく仕事を探さなかった父ではなく。

 もう長いこと引きこもりのニート生活を続けていた夏生でもなく。

 わたしに、八発撃ったのだ。

 どうして。

 どうしてだろう。

 わたしは。

 そんなに殺意を抱かれるような生活を送っていたのだろうか。

 そりゃあ、死んでいい命があるとは思わない。父は無論のこと、ごく潰しのくそ野郎だと思っていた夏生ですら、死んでいいとは思っていない。

 だけど。

 しかしだ。

 わたしは二人に比べれば真面目だったはずだ。

 ちゃんとしていたはずだ。

 仕事をする気すらなかった夏生は言わずもがな。リストラのショックという事情こそあれ再就職のために動いていなかった父とも比べても。

 わたしはちゃんとしていた。

 だって、仕事を探していた。二人と違って。うまくいってはいなかったけど、意志の話をするなら、二人と違って働こうという意志はあった。

 それなのに、わたしなのか。

 父でもなく兄でもなく。

 母はわたしに八発を撃ち込んだ。

 そのことが頭から離れない。

 たとえば、わたしが抵抗したとかなら話は別だ。八発を撃ち込まないと心中という目的を達成できない合理的な理由があったというのなら分かる。

 でも実際は違う。父と兄がどう抵抗したのか、それとも抵抗しなかったのかは知らない。ただ三発で目的を達成できている。ならわたしにも三発で良かったはずだ。

 わたしはいったい、いつ、どこで母に銃弾八発分の殺意を抱かれていたというのか。

 それが分からなくて、そのことばかりを考えてしまう。

 母が死んだ今では、答えの出ない問いだ。

 葬式の間もずっとそのことばかり考えていた。手持無沙汰になった両手は、母が持っていた拳銃を弄んだ。事件性もなかったから、比較的早い段階で返却されたものだ。安全装置がかかっているのをいいことに、ずっとそれを手の中でこねくり回していた。

 思えば、その銃が形見になってしまっていたのだ。家族の命を奪った銃が形見というのもおかしい話だが、それくらいしか、母が残してくれたものはなかった。

「この度はお悔やみ申し上げます。何か困ったことがあったら、お力になりますから」

「お気遣い感謝します」

 ニートの夏生はともかく、社会人として一般的な生活を送っていた父と母のことなので、弔問客はそれなりに多かった。その大半を捌いたのは秀秋だった。

 わたしは心中の現場を目撃し、あまつさえ殺されかけたのを命からがら回避した身として、茫然自失としていても「そんなもの」で済まされた。別にショックでぼうっとしていたわけじゃないが、上の空でも許される立場は遠慮なく利用させてもらった。

 こういう改まった場での儀礼など知らないことだし。

「お忙しいところ来ていただいて恐縮です」

 二番目の兄である秀秋は、兄妹の中では一番社会人としてまっとうな人生を歩んだ人間だ。神経質そうに銀縁の細いシルエットの眼鏡の位置を直しながら、ひとりひとり弔問客に応対していく。

 秀秋は今、愛知県の大学で非常勤講師の任に就いている。もとは京都の大学院で学生をしていたが、二年前に戻ってきた。ただ、実家には帰らず一人暮らしをしていた。

 今回こいつは、家にいなかったお陰で心中に巻き込まれず済んだわけだ。まあ、ひとりだけきちんと生活している秀秋のことだから母はこいつだけは殺さなかったかもしれないが。……いや、非常勤講師なんて事情を詳しく知らない人間からすれば非正規社員と変わらない不安定な職に映るから、案外一緒に殺されていたかもしれないな。

 わたしは元々研究職希望だったから、大学教師が非常勤でキャリアを積むという過程はよく分かっているが、母がそれをどこまで理解できていたか怪しいところがある。

「しかし………………」

 一通りの葬儀が終わったところで、秀秋はわたしに話しかけてきた。

「その銃か? 母さんが持っていたというやつは」

「…………ああ、これ?」

 わたしは弄んでいた銃を掲げる。

「どこで手に入れたんだかな」

「さあ?」

「お前は気づかなかったのか? 銃なんて高価で珍しい買い物、一緒に暮らしてたら気づきそうだが」

「無理言わないでよ」

 まるで気づかなかった。

「家計を握ってたのは母さんだし、拳銃一丁くらいの代金なら工面できるでしょ。仕事帰りに銃砲店で買って、車のダッシュボードにでも隠されてたら気づきようがない」

 それより、と話を変える。

「わたしはこの銃の装弾数が気になるんだけど」

 わたしが気になったわけではない。ただ、犯罪心理学専攻の兄のことなので、情報を与えれば何か返ってくるかもしれないと思っただけだ。

「知ってた? 日本の銃刀法だと民間用の拳銃は装弾数が十一発以下じゃないといけないって」

「………………ああ」

 少し間があって、秀秋が答える。

「それは知ってる。なんだ? その銃、十八発も入ったのか?」

「らしいよ。知らないけど」

「ふむ…………」

 兄は口元に手を当てて、少し考えた。

「民間用って言っても、軍用と基本的に変わらないんだよな。銃の内部構造を少し変えて装弾数を弄ったり、強力な弾丸が使用できないようにしてあるくらいで。元が軍用と同じで、要は民間用ってのはデチューンしてあるんだ。だからそれなりに詳しいやつなら元どおりの軍用に戻すことができる。個人経営の銃砲店は大手チェーンに客を取られないよう、そういう非合法な改造を請け負うことがよくある。ま、珍しくもないな」

 兄の情報は、警察の言い分を裏書きするだけだった。

「まあいい。そんな銃、さっさと処分しちまえよ。いや、何なら俺がやっとこうか?」

 珍しい。兄がそういう面倒事を自分から率先してするとは。

「ううん。こっちでやっておく」

 捨ててもよかった。今すぐ川にでも投げ捨てたって構わなかった。それなのに持っている気になったのは、やはり八発の件が頭でぐるぐる渦巻いていたからだろうか。あるいは兄が処分すると言ったので、あまのじゃくを起こしただけかもしれない。

 わたしは立ち上がって、棺桶の前に立った。三人分、父と母と兄の棺桶が並んでいる。死人の顔が見れるよう、覗き窓の蓋が開いている。

 左手の銃を強く握る。銃の右側面、親指が届く位置にあるレバー。それをかちりと動かす。それがセイフティロックなのは説明されなくても分かった。

 銃の中に残っている弾丸は三発。死人は三人。全員の眉間にちょうど、穴を開けられる数。

 わたしはセイフティをロックし直して、銃をスラックスのポケットに押し込んだ。意味がない。死人の眉間に弾をぶち込んでも。これから骨になるやつの体内に弾丸を残して、それで終わりだ。

「すみません」

 後ろから声を掛けられる。わたしと秀秋が振り向くと、会場の入口に鞄を持ったスーツ姿の男が立っていた。

 葬儀会社の人間かと思ったが、どうも雰囲気が違う。葬儀会社の人間は悲しみの場に似つかわしいつつましやかな雰囲気をまとっていたが、その男はどこか尊大な空気を秘めていた。

 あの雰囲気は、覚えがある。市役所の職員とか、大学の事務員とかがまとっているやつだ。相手がどんな状況にあっても、自分は自分の仕事をしているから関係ありませんよという空気。

 それを非難する気はない。たぶんわたしが同じ仕事をしていたら、同じ雰囲気をまとっていただろうから。

 少し気がかりだったのは、その男がまとっている空気はそういうものを、さらに一回りくらい尊大にした感じだったことだ。ひょっとすると国レベルのお役人かもしれない。

 じゃあそんな役人がわたしに何の用なのかと言われると、まったく心当たりがないが。

「柴田冬子さんはいらっしゃいますか?」

「………………はあ」

 わたしと秀秋は目を合わせる。

「わたしが冬子ですが」

「そうですか。少し、お話をさせていただいてもいいでしょうか?」

 名乗らないか。これはそうとう堂に入った役人っぷりだ。

 無礼を理由に拒否してもよかったが、そんなことをしても話は先に進まない。わたしはその男に向かっていった。

「何のご用でしょうか?」

「込み入った用件でして」

 わたしたちはロビーのソファに移動した。ローテーブルを挟んで、お互いに向き合う。男は自分の横に鞄を大事そうに置いた。

「私は日本学生支援機構から参りました」

「日本学生…………奨学金絡みですか?」

「ええ、はい」

 男は名刺も出さないし名乗らない。その必要もないと言わんばかりだ。

「ご確認するまでもないことですが」

 拙速に本題に入る。

「柴田冬子さん、あなたは我々から奨学金を借りていましたね?」

「ええ、はい」

 ごく普通の中流家庭の人間が、大学に通うのに奨学金を借りるのが必須になってからもう長い年月が経った。大学の学費は年々増える一方だ。だから借りた。

「今回のような件があってすぐ、このようなお話をするのも節操がないのですが……」

「はい」

「奨学金の返済について、少し……」

「………………はあ」

 奨学金の返済? いや、それは分かる。返済の開始は十月からが一般的だ。もう一月もない。しかし、だからといって機関の人間が直接わたしに会いに来るほどのことが何かあっただろうか?

「柴田さん。あなたは大学と大学院でそれぞれ奨学金を借りています。その両方について、返済の開始が十月に迫っていますよね。しかしこちらが把握する限り、あなたには現在支払い能力がない」

「……調べたんですか?」

「まあ、その……。最近は特に滞納が多いので、上にせっつかれるんですよ。それで、あなたが昨年度まで通っていた大学院に問い合わせまして。就職先決定の報告がなかったようなので、探らせてもらいました」

「そうでしたか……」

「それでですね」

 男が声を落とす。

「奨学金の保証人がお父様になっていましたよね? しかし今回の事件で、あなたのお父様はお亡くなりになられた。そもそも、既にあなたのお父様も返済能力は皆無に近かったでしょう?」

「……………………」

 本当によく調べているな。プライバシーの侵害で訴えてもいいくらいだ。

「そうなると、十月からの返済は難しいというお話になります」

「そうですね」

 なんだ、その確認か。

「確か、返済を待ってもらう制度がありましたよね? それを使うことになると思います。ああ、言っておきますけど両親の遺産とかはないですから、わたしが就職するまでは依然として支払い能力はありませんよ?」

「ええ、それは了解しておりますが…………。その件で少し」

 少しが多い人だ。

「今回のようなことがあってすぐの方にこのような提案をさせていただくのはこちらとしても心苦しいのですが……。上から少しでも滞納しそうな奨学生には通達をしろと言われていまして……」

「…………………………」

 なんの、話だ?

「奨学金の返還免除制度をご存知ですか? 今日はその通達に参りまして」

 男が、隣に置いた鞄を開く。中から、黄色い大型の封筒が出てくる。

 そこには、国防軍と印字され――――。

「………………………………!」

 いや、ちょっと。

 ちょっと待って。

 国防軍?

 なにそれ?

「奨学金をお借りになる際、既に一度説明を受けていると思いますが……。国防軍への入隊者に対し奨学金を免除する制度がありまして」

「いや、あ、はあ…………」

「正確には五年です。五年間、国防軍に従軍すれば奨学金返済が免除されます。柴田様につきましても、今回のようなことがありましたから、是非このような制度のご検討を……」

「あの、いや……」

 喉が異様に渇いた。

 呼吸が荒くなる。

「入れってことですか? 国防軍に?」

「まさか」

 男は大仰に驚く。

「制度の利用は任意です。強制ではありません。しかし……。柴田様の場合、大学と大学院で奨学金をお借りになっています。通常の奨学生より返済する金額が多くなっています」

 それは、そうだが……。

「ところがですね。この返済免除制度は金額に関わりなく一律五年の従軍が条件となっています。特に柴田様のような方にご利用いただくとお得な制度となっていまして」

「……………………」

 お得?

 何がお得だ、ふざけるな。

「十年か十五年をかけて多額の金額を返済なさるより、柴田様の場合五年を国防軍に従事していただく方が何かとご都合がよろしいかと。それに就職先も決まっていないご様子ですから、国防軍というのは選択肢のひとつとして十分検討に値すると当方は考えております」

 他人事みたいに、言いやがって………………!

「いえ、別段、今すぐご決断いただく必要はございません。パンフレットをお渡ししますし、なにより猶予制度がありますので、まずはお忘れなくそちらを申請していただくのがよろしいかと」

 左手が痛む。はっと気づくと、ポケットの中の銃を握りしめていた。

「では、ご検討のほど、よろしくお願いします。お忙しいところ、失礼しました」

 目的は果たしたと言わんばかりに、男はさっさと帰ってしまう。ロビーに残されたわたしは、テーブルの上に置かれた黄色い封筒をただぼんやり眺めていた。

「…………………………」

 国防軍?

 冗談じゃない…………。

 なんで、わたしが、軍人なんかに……。

「ふふん、随分追い詰められた状況になっているじゃないか」

 声がした。顔を上げると、正面のソファに若い男が座っている。

 見覚えのある、その男は……。

「徳川…………蒼太郎?」

「ああ。久しぶり、でもないね」

 いつか図書館で会った、PMCの社長だった。

 そういえば、こいつにあったその日に、母が心中事件を起こしたのだったか。

 あれから、もう何日が経過したのだろうか。あの日が、遠い昔のように思える。

「どうして、ここに?」

「散歩が僕の趣味でね」

 蒼太郎はソファの背もたれに体を預ける。

「特にこういう場所はいい散歩コースなんだ」

「……………………」

「おっと、悪趣味なんて思わないでくれよ?」

 彼は慌てたように手を振った。

「こういう場所っていうのは、何も葬儀会場のことだけじゃない。葬儀会場だけじゃなくて、結婚式場でもいいさ。とにかく、誰かの人生の節目が演じられる場所がお気に入りの散歩コースでね。葬式、結婚式、入学式、卒業式、成人式…………。そういう、誰かの人生の大事なポイントになるところが僕は好きなんだ。こういう場所では、いい出会いがある」

 君にも再会できたしね、と蒼太郎はうそぶく。

「しかし国防軍か。随分な展開になったものだ」

 封筒から勝手にパンフレットを取り出して、ぺらぺらとめくる。

「国防軍が奨学金返還免除制度を取り入れたとき、散々経済的な徴兵制だって批判されたっけ。まさにその通りになっているわけだ」

「……………………」

「奨学生の君はよく知っていることかもしれないが、奨学金の返済滞納者は銀行のブラックリストに載るんだ。ローンが組めなくなるから家も買えなければ車も買えない。どころかクレジットカードの審査も通らなくなる。インターネット通販全盛の時代にこれは辛い」

 それは、よく知っている。奨学金とは言い条の学生ローン。政府の教育制度の不作為のために借りざるを得ないのに、滞納すれば温情なく債務者リスト入りという盗人猛々しい制度だ。しかし借りなければ大学には通えないし、自分が滞納する側になるなんて思ってもみなかった。借りているやつはみんなそうだ。

「奨学金を借りなければ通えないなら大学に通うなと言っていたのはどこかの議員だったな。高等教育は贅沢品だなんてずれたことを予備校教師が宣う時代だ。どこの国も狂っていて、日本もそれは変わりない。まったく、頭のおかしい連中が幅を利かせる国で商売するこっちの身にもなってほしいと思わないかい?」

「…………知りませんよ」

「だろうね」

 ぱらぱらと冊子をめくる。何が面白いのか、ページをめくる手を止めてはくすくすと蒼太郎は笑った。

「柴田冬子くん、だったね。いつか聞いたことの答えを僕はひょっとしたら、今貰えるんじゃないかと期待しているんだ」

「………………答え?」

「我が社に入らないかという話さ。図書館でしただろう?」

「それは……」

 聞いたけど……。

「我が社は人手不足で悩んでいる。君は奨学金返済の当てがなくて困っている。このままでは国防軍に入る以外の選択肢はないだろう。だったらうちで働かないかというお誘いさ」

「………………」

「零細とはいえ民間軍事会社。多少命は張る仕事だから給料はいい。今の君が就職活動を頑張ってなんとか就職できる企業よりは多い額を月給として提示できる」

「でも、それは……」

 PMC。民間軍事会社では……。

「一緒じゃないですか、国防軍と。いや、むしろ悪いとすらいえる。国防軍は奨学金を免除してくれるけど、あなた方はそうじゃない」

「おいおい、国防軍の方がマシというのは聞き捨てならないな」

 蒼太郎は肩を大仰にすくめて笑った。

「君も分かっているはずだ。君が国防軍への従事を嫌悪する理由は二つある。ひとつはいかにもな軍人的気質についてだ。君は見たところ、軍人的で体育会系的な上下関係などに耐えられるタイプじゃないだろう? それに国防軍は差別主義と排外主義を愛国心とはき違えた連中の集いだ。知性と品性を己から捨てた人間の吹き溜まり。大学院すら出たインテリの君が耐えられるほど清楚な場所じゃない」

「………………」

「もうひとつは、自分の命が守られないかもしれないという直感だ。国防軍ではおそらく二年程度を練兵課程に費やすだろう。だとしてあと三年はどこでどう仕事をする? 国内の基地に配備されるならまだいい。しかし今の社会情勢だ。朝鮮半島、アメリカ国境、中国、ロシア、欧州、中東……。命の危険がある最前線はいつでも君を待っている。五年で従事を終える公算が高い君は軍から大事にされない。五年でやめるなら一兵卒として最前線に送って死んでも国防軍の懐は痛まないからな。十中八九、君が軍に入れば三年目には最前線だ」

 それは、分かり切っている。だから嫌なのだ。五年の従軍で奨学金を免除されるということは、五年以上の従軍に意味がないということだ。免除制度を利用する人間は五年で軍を退役することが予想される。つまり国防軍という組織を支える未来の士官にはならない。だったら使い潰してやれと考えるのが軍というところだ。

 アメリカの要請で再編された国防軍は、アメリカ軍と一緒に世界の警察を気取ってあちこちの前線に送られる。現に中東にはもう送られているのだ。わたしが訓練を積む二年間で情勢が悪化すれば、最前線は選り取りみどりになる。

「だが、我々は違う」

 力強く、蒼太郎は言い切る。

「確かに、我々はPMCだ。警察や国防軍に委託され、国内における武装犯罪の取り締まりにあたるのが仕事で、それには命の危険も伴うかもしれない。それは事実だ。だが僕は社長として、これだけは断言する。社員が犬死するような作戦には従事しないとね」

「それは…………」

「仕事を選べるのが民間企業の利点だ。軍なら上からの命令を聞き、どんな無茶も実行してそして犬死する以外の選択肢はない。だが我々は、危険性が高く意味の薄い作戦は毅然と拒絶できる。この差は大きい」

「零細企業なのに、そんな力があるんですか?」

「あるとも。それができる自信があって、はじめて人はPMCの看板を背負っていいんだ」

 考える。

 蒼太郎の口車に乗るのはそれで危険だ。しかし、危険ではあっても国防軍に従事するよりはマシである可能性は、確かにある。

「そもそも、そう毎日武装集団と戦闘を繰り広げたりはしないよ。君が思うほど戦闘は多くない。それこそ最前線に送りこまれるよりは安全だと保障しよう」

「……………………」

「ふふん。乗り気になってきた目をしているな」

「…………別に、そういうわけでは」

 結局、選択肢はない。

 国防軍に入って最前線を歩くよりは、こいつの口車に乗った方がよさそうなのは事実なのだ。

「……………………はあ」

 ひとつ、ため息が出た。

 諦めた。

 わたしが、普通であることは、どうやら無理な相談らしい。

 どうして、こんなことになってしまったのだろうか。わたしは普通に生きてきた。真面目に生きてきた。それなのに将来の夢を絶たれ、まともな職にありつけず、家族は死んで。

 銃を握る仕事をしようとしている。

 人生がままならないものだとしても、ここまで荒れ狂うことはないだろうに。

 ここが底だと、信じたい。

 これより最低な事態は、もう起こらないと。

「分かりました。お話、お受けします」

「…………すばらしい」

 この日、わたしは真面目でちゃんとしたわたしを失って。

 PMCに入社した。

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