PMC社員はじめました(仮)
紅藍
TASK1:あるPMC社員の一日 A day of PMC new face
#1:新入社員
人は働かなければ生きていけない、というけれど。
それは欺瞞だ。
働かなければ生きていけないのではなく、働かざるを得ない状態にされているだけだろう。住む場所、食べる物、着る服。清潔な水、温かい寝床、目や耳を楽しませる娯楽、知的好奇心を刺激する書物。何をするにも、何を手に入れるのにもお金が必要。だがそれは、そういう世界の在り方が真理なのではなく、そういう世界の在り方になってしまっているから、仕方なくそれに順応しているだけのことだ。
人間、基本的に仕事をしなくていいのならそれに越したことはないはずだ。働かずに楽に暮らすことができるなら、誰だって仕事はしたくないに決まっている。……というのは、少し暴論が過ぎるか。
さすがにわたしは文系大学院出の、世間的にはインテリと称される部類の人間だ。ことをもう少し複雑な視点から見ることができる。できるというか、そうでなければ払った学費に見合わないからそうなったというか。
労働が義務であると同時に、なぜ権利であるのか。それは労働が人間の精神に、苦痛と徒労以外のまあまあ健全な効果を発揮するからだ。
人間は、確かに働かず安穏と暮らすことができるのならそれを喜んで選択するだろうくらいには怠惰だ。しかし、労働をしないということは裏返せば社会に、世界に自身の存在をなんら価値のないものであると認めることに他ならない。
大量消費社会の現代において何であれ生産する側に回らないということは、いたずらに浪費する側に回るということ。何も生みださず、世界に対し何の影響力も持ちえないということだ。
石油王や大富豪クラスになればもう少し事情も異なるだろうが、大抵の怠惰な人間が陥るのはいわゆるニートと呼ばれる存在程度が関の山。何もせず、何も生みださず、何も行わない。社会に対し何ら影響力を持たず、社会にとって無益でも有益でもない存在。
社会の歯車であることは苦痛かもしれないが、そんな歯車にすらなれないという事実は絶望的だ。
そのことはよく知っている。よく見てきたし、よく体験してきた。
だから、いい。事情は様々。働くことは苦痛だし徒労だけど、それでも働きはしよう。苦痛も徒労も、絶望に比すればまだ気が楽な部類だ。
…………ただ。
労働は義務であると同時に権利だ。ならばその権利でもって、もう少し自由に仕事を選べてもいいのではないだろうかと、思うことがある。
「さあ、はきはき歩きたまえ新入社員!」
正午の太陽を受けて明るく照らされる、長い廊下。わたしはその廊下をひとりの男とともに歩いていた。その男は年のころはわたしと同じくらいだが、仕立ての上等そうなスーツがよく似合う。一般的なサラリーマンよりは高給取りでどこかしがらみから自由そうな雰囲気をまとっている。彼を普通のサラリーマンと一目で勘違いする人間は少ないだろう。スーツこそ着ているが仮に私服でも許されるようなフリーランス、あるいは企業社会の上級役員なのではないかと思わせる。
事実、その通り。彼は社長であり、今日からわたしの上司になる。
「他人を外見で判断するなとはよく言われるが、しかし他人を外見で判断してしまう愚かさを捨てきれないのが人間だ。第一印象は大事だぞ。スーツを着なれないのは分かるが、猫背くらいは止めておいた方がいい」
「……………………」
猫背になっていただろうか。窓に映る冴えない自分の姿を見る。ああ、なっている。でも直す気は起らなかった。
胸を張れるだけの立派な人間ではないから。そして今日からのわたしの仕事も、およそ胸を張って他人に自慢できる類のものでもないのだから。
スラックスの左ポケットに突っ込んだ拳銃が、歩くたびにうっとおしい。「銃があるなら仕事で使えるから持ってこい」と言われたから持ってきたが、正直、こんなものはわたしの人生において無用の長物だったはずなのだ。
趣味で持つこともないし、実益で握ることもない、映画や漫画、ゲームの中でしか見ないはずのものだった。それなのに、いつの間にかこの銃から発せられる硝煙の臭いとともに、わたしの人生は一変してしまった。
労働が権利なら、わたしは仕事を選べてもよかったはずなのに、どうしてこんなことになったのか。
わたしは今日この日から、人殺しを仕事にすることになった。
PMC。すなわち民間軍事企業。すなわち傭兵集団。ともかく、警察特殊部隊、および国防軍国内警備部門の民間委託先こそが日本におけるPMCという位置づけである。
つまり、警察や軍の代わりに荒事を専門とする民間企業である。
わたしには関係ないことだと思っていた。さながら中継されているサッカーや野球の試合を見るようなもので、PMCなど就職先としてまるで眼中になかった。就職できるとも、就職するとも思っていなかった。だけども、なぜか今こうして就職している。人生は分からないもの、と知ったふうなことを言ってみたくもなる。
「我がPMC葵警備は現状、社長である僕と四名の社員からなる零細企業だ」
隣を歩く男が言葉を繋ぐ。
PMC葵警備の社長、徳川蒼太郎だと彼は初対面のとき名乗った。わたしが彼について知るのはそれがすべてだ。
「聞きました」
「だろうね。言った記憶がある。だが沈黙に耐えられなくてね。念のため我が社の現状を確認がてら、沈黙を紛らわしたかった」
「……………………」
「社員はみな一癖も二癖もある者ばかりだ。しかし各人とても優秀。もっと大きなPMCにいつヘッドハンティングされてもおかしくないと僕は戦々恐々なのだが、不思議なことにそういうお声がけは一切ない。社長の僕としては嬉しい限り、社員の彼らとしては悲しいことに」
初対面のときも思ったが。おしゃべりな男だ。喋っていないと死ぬのか? 回遊魚みたいな人だ。
「とはいえ君が心配することは何もない。確かに、君のように銃すら握ったことのない経歴の人間が我が社に入るのは初めてだ。しかし朱に交われば何とやら。君もいずれ精鋭になる」
「インドア派の運動音痴を捕まえて買いかぶり過ぎでしょう」
「いやいや、本気で言っている。僕は人を見る目が確実なのが自慢でね。一度も外したことがない。それに……」
扉の前に辿り着く。
「僕はビジネスマンだ。君が就職先に困っているのを見かねたという理由だけでスカウトするほど、お人よしでもないんだよ」
「……………………」
返答に窮する。善人ではないだろうとは思っていたが、これから上司になる人間に「そうですね」とは返し難かった。
「さて、それじゃあみんなと顔合わせと行こう」
扉が開かれ、わたしたちは中に入った。
部屋は会議室のようなところだった。会議室、とその場を断言できない程度にはわたしの知る会議室とは様子が異なっている。電灯の点いた明るい部屋の正面に、起動して準備されたプロジェクターとスクリーン。手狭な部屋にパイプ椅子が乱雑に並べられていて、整理整頓という概念を知らないかのようだ。
雑然と並んだパイプ椅子に、社員だという四人は思い思いの場所で腰掛けていた。男性二名と女性二名。社長の蒼太郎とわたしを加味すれば男女比は綺麗に半々。大企業なんて大昔に提言された男女の機会均等政策を知らぬ存ぜぬで通して国際的に非難を浴びているというのに、この企業は優秀なことだ。
「あのー」
男性の一人が声を上げる。この中では年長者らしい、落ち着いた、というより少し気の弱そうな表情の人だ。この人が精鋭、と言われてもピンと来ない。別に社長の言葉を疑うわけではないが。
「彼女が、噂の新入社員ですか?」
「そうだよ、パパさん」
パパさん? 父親なのか? どういう綽名だ?
「へえ、えっと、この……。チャカをズボンのポッケに突っ込んだヤクザの鉄砲玉みたいな子が?」
「ほら、だから第一印象は大事だと僕は言っただろう?」
まさか拳銃を持っているだけでヤクザ呼ばわりされるとは思っていなかった。この人たちなんて拳銃どころかライフルぶっ放す仕事の癖に。
「そう。この覇気がない割に今にもここで拳銃を抜きそうなヤバ気な彼女が新入社員。名前は柴田冬子くんだ。みんな仲良くしてやってくれ」
四人はそれぞれで適当に相槌を打った。
「さて」
ポンポンと、手を打って蒼太郎は話をまとめる。
「今日は新入社員も来たし、みんなで早上がりして歓迎会でもしたいところだったんだが、残念ながら仕事だ」
言って、蒼太郎はくすりと笑う。
「いや、残念ながらなどと言ってはいけないな。我が社のような小さい企業にとって、仕事はまさに天からの恵みだ。ありがたく頂戴するとしよう! さっそくブリーフィングに入るが、その前に……ナオ」
「はいよ」
ナオと呼ばれ、答えたのはもう一人の男性だ。金髪碧眼。明らかに日本人離れしている。背もスラっとしていて高く、モデルでもしていた方が様になりそうだ。
「冬子くんの拳銃が使い物になるか見ておいてくれ。たぶん大丈夫だと思うが、彼女は銃の扱いが素人だからね」
「りょーかい社長」
わたしはズボンから拳銃を引き抜いて、ナオと呼ばれた男に手渡す。さすがにPMCの社員だけあって、ナオは慣れた手つきで拳銃を検分しながら会議室の後ろに下がる。
その一方で、会議室前方の明かりは落とされ、スクリーンが点灯する。
「それじゃあ酒井先生、状況報告どうぞ」
「はい社長」
酒井先生と呼ばれたのは女性のうちの一人だ。なるほど、小学校の教師でもしている方が似合いそうな、ややふくよかなところのある眼鏡の女性だった。
「依頼はつい一時間前、岡崎市郵便局からです。郵便局ATMを巡回中の現金輸送車が武装した集団に襲撃され、車ごと攫われました」
スクリーンに写真が投影される。見たところありきたりなバンだ。郵便局のマークが入っている。運転席にはヘルメットを被った人が乗っている。
スクリーンの光に照らされて、自分の眼鏡の汚れが目立った。一度外して、ポケットから眼鏡拭きを取り出して拭う。眼鏡を外すと視界がぼんやりと滲んだ。黒いツルを手掛かりに、眼鏡を触っていく。
「輸送していた現金は三百万ほど。車には二名が乗っていましたが、両名とも銃撃され負傷しました。幸い、命は助かったようですが」
「それは痛ましい」
本心からは思っていないだろう軽さで蒼太郎が相槌を打つ。
「襲撃した集団は五名。全員が武装していました。装備は不明瞭ですが……」
投影された写真が切り替わる。どうやら襲撃時の様子が収められた監視カメラの様子らしい。
現金輸送車を取り囲んでいるのは五人。いずれも黒いマスクのようなもので顔を覆っており、人相ははっきりしない。写真がぼんやりとしているが、手に持っているのはサブマシンガン? アサルトライフル? らしい何かだ。
「サイズなどからいわゆるPCCの可能性があるとナオくんが」
「根拠を聞こうか」
「単に、入手難度の問題ですよ」
わたしの銃を弄りながら、ナオが蒼太郎の疑問に答える。
「大きさからしてアサルトライフルではない。サブマシンガンは規制があるから入手が難しい。後で先生が言うかもしれないが、今回の連中の犯行は計画性が薄く杜撰。そんな連中が手を回してサブマシンガンは入手しない。また襲撃当時付近にいた人間へ警察が聞き込みをしたところ、フルオート射撃のような音は聞かなかった。とどめに最近、脱法的なPCCコンバージョンキットが増えている。結論、連中の使っているのはいわゆるピストルキャリバーカービンすなわちPCC。防弾ベストを着込んだ職員が襲撃されて死亡しなかったところからして、使用する弾丸は45口径ではなく9mmパラペラム」
PCCというのはよく分からないが、サブマシンガンやアサルトライフルのような銃の種別のことだろう。要するに民間人が脱法的に入手できる中ではそこそこ強力な武器を用いて犯行に及んだ、ということか。
「犯人の潜伏先は既に判明しています」
ナオから先生が話を引き継ぐ。スクリーンに新しく投影されたのは、森に囲まれた田舎の倉庫のような場所の航空写真だった。運送会社の倉庫だったものだろうか。
「現金輸送車が強奪されてからの移動経路を、防犯カメラをリレーして追いかけたところこの場所が判明しました。現金輸送車にはカバーをかけていますが、表に止まっているのが分かります」
「わお、杜撰だ」
「はい。計画性が薄く、強奪から逃走までの段取りが非常に稚拙です。人数も少ないことですし……。だからうちに仕事が回ってきたとも言えます」
「この倉庫が一時避難場所で、もう逃げたって可能性は?」
「警官が張っていますが、今のところ移動したという連絡はありません」
「これは随分と、まあ、変な強盗だな」
蒼太郎の態度は緊張感がない。そりゃあ、人は死んでいないが……。これから連中と自分の社員が撃ち合うかもしれないという状況なのに気楽なものだ。あるいはこういう状況は慣れっこなのか。社長だけじゃなく、四人もそこまで気負った様子がない。
「それじゃあ制圧作戦の概要を、クーさん」
「はいよ蒼太郎」
クーさんと呼ばれたのは、今まで黙っていた女性だ。
たぶん、葵警備の社員だという四人の中で一番強い。素人目にもそう分かる人だった。大柄で筋骨隆々。だが威圧感よりスマート感が先立つ妙な人だ。口元が笑っているが、どうも貼り付けているような感じで少し不気味だった。
「それじゃあ新入りちゃんにも分かるように説明するね。と言ってもやることはいつも通り」
倉庫を写した写真を適当に指さす。
「正面からあたしが突っ込む。で暴れる。歯向かってきたやつは殺す。裏手から逃げるやつはパパさんと先生が待ち構えて無力化。単純でしょ?」
でしょと言われてもな……。正面から突っ込むクーさんとやらが一番危険で大変そうなのに、さらっと簡単そうに言ってのける。
「ナオくんはスナイパー担いで、そうだね……。犯人が屋根にでも登ったとき用の警戒。新入りちゃんは……あたしのバックを担当してもらおうかな」
「え、あ…………」
唐突に作戦に組み込まれて驚く。
「わたしもやるんですか?」
「もちろん。でも安心して。万が一あたしの脇を抜けて正面から逃げ出そうとしたおっちょこちょいがいたら止めてもらうだけだから」
シンプルに言うが……。
「装備もいつも通り。各々撃ちたい銃を持っていくこと」
「それ姐御がクリンコフ撃ちたいだけでしょ」
ナオが嘆息する。ふふんと笑ってクーさんは手を叩く。
「はい状況開始状況開始。新入りちゃんの歓迎会があるからさっさと終わらせちゃうよ」
会議室が再び明るくなる。座っていたパパさんと先生が立ち上がって、各々の準備に向かっていく。本当に、これからちょっと事務仕事でも終わらせましょうかくらいの気楽さだ。今からやるのは銃撃戦だというのに。
「ほい新入り」
ナオが近づいてきて、わたしに拳銃を返す。
「使用した形跡はあるが、ほとんど新品だ。弾は三発しか残ってなかったから補充しとかないとな。ま、姐御の50口径とかと違って9mmパラペラムなら社内備品にあるから問題ないぜ」
「……そうですか」
「それにしても」
ぐいっと、わたしの拳銃をナオが覗き込む。
「MP-443グラッチなんて民間人の君がよく持ってたな」
「珍しいんですか?」
「珍しいというか、なんというか……。まあいいや」
どうにも歯切れが悪い上に気になることを言う。
「いつ手に入れたんだ? 新品みたいだし最近か?」
「…………そんなところです」
両親の形見だとは、言わないでおいた。
形見なんて感傷的な表現が似合うような、手に入れ方をしてはいないし。
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