#2:通過儀礼

 現場までの移動は車で、二台に分乗した。もともと、葵警備のオフィスは交通の便があまりよろしくない。今日は天気が良かったので愛車のトリシティを適当に駆って出勤したけれど、悪天候のときのことや、これから冷え込んでくるときのことを考えると車通勤を検討する必要がありそうだった。車は、両親が乗っていたものが二台あるから困らないのだけど……。田舎は一人一台がエコロジー全盛期の今でも当たり前の状態だ。

 しかし二台はいらないよな。もう車に乗るのはわたししかいない。兄貴は車の免許持っていないし……。車の処分も考えなければならない。本当なら仕事なんてしていないで、まだ遺品整理をしていてもいい時期のはずなのだ。だけどわたしはこうして仕事をしている。

 遺品整理に時間がかかるので出社を先延ばしにしてくださいと、言えなかったわけじゃない。遺品、というものに向き合うのが嫌で目をそむけただけだ。家にもあまりいたくなかった。それなのに通勤の今後を考えると車のことが頭をよぎるし、そもそもわたしが仕事道具にと引っ張り出してきた拳銃は形見なのだ。

 逃げられない。人が死んで、物が残るという現象からは逃げられない。わたしという遺族は。

 葵警備を出発した二台。うち一台はパパさんと呼ばれた年長の男性が運転するワゴン車だった。社用車ではなく私用の車らしく思われる。いかにも家族がいる男性の選びそうな車だ。その車に先生とナオが乗り込んだ。

 わたしはクーさんと呼ばれたあの女性と一緒に、車に乗る。仕事には向きそうにない、白いオープンカー。これまたクーさんの私物だろう。後部座席に必要な道具を載せたから、必然的にわたしは助手席に乗せられる。

 車は比較的空いている田舎の道を駆け抜けていく。十月の風は冷たいが、まだ気温が高いので心地いいくらいだ。オープンカーでドライブするには頃合いの時期といったところか。わたしたちは呑気にドライブする気もないが。

「それで新入りちゃんはさ」

 運転しながら、クーさんが話しかけてくる。左手をせわしなく動かして、ギアを変えていく。

「銃を握ったことがないって本当?」

「ええ、まあ」

「撃ち方分かる?」

「それは一応」

 さっき、装備を整えるときにナオから教えてもらった。

「でもきっと撃ちませんよ。どうせ当たらないですし」

「ふうん」

 と、何か含みを持たせるように、彼女は頷いた。

「なるほど、蒼太郎がスカウトするわけだ」

「……どういうことです?」

「さっき、銃を撃たないって言ったでしょ? その理由。新入りちゃんは撃てないのではなく撃たないと言った。人が撃てないんじゃなくて、当たらないから撃たないってね」

「………………」

 まあ、そうは言ったが……。

「その言い方を聞いて、新入りちゃんがこの仕事向いてるって分かった」

「それは…………」

 この人の言い分は、よく分からなかった。たぶん、分からせるつもりもないのだろう。一人で勝手に納得している節がある。

 だからこっちも勝手に話を変えた。

「みなさん、気楽そうでしたね。やっぱり、こういう現場に慣れているんですか?」

「そりゃあね」

 ぐんっと、車は更に速度を上げる。

「でも気楽というのも違うかな。きちんと緊張はしているのよみんな。ほどよく緊張して、ほどよく肩の力を抜いてる。ガチガチに固まってもいいことないからね」

 簡単に言うが、それこそ一流と言われる人間が持ちうる精神状態だ。たるみ切らず、かといって緊張で固まり切らず、最高のパフォーマンスを発揮できるほどほどの緊張感。

「それにほら、こういうことが何度もあるのにガチガチに緊張したら疲れて仕方ないじゃない。現場一回で燃え尽きちゃ仕事にならない。セーブしてるのよ、力を」

「そう、ですか……」

 一方のわたしは、車が目的地に近づくにしたがって、心臓の鼓動が大きくなっていく。このまま現場に辿り着かなければいいのにと思う。カーナビが表示する目的地までの距離が減っていくのに、耐えられなくなっている。

「新入りちゃんは緊張しきりって感じじゃない? 大丈夫?」

「息苦しいだけです。防弾ベストが」

 わたしは会社の備品である防弾ベストを着込んでいた。胸部と背部に葵警備と書かれたものだ。これがさっきから息苦しい。ぱっと見ではそんなに大きくないし重くもなさそうだったのに、着てみると圧迫感が強い。上から着ていたジャケットも着れなくなって会社に置いてきた。

 これがあるから撃たれても平気だと言われても、ピンと来ない。そもそも弾を防ぐベストってなんだ? 鎧じゃないんだから、ベストなんかに防弾機能を期待していいのかという今更なことを考えてしまう。

 それにベストだけじゃない。ホルスターを借りてウエストに装備した拳銃が座るのに邪魔でうっとおしいことこの上ない。これでオープンカーのように解放感のある車じゃなかったら、乗り物酔いしているところだ。まさかそれを見越してクーさんはわたしを自分のオープンカーに載せたわけじゃないだろうが。

 一緒に装備を整えたとき、他の人の装備品も見た。ナオが持っていたのはわたしのような素人でも分かるスナイパーライフルだった。パパさんと先生は、小さい銃を持っていた。サブマシンガンのようだったが、銃身の下に円筒形の部品が付いている変なものだった。それにどうやらサイレンサーをつけたらしい。スナイパーで遠くから様子を見るナオは着なかったが、二人はきちんと防弾ベストを着込んでいた。

 そして……。

 クーさんは長袖のシャツにジーンズというラフな格好で、防弾ベストを着るつもりはないらしい。正面から突撃する人間の、およそ尋常な装備ではなかった。

 ちらりと後部座席を見る。彼女が持ち出したアサルトライフルは、わたしの目にはAKに見えた。外観が特徴的だからわたしでもそれくらいは分かる。ただ、どうも銃身が少し短いというか、変な形をしているというか。

「その銃が気になるの?」

 視線に気づいたのか、クーさんが話しかけてくる。

「それはAKS-74U。クリンコフって呼ばれてる。あたしの一番のお気に入り」

「クリンコフ…………」

「そう。それをずっと使ってるうちに、あたしの代名詞になっちゃってね。あたしまでクリンコフって呼ばれるようになっちゃった」

「ああ、だから」

「そ。だからみんなあたしのことクーさんって呼ぶ。本名は本多忠子ってすっごく普通の名前なのに」

 クリンコフのクーさん、か。使っている銃が代名詞になるとは、時代がかっているというか、フィクショナルが過ぎるというか……。それだけ、長いことこういう仕事をしているということなのだろう。

「でも変なのよねえ。そりゃクリンコフは一番のお気に入りで大好きだけど、あたし大口径の銃も好きでさ。50口径のデザートイーグル。片手で撃てる日本人はあたしだけだって自負してるのに、そっちは全然代名詞にならない」

 そういえばナオが姐御の50口径がどうの言っていたな。

「デザートイーグル持ってるんですか?」

「ええ。あたしのお気に入りその二」

 クーさんは車のダッシュボードから銃を取り出して見せびらかす。それがデザートイーグルかどうか、はわたしには判断がつかない。日の光を受けて銀色に輝くその銃は凶悪そうに見えた。

「やっぱり拳銃は大口径に限るわね。新入りちゃんも余裕ができたら50口径とは言わないけど、せめて45口径にしたら?」

「…………考えておきます」

 45口径ってどれくらいだ? イマイチ分からない。そもそも9mmだったり45口径だったり……、単位がぐちゃぐちゃなんだよなあ。

「よおし、そろそろ着くよ」

 無駄話をしている間に、目的地に着いた。航空写真で見た通りの外観をしている、なるほど倉庫だ。剥げかかったなんちゃら運送の看板も見える。元は運送会社の倉庫だったらしいという勝手な推測も当たっていた。

 正面には車が二台止まっている。一台は深い緑色のシートが被せられている。ただ、端からちらりと見える車の特徴は写真で見た現金輸送車に似ていると思った。

「お疲れ様です」

 倉庫が見える位置で止めると、物陰から制服姿の警官が一人出てくる。

「葵警備の方ですね?」

「お疲れさん。誰も出てない?」

「はい。動きはありません」

「了解。それじゃあここから銃撃戦だから離れておいてね」

「はっ!」

 慣れたやり取りで警察と情報を取り交わすと、クーさんが車を降りる。わたしも後に続く。あらかじめ説明された通り、腰の右側に取り付けていた無線機からマイク付きイヤホンを取り外して右耳に着ける。

『あーあー。テステス。本日は晴天なりー』

 クーさんは後部座席からクリンコフを担ぎ出しながら、無線機に話しかける。左耳から彼女の地の声が、右耳から通信機越しの声が聞こえてくる。

『みんな聞こえてる?』

『聞こえてますよ』

 パパさんの声がする。

『我々は裏手に着きました。準備完了です。いつでも行けますよ』

『ナオくんは?』

『俺も着いたぜ、姐御』

 今度はナオの声が割り込んでくる。

『倉庫の屋根が丸見えのいい位置に着いた。準備万端だ』

『よし、じゃあ警告文章を読み上げた後、作戦開始』

 通信が切れる。わたしの目の前に拡声器と紙切れが差し出される。

「…………はい?」

「これ読んで。拡声器で倉庫の中の連中に伝わるように」

「はあ……」

 まあ、戦闘においてはまったくの無能力者だからそれ以外の雑務はするけども。何を読ませる気だろう。

 紙切れを見る。拡声器で読み上げる前に、一度目を通した。

 ああ、なるほど。こういう手順か。

『あー、もしもし』

 テストを兼ねて拡声器に話しかける。きちんとわたしの声は拡大されて、ノイズが入ったりや音割れする様子もない。

『倉庫に潜伏する五名の武装強盗集団に警告します。こちらPMC葵警備。岡崎市警察の委託を受け、あなたがたの制圧を実行します。あなたがたに対しては警察から発砲、射殺による無力化の許可が下りています。猶予を三分与えます。それまでに武装解除して投降してください。三分を過ぎた場合、あなた方の生命を保証できません。繰り返します――――』

 いくら相手が武装強盗でも、ポンポン撃ち殺していいわけではない。きちんとそれなりの手続きがある。そもそも射殺による無力化は最終手段だ。相手が投降してくれるならそれが一番いいのだ。

 なんて。

 そんなことを思いながらも、わたしの言葉には熱がないのが自分でもよく分かる。今回の連中は計画性も薄い杜撰なやつらだ。この警告で投降するなら、そもそも強盗なんてしないだろう。この警告はあくまで事務手続きに過ぎない。

 一通りの形式通りの警告を終え、拡声器を下ろし、車の後部座席に片づけた。右腕に巻いた腕時計を見る。あと二分そこらか。投降、しないだろうな。

「じゃあ、手筈通りに」

 クーさんが合図を送る。こっちも待つ気がなさそうだ。

「あたしが正面入り口から入るから、その後はでんと入口の前で構えておいて。銃は抜いて、構えておくくらいでいいんじゃない?」

「分かりました」

「終わったら通信で伝えるから。それまでは、入り口から出てくる動く者は全部敵って認識で」

「……………………」

 それはさすがに単純化し過ぎでは。

「そろそろ三分ね。それじゃあ行ってくるから」

「……どうぞ」

 倉庫の脇にある人が出入りするための扉。当然鍵が掛かっているだろうその扉を、クーさんはばきんと一蹴りでぶち壊した。もともと老朽化しているというのはあるにしても、どんな威力の蹴りだ。人殺せるんじゃないのか?

 彼女は倉庫の中に消えていく。ほどなくして、銃声が鳴り響く。銃が発射されたとき特有のフラッシュが明滅して、薄暗い倉庫を瞬間明るくする。重い、威力のありそうなズドドドという音が腹の底から響いてくる。

 言われた通り、ホルスターから銃を抜いて構える。左手の親指でセイフティを外す。使い方は教えてもらったが、銃は撃ったことがないどころか、こうして構えたことすらない。左手で構え、右手を添え、アイアンサイトをじっと睨んで倉庫の扉に合わせる。

 この銃の元の持ち主は、こんなふうにきっちり構えて撃たなかった。その必要もないくらい、近くで撃ったから。

「……………………」

 グラッチと呼ばれたこの拳銃を前にすると、じいっと、思い出してしまう。この銃が、何に使われたかとか、そういうことを。

 犯罪心理学者を自称するわたしの二番目の兄いわく、銃は確実に人を暴力に走らせるという。理由は、大きく分けて二つ。

 ひとつは銃が遠隔攻撃を可能にする武器であるということ。銃を使えば相手の反撃が届かない距離から、簡単に殺すことができる。

 人間は自分たちがそう認識する以上に損得勘定で動く生き物だ。失うものがあれば暴力には走れなくなる。失うもの……それを兄は社会的絆と呼んだけれど、そういうものがあると人は暴力に走りづらくなる。暴力をふるった結果、失うものが得るものより大きければそこにためらいが生じるからだ。

 基本的な理屈は同じ。社会的絆よりはよりシンプルで即物的な理由。反撃されるのが怖い。暴力を行使して、逆に相手の暴力に屈服するのが怖い。殴るのはよくても、殴られるのは嫌なのが人間だ。近接攻撃には常に相手からの反撃を受けるというリスクが存在する。銃はそのリスクを著しく低減する。女子どもでも、それこそわたしのような非力な者でも銃を使えば屈強な男を殺すことができる。ゲームやマンガじゃないんだから、どんな人間も一発の弾丸の前には膝を折るのだ。銃を使えば、誰だって憎いあいつを殺すことができる。

 もうひとつの理由は、さらに感覚的なもの。感触だ。人を殺すという生々しい感触。殴れば拳は痛み、刃物で刺せば肉を貫く感触が手に残る。鈍器を使えば腕が痺れる。そういう、命を奪う感触。

 銃はその感触を感じさせない。引き金を引けば弾が飛んで、その弾が命を奪うのだから。心理的ハードルの低さ。人の命を奪うという重大な行為を、しかし指の動きひとつで完了し、気味の悪さが残らないという手軽さ。これは大きい。

 では、だとして。

 今わたしはここで、銃を撃てるだろうか。

 技術的な問題ではない。さっきはクーさんに適当を言ったが、当たる当たらないはそこまで重要じゃない。当てたければ当たるまで近づいて、当たるまで撃てばいい。至近距離で何発も撃ち込めば一発くらいは当たる。

 だから当たるかどうか、技術的な問題を云々することにさしたる意味はない。

 大事なのは、人を撃てるのかどうか。

 反撃が来ないところまで離れて、お手軽に引き金を引いて、そうやって心理的ハードルが極限まで下がった状態で、なおわたしは人を撃てるのか。

 頭が空っぽな馬鹿なら撃てるだろう。たぶんそれが今、この場では正しい。でもわたしは馬鹿じゃない。頭がいいかどうかは知らないが馬鹿じゃないことだけは事実だ。

 考えてしまう。人を殺すことの重大性を。

 相手にも親がいて、兄弟がいて、伴侶がいて、子どもがいる。そんな人間の命を奪い、誰かを悲しみの底へ突き落すことがわたしにできるのか……という話ではない。

 知ったこっちゃない。赤の他人の誰かのことなんて。なんでわたしが考えないといけないんだ馬鹿馬鹿しい。こっちにはそんな余裕はない。

 わたしが考えるべきは、常にわたしのことだけだ。わたしのことは、わたししか考えてくれないんだから。

 ここで悩むべきなのは、悩んでしまうのは、わたしは人殺しになれるかどうかという一点だけだ。

 仕事だ、これは。何も不当な行為を働こうというのではない。れっきとした業務。貴賤の別なき尊い職業。世間的に認められた行為だ。

 だが。

 それでも。

 わたしはわたしが人殺しになることを、承服できないでいる。

 だって、そうだろう。

 わたしは真面目に生きてきた。勤勉ではなかったかもしれないけど、怠惰ではなかった。人生の成功者になれるほどの努力をしたわけではない。でも、うだつが上がらない人生を送らなければならないほどの怠惰ではなかった。少なくともこんな苦境に立たされる謂れのないくらいには。「こんなことになったのは自業自得だよね」と言われない程度には真面目に生きてきた。そのはずだった。

 どうしてわたしは、人を殺すか殺さないかの苦境に立たされているのか。

 いや、違う。

 そこは苦境じゃないのだ。今の仕事、今の立場はむしろ不幸中の幸いだ。社長……蒼太郎に拾われなければ数年のうちに、確実に靖国へ送られるみたいな状態だった。それに比べれば天国のような状況。本来なら文句を言える立場ではない。人を殺すのが仕事だと言われたら喜び勇んで殺してもいいくらいの状態だ。

 それなのに悩んでしまう。

 わたしは潔白のままでいたい。真面目でまともな人間のままでいたい。

 でもそれは、許されない。

 なぜ、入社当日というこの日にわたしが作戦に駆り出されているのか。理由は分かり切っている。わたしに人殺しをさせるつもりだ。

 映画とかでよくあるやつだ。組織に入る通過儀礼としての人殺し。殺して初めて、よくやったと言われメンバーと認められる的なあれ。

 クーさんは万が一と言ったけど、たぶん、いや十中八九ひとりはわたしが見ている正面入り口から逃げてくる。きっとクーさんならそういう細かい誘導ができる。混乱で頭が真っ白になりながら、命からがら逃げてくるやつをわたしが撃ち殺して、はじめて社員として認められる。

「……………………よし」

 手汗で滑るグラッチを握り直す。少し目を閉じて、再び開く。今一度はっきりと、正面入り口を見据える。

 殺すぞ。

 殺す。

 殺してやる。

 そうだ、殺せ。

 ぶっ殺す!

 やることはさして難しくないのだ。要するに出てきた相手に不意打ちでかましてやればいい。グラッチには十八発弾が込められているから、その全部を叩きこむつもりでいい。距離も離れているわけじゃない。それだけ撃ち込めばひとりくらいわけはない。

 あとはわたしの覚悟だけ。

 選択肢はない。わたしは生きていかなければならない。生きていくには仕事をしなければならない。そういうふうに、この世界でできている。

 わたしに仕事を選ぶ権利はない。よりましな仕事がこれだ。だったら、せめてこの仕事は手放してはいけない。

「…………ふううぅー」

 倉庫内に響いていた銃声が止む。

 どたどたと、足音が聞こえる。

 直感的に、来ると分かった。

「くそっ! なんなんだちくしょう!」

 どたっと。

 ひとりの男が正面入り口から現れる。

「化け物かあのアマぁ!」

 年のころ、二十代前半。わたしより若いのは間違いない。銃を持っていない状態で、倉庫の中を気にしながら飛び出してきた。

 わたしにはまだ、気づいていない。

「う、うわあああっ!」

 我ながら情けない声だった。

 だけども叫ばないと撃てなかった。

 叫んだ勢いに任せて、引き金を引く。

 一発。

 ずしんと腕に衝撃が響く。思っていたよりは強くない。銃が手からすっぽ抜けたりとか、そういう危惧していたトラブルもない。

 これなら、連射はできそうだ。

「死ねっ! 死ねっ! 死ねっ!」

 やみくもに引き金を引く。

 銃声が遠くから聞こえるみたいだった。自分の手の中からするはずなのに、トンネルの中で反響するみたいに、音が遠い。

 そのくせ、空薬莢がコンクリートの地面の落ちる音がやたら大きい。耳元で聞こえるみたいだ。

「踊って死ねっ! 踊りながら死ねっ! 今すぐ死ねっ! 死ねっ! この、くそ、がああぁぁ!」

 やがて、銃声は聞こえなくなる。目の前が涙で滲んでよく見えない。ひたすら引き金を引いている。衝撃が腕に残っている。自分が今撃っているのか、それとも空っぽの銃の引き金だけ馬鹿みたいに引いているのかも分からない。

 ぽん、と。

 肩が叩かれる。

「ずいぶんド派手に撃ったねえ、新入りちゃん」

 瞼を瞬いて涙を落とす。明瞭になった視界に、クーさんの姿が映る。

「はあっ、はあっ、はあ………………」

 膝が震える。呼吸が苦しい。スライドが下がり切った銃が手に残っている。

 どっと疲れがきて、立っているのもつらくなった。その場に屈んでしまう。

 正面を見る。さっきの若い男は、仰向けに倒れていた。

「……死にましたか」

「いーや」

 クリンコフを肩に担ぎながら、クーさんは男を覗き込む。

「泡吹いて倒れてる。そりゃあねえ、鬼みたいな形相の子に十数発も拳銃ぶち込まれれば誰だって恐ろしいわ」

「……………………」

「一発も当たってない。この距離で外すか。ま、撃ったこともなかったんだから、手からすっぽ抜けさせずに連射できただけ及第点でしょ」

「……そうですか」

 当たらなかったのか、あれだけ撃って。

 それは、どうなんだろう。

『はいそれじゃあ確認』

 今度は右耳のイヤホン越しにクーさんの声が聞こえる。

『こちらの損害は? あったら返事』

 返答はない。

『はい。じゃあ結果確認。武装集団は事前情報通り五名。うち一名射殺。三名は裏手から逃げて、一名は表から逃げた。裏手は?』

 答えたのは先生だった。

『三名確認しました。いずれも武装解除して投降したので拘束しています』

『表から一人逃げたんだって?』

 次いでパパさんの声も聞こえる。

『新入社員は大丈夫だった?』

 クーさんが目で合図してくる。これ、わたしが答える流れか。

『だ、大丈夫です。無力化しました』

 散々っぱら撃って当たらなかったことは言わないでおこう。

『見てたぜー冬子ちゃん』

 ナオの声が聞こえる。

『だいぶ撃ってたみたいだけど、あれ当たってなかったのか?』

『手品みたいに一発も当たってないよ』

 クーさんがネタ晴らしをしてしまう。おのれ。

『はいじゃあ後は警察にお任せして、あたしらは帰ろうね。撤収!』

 それで通信は切れた。いい加減、足の震えも収まったので立ち上がる。

「それじゃあ帰ろうか、新入りちゃん」

「……………………」

「どうした? 元気ないね」

「はあ、まあ……」

 次は…………。

「次は、ちゃんと殺します」

 こうしてわたしの入社初日、初仕事は終わった。

 思えば、必ずしも殺す必要はない。わたしたちの仕事は悪いやつらを捕まえることで、殺すのはその手段に過ぎない。殺さなくていいのならそれに越したことはない。

 でも…………。

 やっぱり、次はちゃんと殺そうと思うのだ。

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